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金融立国になりうるとは思わない(1/2)

いささか過激だが、意見を自分で出している有名ブロガーの記載である。外資系の勤務経験がある人の視点で結論はそう変わらないが、私とは誘導するロジックはことなる。
-------------------引用
2011-07-04 金融業なんてむいてないし、東証も要らない。
最近ちきりんは、「日本は金融業はもうやめた方がいいよね」と思ってる。この国の人って、金融業にむいてないよね、とは前から思ってたけど、最近は、東証(東京証券取引所とかマザーズとかいろいろ)も日本に無いほうが国民の利益になるんじゃないか、と思い始めた。
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まずは、日本に金融業が向いてない理由、

(1)リスクとるのが嫌い:金融ってリスクに応じたリターンを得るビジネスなんだから、リスクとるの嫌いな日本人には向いてない。それってイコール「リターン得るのが嫌い」と言ってるのと同じなんだから。
(2)英語が苦手:金融って、最も世界共通が進みやすいビジネスでしょ。お金はお金であって、made in Japanのお金という概念もないし、ニーズの違いもないです。どこの国の人も運用するなら10%の利子の方が5%の利子よりいいと思ってる。世界共通の商売は英語で行われるようになるのが必然。英語が苦手な日本人には向いてない。
(3)ロジックも苦手:金融商品ってのは計算であり、論理の産物です。最近は“ゆとり”に加えて少子化で、大学受験でさえエッセイと面接で乗り切れてみんな算数できなさすぎ。加えて日本では論理より「みんなが言っていること」が大事なんだから、金融なんて全然向いてない。
(4)スピードが大事:金融は意思決定のスピードが生死を分けます。「熟考が大事」とか「重箱の隅まで全部、証明されないと信じない」とか「石の上にも3年」な文化には合わないです。
(5)金融は専門知識がすべて:なのに、この国って未だに「ジェネラリスト」がエリートだとか思ってるんだからお話にならないでしょ。
(6)お金が汚いものだと思ってる・・:しかも一部の人は「モノ作りで稼いだ金は、金融取引で稼いだ金より尊い」と信じてる残念さ。
というわけで、金融業は日本人には向いてないからやめたほうがいいと思う。郵便貯金みたいな、「預けて利子がついてもどってくる」とか、「借りて、利子払って返す」みたいな超シンプルなものだけ残しとけばいいです。ホールセールとか全部やめたほうがいい。
--------------------中断
「郵便貯金みたいな、「預けて利子がついてもどってくる」とか、「借りて、利子払って返す」みたいな超シンプルなものだけ残しとけばいいです。」というのは投資銀行というものは日本ではなり立たないということの裏返しである。
投資銀行よりも貯蓄銀行、矢をいるよりも米俵を積む。すべての思考形成段階が今の世界金融の趨勢に対し裏目をよんでいるのが今までの文化であり言語であり、歴史、製造業のノウハウであるのだから、不得意ということでそこで勝負をかけることは人的資源の損失である。そして其の場所は既に今から入ろうにも既に19世紀からレッドオーシャンになっていると思っている。
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個人の貯蓄を引き受けることを主目的とする金融機関を貯蓄銀行という。倹約を奨励し貯蓄により生活を安定させるための金融機関で郵便貯金はこの一形態であった。預金者から金銭を預かり、事業者などに貸し出す銀行は市中銀行(中央銀行との対比)といって日本の銀行はいまやほとんどこれであるが、利子がほとんどつかないということから運用上普通の市民にとっては貯蓄銀行としか認識されていない。では、そういう投資銀行的な視点は信託銀行が担っているようだが、(私も取引したことがあるからなのだが)もともと余剰資産自体が少ない人間には、上質といわれる接客自体をおためごかしに感じるほど、私には信託銀行の窓口はどこへいっても地獄であった。

(1)リスクに応じたリターンを得るといっても、おおむね市民がリスクを負ってもそのまま生きうることのできるストックもつことがもともと少ない代わりに、おおむねだれもが小額のストックをもっているとはいえる。きわめて平坦な所得配分がされているが、それが固定資産とか投資できる資産になっていない。つまり発想が基本的に農耕生産など労働力商品の販売で確実な利潤を得、それを積み上げることの発想で基本的な社会通念ならず過去からの伝承、教育システム、学問体系、そして日本語の体系までがなっている積み上げ式の手法である。
英語では物事を説明するとき、「これはこうです。その理由は・・・・」という遡及型の説明をすることで目的を達成する場合も多く、少なくとも答えを早く知りたいビジネスシーンにおいては効果的である。ところが、企業のビジネスでなく一般の商慣習や社会の中でこの言い方をすると、結構いやな反応がくる。いわく過去からの蓄積によって今の現象が起きているのだから、今の起きていることの説明を最初にするのはいいが,其の後は時系列的に説明してくれというのである。つまりどうかしらないが結果的に儲かりました、損をしましたということで利益を得ても、其の前段階がかなりいくらか必然性のある偶然の産物のなかで得たなら、同じことを再現できる仕組みにならないということ。再現性を求めることでローリターンでいいから類推した行動のなかで確実に収益を固めることが、文化的に固まっていると考える。このことは製造業などで歩留まりをよくしたりということにとっては、他国の追従を許さないのであろうが、ロジックに跳躍が見られる行動を許容しないことにも繋がる。
(2)英語が苦手というのは私も得意でないので大きなことをいえないのだが、物事への対峙の仕方が一人でなく徒党を組んでしか対応しないし、徒党を組まないで対処できるひとは積み上げ式のロジックは思想がわからないということになると、英語をつかって物事を対処するのはあくまで積み上げ式の考え方では便法であって、英語の目的指示に徹した志向は理解できないと思う。だからこそ狩猟文化ベースの視点を直接原語で把握せず、一度カスタマイズしてローカル性を持たせる翻訳や翻案、外国文献の翻訳ビジネスなどが出てくるのであろう。英語でものを考えるというのは商事会社などで製品を販売するように目的意識が完全に固まりブレがなく、もし元の目的意識が代わったらそのままシフトするかやめるかという企業ならこれでいいのだが、目的を探索し比較するようなあいまいなものの中から混沌としたものを拾う企業形態の場合はどうかなあと思うことはある。英語を話せ、うまい人が決まったロジックに対しては敏捷に動くが、あいまいとしたものから答えらしいものをだせない話はあり、よくこういう人を「英語屋」と揶揄したものであった。必ずしもそういう人ばかりではないのだろうが、積み上げ式の思考と目的遂行型の思考を切り替えることが、実は日本人が英語で語ると仕事にならないのではないか。(コンサル企業が日本で業務展開をして失敗するのは思考の構築形態が逆なので、海外ノウハウが生かせないからであると聞く。たしかに日本国内で海外企業が独自の業務を展開できるためには、日本人の思考形態とを読み替え演算できる人のあるなしだという意見もある)
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(3)ロジックも苦手かというと、もともとこの蓄積的な論旨の進め方をするからである。
数学の証明問題を解かせると海外の人とは差があるそうな。日本では[∴](ゆえに)という記号を使って話をしていくほうが、[∵](なぜならば)をつかうより多いんだとか。ただしそのような論旨の組みたての違いがロジックの組み立てがへたという解釈をされているようでもある。
ただこれは別の問題もあって、金融商品ってのは計算であり、論理の産物であるが、感情の作為の問題がやっぱり残る。そこで論理が違うつみ方をするロジックを演算することができない限り、いくら論理的な解釈をされていてもそうとられない。このことから日本人で日本人らしいロジックを積み上げることができる人は金融以外のところ、(製造業・IT・総合商社なんかの営業)を目指してしまう。結果異業種から動いてきた人のなかでたまたまロジックが組める人は生きることはあろうが、その結果「みんなが言っていること」を素直に聞く人が固まってしまうからこの人はみんな算数できなさすぎ(これはまちがいで数学できなさすぎのほうが趣旨に合う)と感じるのではないか。
(4)金融は意思決定のスピードが生死を分けるのであるが、そうなるとつみあげを行っていく事は成り立たないですね。「熟考が大事」とか「重箱の隅まで全部、証明されないと信じない」とか「石の上にも3年」な文化、そして「小さな内容でもつめ腹を切らされるが集団の錯誤は責任を散るどころか解決するすべがない」という場合は企業の方針決定を各論でしか組めないわけで意思決定を組めるわけがない。それでも長期的戦略ということが立てるとなると企業としては成り立つが金融での成果は得られない。意思決定のスピードは速くなればなるほど、企業としての社会的存在意義がこと日本では滅却する(これは日本発だけど海外に拠点を動かしたほうがいい企業というのはあって、それはトップのみが戦略を指示し、使用人の集団になるという企業があるということである。そしてこれは製造業ではほとんどない)
(5)金融は専門知識がすべてであるというより企業社会全体ですでに「ジェネラリスト」がエリートとはいえないし、そんなことはなくなってきている。但しまた専門知識を持つ人がいても本当に専門的で横連携のない人たちというのが多く、其の結節のためのジェネラリストとよばれる信号扱い所が当面いる。人材交流が企業間で盛んでない日本では、ノウハウを過去から積み上げた知識から得ることが多い。A社で推奨されることがB社ではやってはいけないことであり、会社間で人材異動をしても専門職では使えないのはこれがすざましいからのようであるし、企業合併をしたら企業内での文化・手法・思考過程・ロジック形成までことなり、かえって非効率になってしまうというのは欧米の企業では考えられないと聞く。そのための信号処理係としてのジェネラリストは当面は必要であろう。
さらにいうとエリートという人たちは管理能力の高さで成り立つ欧米とはことなり、末端からの信号をコンパイルする立場にしかなりえない人であるからで、だからこそ幹部社員の給料がそこまで日本が高くない(価値を生み出していない)ともいえるかも。
(6)お金が汚いものだと思ってるひとはやはりいるかもしれないし、中国古代の王様にもそういう人が出てくる。農業中心とか物品移送によって利益を労働対価として得る(これはロジの事でなく、総合商社のことを言っている。投資の回収は現物流通の中間口銭ですからね)。結果的にモノ作りで稼いだ金は、金融取引で稼いだ金より尊いと信じてるということは労働力商品という概念なのであろう。はいマルクス経済ですな。そうなると交易経済による価値基準がそもそも理解できないという人は多いのだろう。これは積み上げ型思考といういよりも、仏教の思想に多少こういうのがある。近代経済における商業や金融の仏教的な思考における定義付けは、石田梅岩による「商業の本質は物品や信用交換の仲介業である」というところまでくるが、其の歴史は浅いし、明治中旬まで社会的にも理解されず長い間「必要悪」という認識であった。
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このようなことを考えると、日本における商業交流活動は、物品現物を仲介とする総合商社的な投資と利潤回収手法のセット(これがまた日本独自のビジネスモデルなんだな)では成果を得るが、金融業ということをグローバルに薦めるに当たってはその国民の成り立ちや民族の考え方、さらには日本国民でいることの必然性を否定しないと成り立たないと考える。
「私はこの仕事を儲からないながらも60年間やってきた。だからみんなから愛され幸せだ」というのを尊重するのと、バカのなんとかだというのというには、文化の多元性の限界を示すことになる。
つまり積み上げ方の思考法を崩すには、地盤から崩すべきであろう。そうである。日本という土地を全部沈没させたら成り立つと思う。(しかし自殺に関する倫理的束縛も強くない日本では、かなりの人が日本沈没とともに命と倫理観を抱え海面下に共にするだろうが)(続く)

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コメント

 圧倒的ものづくり国家樹立のため日立、三菱、トヨタを盛り上げて再建しよう。ただしトヨタと三菱は金融まみれっぽいが。

投稿: スミス | 2011年12月14日 (水曜日) 00時02分

まあ、「ものづくり国家樹立」という言い方はともかく、ドイツのビズネスモデルは(チェコやスイスなどを製造拠点として使いつぶしている傾向は多少在るにせよ)ひとつの示唆でしょうね。但しドイツは国民性として不得意なところは触らず(システム組みやソフトエンジニアリングはそう得意ではない)フランスに任せている側面があります。

金融という側面は単純に言うと「新規開発の資金調達」という面では逃れられなくなってきているところもあって、その意味での金融力は免れられないです。日立は金融においては今は日立キャピタルが力・発言力を増しており、まったく金融から離れているわけではないです。

投稿: デハボ1000 | 2011年12月15日 (木曜日) 18時17分

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