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安全なのやさしくしてね(2/2)

(承前)
ある人が書いていたのだが、同じ危険でも人間が恐れるかを恐れないかは、二つの要因で決まるというらしい。

1. 得をすると怖くないが、損をすると怖い、
2. 自分の意志でやることは怖くないが、他人がやるものは怖い.

人間は危険なことでも自分の得になる時にはあまり恐れないが、自分の得にならないと、とても恐ろしく感じるというのが第1番目の意味で怖さは「儲かる」程度により、まったく儲からない場合と、かなり儲かる場合では1000倍ぐらい「怖さ」を感じるのが違うという。その意味では「フォード・ピント事件」と同じであるな。
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リスクベネフィット分析で、電化製品は事故発生の結果批判されて間もなく発売禁止というのは想定できる。中には同じ製品を各国で販売したところ、A国ではたまたま偶発的初期クレームが発生して問題になった結果発売中止となり、B国ではたまたま偶発的初期クレームが発生しなかったため大ヒット商品になるということもある。さらにはA国で偶発的初期クレームが発生して問題になった結果発売中止となり、B国で偶発的初期クレームが発生したが問題となったのは使用者の常識というほうに話がいき大ヒット商品になるということもある。

自家用車が売られていて、時々事故を起こし1年間にいくらかの人が死んだ場合、自家用車が社会の批判とされる場合がある。(本田技研は欠陥車糾弾の動きで軽自動車「N360」に操縦安定性の欠陥を指摘され、未必の故意による殺人罪で本田宗一郎が東京地方検察庁に告訴され「N360」は販売を終えた。反対に訴えたほうが恐喝の疑いで逮捕され、解決には十数年の年月を要したが、乗用軽乗用車から一時撤退することになる。このときは他車種の増産でしのいだといわれているが、実際には当時なら忌避される大量の整理解雇を行っているなど経営問題になる。なおこれは「100km/hを軽く出す軽自動車」の出現を予知できなかった当時の世界の自動車の技術基準に問題があるというみかたもあるようだ)
そう考えると瞬間湯沸かし器は、最近は珍しいものではないが、初期のころは時々爆発して死者が出るということもあったり(当時担当していた知人の古参技術者に聞くと瞬間爆発器なんてことまでいわれたそうで)、換気が悪くて死者が出たりということになり、一時期電気式の物以外は売れなくなった。このときは代替性があるコンロなどに流れたのである。1年に3人死亡するともう販売することは今ならできない。企業が倒産するだろう。実際その後安全性を高め、また湯沸し速度の問題など電気式がカバーできない使用環境が顕在化し、再度瓦斯の瞬間湯沸かし器は人気となったが、近年社会が知識を減衰させたこともあるのだがCO中毒が起きるということが、社会の条件から求められて、最近は屋外設置型のものになっている。
しかし、自動車は交通事故で1年に5000人も死ぬ。それを注目して上記のように指弾した例もあるのだが、実際は微視的にはあっても電車や路線バスに切り換えることはできない。
なぜ自動車と瞬間湯沸かし器がこう違うのか。
自動車が余りにも便利なので、1年に5000人ぐらいの死者は社会で容認されるということであると解釈されていることが大きい。但し1年に5000人ぐらいの死者は社会で容認されるということと、いくら工夫してもこれ以上低減できないということがあるからこそ、自動車の普及で衰退した鉄道やバスを廃止すると代替交通機関である自動車を選択するかというと、其の地域から自動車を使うぐらいなら鉄道などが収支を取れる地域に出て行ってしまうという挙動(消極的逃散)も生まれるのである。
つまり事故が一定の確率で生じることが読める場合は予測するから、大方の対応ができるし忌避したい人は忌避できるから、得をすると怖くないが、損をすると怖いという見方とともに、「私にとって得と思うなら怖くてもマスキングされ怖いと感じない」が「私として損をすると思うなら怖いのでから忌避する」ということもあると考える。瞬間湯沸かし器の爆発の場合は事故が一定の確率で生じず予測できない上に代替性があるものがあったので、マスキング心理も忌避行動も促さないから怖くなるのである。こういうのを人間の心理がもたらすRisk/Benefitというのだそうな。
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2番目の 「自分の意志でやることは怖くないが、他人がやるものは怖い」というのはたとえばオートバイの暴走行為でで事故の危険があっても「楽しむのは自分でリスクを負うのは自分」と割り切るのに似ているかもしれない。
さて、「私にとって得と思うなら怖くてもマスキングされ怖いと感じない」が「私として損をすると思うなら怖いのでから忌避する」と前項に書いたが、この記載はまさに自分の意思・知識の反映の可否ができるかどうかでリスク回避の行動に差が出ることを言っているとも思う。また自動車で年間5000人が亡くなっていてもかなりの割合でそれは運転者の責にある上に安全運転のために自動車保険などまでかけるのだが、もっと人がそう亡くならないが時々一発で死傷者が増加し、かつ選べるのは運行会社ぐらいとなる旅客機事故となると、年間に平坦化した死亡者数でないことが事故が一定の確率で生じず予測不能で、かつ他人のやることなので不安性が増す。飛行機が死者に関しては自動者に比べて少ないといって安全ということを言っても、大方の人は納得しにくいし、中には毎日自動車を運転してる人が飛行機に乗るとなったら遺書など書いてしまうのと同じである。
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見方はあると思うが、今回の福島原発の件でもにたようなこともある。
原子力の仕事をしている人のみならずなんらかかかわる人は多い。多くの技術者は自分の意思で原子力技術が必要と思っている意思のある人である。面白いもので原子力技術を勉強してきた専門家でも、意思が伴わないとか否定的な問題意識を持っている人は、専門教育をかなり捨て去って他業種に動くというのも多いようだ。原子力は複合技術によるものなので、他のシステム(たとえば蒸気タービン)とか、他の業態(電力自体の評価研究)、さもなくは機械設計とかに結構転用が利く場合が多いのではと思うし、またそういうような転進をしている人も多く知っている。
まだ、過去第二次世界大戦の誘引には、エネルギー封鎖(ABCD包囲網)ということがあり、(皮肉な話だが)社会不安をなくすには技術としてエネルギーを原子力まかなうのがよく、さらに確かに技術として難しいがばい煙公害を押さえるなど考えると、ある程度電力安定供給を維持して輸入などの外乱に惑わされない社会を構築し、かつ環境向上による寿命向上(空調による人間の寿命向上は否定できない)というところを利得として得ることが社会全体の利得と考えることがモチベーションになってる人も多い。
しかし電気には「原子力製」とか「水力製」というタグがついてることもないから利得はわからないし、そのくせ他人がやるものは怖いし、得をするとどうなるのか損をするとどうなるのかが、その人のもつバックボーンで異なっておりわからない。そうなると怖いものは避けるようにしようという発言になってしまう。一般の人は感じる恐怖心を原子力関係者は理解できないし、原子力がなくなったら代替技術があるのか、ないしは原子力がなくて今の日本の生活水準どころか生命維持ができる衣食住を確保できるのかという議論にもならない。代替性のある発電はできるとしてもそのために電力単価が上がったり(其の分生活水準は落ちるか、現在の人口維持ができなくなる)副次的効果を想定することは難しい。
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「安全」と「危険」は数値(確率)である程度再現性のある形で表される。「安心」と「怖さ」は数値だけでは示すのは仮定が入りばらつきをもつため、きわめて定量評価が難しく、AさんとBさんでは同じようなことにはならないのが常。そこで私たちは外部評価を用いる。アカスリが怖いと思った私が安全面では技術研修能力に関する外部認証のマークが掲げてあることを確認したのが「安全」、ここは一流の会社の経営になるスーパー銭湯のため、クレーム反映ができる体制もあるということを評価材料にし、かつ価格の妥当性を見たというのが「安心」となる外部評価である。
しかしこの後者の判断は主観に依存しており、他人に共通の知識とはならない。安全・安心・安定の社会はあるべき姿であるが、指標化すると永久に達成できない漸近線のようなものかもしれない。

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