« 一応本物 | トップページ | 自律的職能集団が成り立つ前提(2/3) »

自律的職能集団が成り立つ前提(1/3)

---------------------------------引用
企業人は倫理に違反しやすい宿命にある! “マネジャー版 ヒポクラテスの誓い”のすすめ ITmedia
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1106/27/news005.html
 企業経営者はしょせんプロフェッショナルではない。だから企業では不正行為が抑制されることがなく、反倫理的事件の発生が少なくない。この際「マネジャー版 ヒポクラテスの誓い」を定義し、経営者の規範とすべきだ……という、非常に面白い主張に出会った。その主張の概要を紹介し、企業経営の実態を抉りながら、企業倫理について考えてみたい。
ブログランキング・にほんブログ村へ
 マスコミをにぎわす企業の大きな反倫理的行為は、決して少なくない。その大きな事件の芽とも言える身近な事例から、その背景を探ってみよう。 (中略)
●なぜ道徳心を失い反倫理的行為を犯すのか
 なぜ企業人は、道徳心を失って反倫理的行為を犯すことになるのか。
 上例でも、その原因を示唆している。まず1つは、成功するために手段を選ばないという考え方だ。株主価値の最大化という大義名分も、同じ考えに根ざしているようなものだ。H.Gardner ハーバード大教授の調査によれば、「まっとうな仕事をすべきことは分かっているし、そうしたいのはやまやまだが、成功するには手段を選んでいられない」と考える人が多く、模範的ビジネスマンになることより、とにかく成功を収めることが先決だというのだ。

 実業界を目指す若者の間で、道徳を軽視する傾向が広がっていると、彼は指摘する(「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」2010.2. 以下の引用は、すべて本書から)。現在日本においても、これは反倫理的行為の最も説得力ある原因の1つだろう。
 2つには、物事が順調に進んでいるときは高い倫理基準を守ることは容易だが、状況が厳しくなればなるほど、逆境に立てば立つほど、倫理基準を守りにくくなるということだ。中でも情報が不確実で錯綜し、選択肢が曖昧で、責任が不明瞭な事態に陥ると、道徳的判断力が鈍る。しかも、道徳的人間は孤立しやすい。同調者や 組織からの応援がないと、意思がなえる。そして、部下は日頃から上司の言動をしっかり見ていて、見習う傾向にある。
 3つには、経営者にはオーソライズされた行動規範がなく、しかもそれを逸脱しても、例えば職能団体などから罰せられることはないということだ。その結果、現代経営者は誠に残念ながら、社会で最も信頼されていない部類に入る(R.Khurana、N.Nohria 各ハーバード・ビジネススクール教授)。
 さて、企業経営者は、あるいはビジネスリーダーはどのように企業倫理を守り、道徳的行為を貫き通すべきか。反倫理的行為の原因として最も卑近な例として挙げ られる、成功のために手段を選ばず、そして逆境に立つと倫理基準を軽視するという誘惑に駆られることを防ぐには、幾重にも防御策を構築しておかなければならな い。
 第1に、倫理綱領を明確に示すことだ。「倫理上の問題はしつこく発生し、なかなか消えないため、見えにくくなっているが、解決策は簡単である。経営陣が、自社の倫理綱領をはっきりさせればよい。倫理面での怠慢や堕落、惰性などは単に個人の欠点なのではなく、マネジメントの問題でもあるのだ。新入社員たちはみな、いつかその道徳的判断によって企業の倫理性を左右する可能性があるわけだが、企業というコミュニティに入れば、まず企業の価値観の影響を受ける。」(K.R.Andrews 元ハーバード・ビジネススクール名誉教授)
 しかし第2に、逆境や不確実で曖昧な情報の下で道徳的判断をするには、意思決定者の道徳的判断力が問われる。それを、育まなければならない。それは「一朝一夕に身につくものではない。企業の中でこの能力を育んでいくのは、次の要素からなる一連のプロセスである。」(1)「ある意思決定を社会道徳に照らしてその意味を知ること」、(2)「討論によって違った視点の存在に気づくこと」、(3)「"強靭な精神力"である。」「満場一致で決まった解決策がない場合、敢然と決断を下せる資質」を持たねばならない(同上)。
--------------------------------中断
実業界を目指す若者の間で、「道徳」を軽視する傾向が広がっているというのは感じるのだが、これは日本の場合においていうとまだ、企業体の2代目経営者とかで親からの伝承などがない場合は、比較的これが強くない場合がある気もする。其の分完全なベンチャーでスピンアウトでもカーブアウトでもないパターンの場合、過去の成功するには手段を選んでいる余地がない上に、模範的ビジネスマンというのは他人のテリトリーを侵食しなければ成り立たないと考える場合は多いのではないか。カーブアウトやのれんわけの場合ではこの「道徳」を「社会通念」と読み替えることですでに、「道徳」を軽視する傾向がある人は継承者から外れているのだろういといえるのだが。

但し、上記に列挙したものには自己矛盾がひどく混ざっているといる感じはする。
「成功するために手段を選ばないという考え方」であるが、資本投下を得るには株主価値の最大化という大義名分を得なければならない。特定の株主がたとえば企業や投資銀行となった場合、この団体も株主価値の最大化という大義名分が必要になる。つまり大型投資をする団体は鎖状に同じ命題を抱えているのである。
これは、今までの企業の場合小規模投資家(たとえば町の人が全員少ないながらも株を買っている)というものがあったのだが、そういう社会の中で動く会社という存在は其の生産物と直接の使用者の間に隔離ができることで難しくなる。つまり社会が求めているのは「利得を還元する社会性」であって、「暮らしを良質にする社会性」でないということになると、こうなるのは必然であろう。反倫理的行為の最も説得力ある原因の1つだろう。つまりこのためには企業は基本的には生協などのように経営する人と受益者が重なるということを求めるわけで、これは企業を拡大していくのと自己矛盾を持つ。
「物事が順調に進んでいるときは高い倫理基準を守ることは容易だが、状況が厳しくなればなるほど、逆境に立てば立つほど、倫理基準を守りにくくなる」というのも、もともと倫理基準が勝たば官軍という側面を感じるからであろう。もっとも、このような崩れた倫理基準が生じると伝播するというのは事実であろうが、それは企業内では道徳的判断力が強い人よりも弱い生き方のほうが一般の人には楽である。道徳的人間は孤立しやすいし、それを第三者的視点でもつことは企業の中では見えないところである。なお、倫理基準が時代や社会の中で簡単に変質することは認識しておいたほうがいい。
「経営者にはオーソライズされた行動規範がなく」というところであるが、そもそもオーソライズされた行動規範を守る限りは既存経営の踏襲ということはできても、企業活動の拡張変質が不可能であるわけである。オーソライズされた行動規範がある前提でのビジネスは、基本移入などで行われていたという場合となってしまう。このように倫理的規範がかたまっていけばいくほどオーソライズされた行動規範がある前提でのビジネスは市場飽和を起こしやすい環境になる。そうなると、現代経営者は社会で信頼されるもののには現状維持はできるが其の現状が一発の問題が生じた段階で継続性を失う。オーソライズされた行動規範を疑問に思うからこそ企業が衰退部から新規部に移って永続性を持たせることであり、社会で信頼されていないからこそ毀誉褒貶がある経営者はおり、毀誉褒貶があるから経営ができるという側面があって、オーソライズされた行動規範はあとからついてくるのである。行動規範を自分の考える方向にオーソライズするのが経営者であり、へたすると政治家にも其の素質が必要な場合もあるかも知れぬ。そしてそれを社会通念から反するとみなす経営者以外の人間が強い発言権を持つのもまた現代である。
---------------------------------------
このようにオーソライズされた行動規範自体も立脚が不透明なら、其の判断をする人間も元来不安定な存在と考えると、 ヒポクラテスの誓いという概念を理解するのはいいとしても、それを企業倫理として展開するのには展開させる先・・つまり従業員への指導のむずかしさはあると考える。
このようにオーソライズされた行動規範を企業経営の場合に生かすのは、企業経営の流動性と社会の流動性を関係つけるなかでは、継続性は短期には得られるものの中長期において其の姿勢を保てる企業は、変化を求めない後継者によって衰退する可能性も大きい。つまり企業の社会的継続性というものを認める中では非常に内部矛盾をかかえた見方だといえる。(続く)

|

« 一応本物 | トップページ | 自律的職能集団が成り立つ前提(2/3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/52061580

この記事へのトラックバック一覧です: 自律的職能集団が成り立つ前提(1/3):

« 一応本物 | トップページ | 自律的職能集団が成り立つ前提(2/3) »