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自律的職能集団が成り立つ前提(3/3)

(承前)
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企業人は倫理に違反しやすい宿命にある! “マネジャー版 ヒポクラテスの誓い”のすすめ ITmedia
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1106/27/news005.html
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医療の間ではジュネーブ宣言とは1948年の第2回世界医師会総会で規定された医の倫理に関する規定で、ヒポクラテスの誓いの倫理的精神を現代化・公式化したものである。4回ほど改定が行われている。

現在のジュネーブ宣言の主だった内容は、
1. 全生涯を人道のために捧げる
2. 人道的立場にのっとり、医を実践する。(道徳的・良識的配慮)
3. 人命を最大限に尊重する。(人命の尊重)
4. 患者の健康を第一に考慮する。
5. 患者の秘密を厳守する。(守秘義務)
6. 患者に対して差別・偏見をしない。(患者の非差別)
といったことが定められている。
例えば、麻薬中毒の患者が来たとしても医師にそれを警察に届出する義務は全くない。麻薬を手にしている犯罪者であっても治療を行うという姿勢は上記の4・5・6に該当する。
ただし、 真のプロフェッショナルには、通常、行動規範があり、そのような規範の意味と社会的意義は正規の教育のなかで教えられるというのは、欧米式の選別された階層社会のなかで成り立つという概念である。
 医者や弁護士は正規教育を受け、国家免許を必要としたなかで、職能団体を構成して、自らを監視し、社会の信頼を得ているという言い方は、私は逆であると考えている。医業・代弁者業務や法律業務は、基本的には自由に手に行うということでもよかった(その昔の日本の医師には師匠と弟子の関係はあったが国家による認証がなく、其の評価は一般的な評判によっていた)。しかし最低必要な素養やある程度オーソライズされた思考力形成力を担保しなければ、社会的不安を招くことであるということから、あくまで最低限の能力所持が担保できる者を選別しているということである。その選別仮定で社会目的を一元化させていることで最低限の能力所持が担保できているということを保障しているだけである。
正規教育を受けるということも、国家免許も国家内のみでの運用であることを考えると、あくまで最低必要な素養やある程度オーソライズされた思考力形成力を担保できるのは同一文化圏の中であるという限界を示すのではないか。(但し医療の場合はジュネーブ宣言が国際的なガイドラインという意味ではある程度国際的な平準化は図られている。)
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医師には、古来より「ヒポクラテスの誓い」があるが、其のような概念は少なくとも一般社会の通念と合致するのかというと、これまた難しいものがあり、むしろ一般社会の通念とは違うコロニーを描くことしか成り立たない。そうなると、これらの「プロフェッショナルのなかから信頼の厚い人物たちで構成される職能団体」が、コンプライアンス(遵法義務)を監視するというのは、確かに其の世界では確立されたことであろうが、プロフェッショナルのなかからの信頼とプロフェッショナル以外からの価値観が異なり、この間に話をする姿勢が生成されないなら、行動規範なるものが常に遷移することが前提である。
例えば、「麻薬中毒の患者が来たとしても医師にそれを警察に届出する義務は全くない。麻薬を手にしている犯罪者であっても治療を行うという姿勢」は実際問題社会に関しては理解することは難しいようである。いままでは「価値観がことなる、高い位置にいる人だからだろうな」という性善説に基づいた視点が多かったのだが、自分たち以外の社会構成員との間に暗黙の社会契約を交わすこと自体を否定することがある。それは
●正規教育を受けているが其の正規教育の意味は「独善的」になっている
●国家免許自体政府機構を前提とし、其の前提で正義を定義していく立場にある以上独善性があるという認識
●職能団体を構成が政治的圧力団体と同意になりがち(事実職能団体から国会議員が出ることはある)
●自らを監視しているとしても倫理観が異なるものによる監視は意味がない(職能団体の否定)
●社会の信頼を得るためには、需給側に対し奉仕(これは使役という意味合いが鮮明)する姿勢が先
という社会の姿勢である。同じことは、弁護士にもいえることになっている。
いや、薬剤師にしかり(人命最上で仕事を行う人たちにおいても、其のミスが人命にかかわったとなると、従前より格段に大きい社会的忌避が生じるのが個人の責任で負えない規模に膨れ上がる)、業務が不可能になることは 多くなり、社会的な総合的利得の存在が無視される。
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自律的職能集団自体が資質の判断基準として成り立たなくなっている現在においては、医師においても其の顧客の妥当でない要求に対応しなかっただけでもプロフェッショナルとしての資質がないというみなし方をされがちで在るが、このところの情報の伝播でこのような一部の典型事例がすべての評価とみなされることがある。其の中で一部のセンセーショナルな扱いをされるものは「例外処理として」評価される傾向がある。
なお医師に関しては戦前からこのような評価があって、臨床医の間を走り回るような今で言う医療ジプシー状態があったり、「やらせ」のような問題がおきたりした。そのようなことを容認する雑誌記事や広告も時代背景にしては多かった。神保町の古本や漁りをするとこのような古本が結構出ている。この傾向は戦後・健康保険が普及するなかで、医師の広告制限と大病院への医師の集中(集団医療の確立)ということにより一時期薄まった時期がある。
つまり正規教育を受け、国家試験を課せられ、自律的職能集団を形成すべきという傾向はいまや導入されにくくなり、むしろ行動規範の意味と社会的意義自体が遷移的である社会では、真のプロフェッショナルというものの由来する人材評価は風評や個人的評価(それがずれなく、虚構なく伝わってるかは別として)に劣るところである。
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経営者は世事の倫理を超越したところで動くことで評価されていくうえに、倫理概念や社会責任の内容が硬直化する以上、経営者は社会で最も信頼されていない部類だからこそできる業務である。自己コントロールによる成果は結果論でしか評価できず、そして運の良いというところで隠れたままでおわったりしても、社会が是といえば是となる側面がいまや(大衆迎合の側面もある)肯定されるのは、ナチスドイツを想起するとなんとなくわかるであろう。そして、ほかのプロフェッショナル(弁護士・医師・弁理士・中小企業診断士・技術士・・・・・、そして博士号まで)も段々低い評価に全体が引っ張られ、イレギュラーな事象が高度の存在確率として間違えるように見かけるようになっているためますます信用されずに、社会が停滞するのが、ITという情報が無対価になる現状ではますます促進されていくと思うのである。職業的知識を知らないが発信だけはできることが、ひとつの社会的ステータスになる時代がそこまで来ている。

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