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ききかたはなしかた

「ああ、それなら知ってるよ」と思ったとたん、それ以降の「考えること」をしなくなるという意見がある。
このことはあるコンサルタントの人がいっているのだが、セミナーを行ったときかならず行うアンケートに関して語っている。良い評価であれば励みになるし、意見やクレーム・批評があれば改善要求とみなす。しかしこの人も言っているのだが、

  「わかりきった内容のことが多かった」
  「どこかで聞いたような話だった」
  「目新しいものではない」
  「実際の業務に使えない」、
……といった類のものも混じらないわけにいかない。正直こういうのを言われるとがっかりするものだが、まあ、実際のところ、詳しく聞いて見ると、実は自分の抱えている問題ときわめて近いことを話しているのに、それは違うという固定概念があって、そこから離れられないということがある。
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もっとも、実際の業務に使えないという人と話しをしてみると(セミナー終了後、個人面談をするとか、テーマが絞りきれないセミナーの場合には、あえて質問をもらって個々の回答を公開でするという手法もあるので)過去の経験と前提条件が変わっているのに気がついていないということがある。つまり、過去の知識にとらわれすぎているために、可能性検討ができないというのである。先の記載をしたコンサルタントさんは「知識が学ぶ心を妨げている」といっている。これはいい言い回しだ。
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まあ、固定された故事成語、言いまらわせた言葉による説明は、頭に入りやすいらしい。ただし、これが過ぎるとライフスペースという新宗教の団体がいった「定説」という言葉と似ている側面がある。

本来定説というのは、「疑いの無い証明済みの確定的であるとされる説。」というのもであるが、ライフスペースでは教義・主張を意味する言葉であるが、特殊な言い回しとさっるという。しかし、私はこれは、そもそも宗教における教示は「疑いの無い証明済みの確定的な説」という側面で、細かい前提条件をショートカットするということであるとみる。
こう考えると、セミナー(この場合は私が関係するような技術セミナーも、宗教的な所謂「セミナー」の双方とも)に来る人には新しい知識を得るという姿勢の場合、あーそんな事実があるんだ・・・ということで事実の吸収は早いのである。問題はそれを現実にいかに応用するかというところで大概できないなあということに入ってしまう。実際詳細検討をすると実はこの半分は無理であるのであるが半分は可能性がある・・・・という答えがあるものだ。しかし、そのような可能性があるのか・・・見直してみようかというところにまったく話が行かない場合がある。
知識を得るのには、今すぐ使える情報のみをほしがる場合と、考えるヒントをや素材を得る場合がある、けど本当はこのような知識に対してどういう考え方をすればいいのかという知的刺激を、実例から引き出す頭の使い方を得るのが本当の目的をしたほうが可能性が高いはずである。
今般、知識をもつ(取得しているとは言わない)教育を受け、情報社会に生きているので、それなら知ってると思ったとたん、それ以降の「考えること」をしなくなる。一方知らない知識目新しい情報を欲しがるのはかわらない。TOOLを求めているが使い方がわからないものが手元にたまっているのだが。
一方、教条主義的な名言をきいたとするとこれがすぐ汎用的に右から左に使えるという勘違いもあるのだ。
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ところで、ある人に私は以前怒られた。直接アドバイスをされた(駄目だしという感じではない分良心的ではあった)のだがその説明に対し、いくらきいても原理原則で納得できないこともあった。そうすると「学ぶことはまねることから来ている。だからうんすん言わずまずまねなさい」というのである。ところが、これをまねることは既存の仕事のもっていき方と内部矛盾をおこすのである。
つまりこの場合、教えてくれた人は無条件で一度はまねてしまえれば得失が理解でき、其の段階で可否が理解でるものであると認識していたようである。しかし、実際は「疑いの無い証明済み・確定的であるとされる説。」とその人が思い込んでいる可能性もある。このように「知識が学ぶ心を妨げている」という場合もその知識が隠れた前提を盛っていることを指摘しなければならないとおもう。なぜこれをしなければならないのかという議論を一切せず、前置条件をまったく聞かず真似ろというのは、その人の自立的な考えや見とおし、さらに意欲をつぶすこともあるため、できるだけどうしてかというところまで戻るようにすることが、本当の知識の得方であるはず。性急に結果を得るのでなく本当はセミナーの生身をそぎそのまま横展開するというのは、木に竹をつぐようなことなのであって、そのような効果をセミナー講師としては本当は素直に期待しないほうがいいと考えるのだが・・・そうも行かないのが現実でもあって・・・。
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こうなると、正しい聞き方をするというのが、モチベーションをあげる材料となる。
人は「自分の話」をしたいものであるからこそ、会話が苦手な人は、まず聞く力をつけたいものである。もちろん自分の話題に無理に持っていかないほぷがいい。そして、相手の気持にできるだけあわせて、うなずき方にも変化を与える。そこには同情でなく共感というのがひとつのキーになるのではないか。(言葉の選び方もあろう)。またなかには沈黙を入れるほうがいいという人もいる。
ネガティブな話のときは共感から入る。そしておかしいなあともうことは相手が気がつくようにしむける。
結果的に「ああ、それなら知ってるよ」という知識の開陳ではなく、「それをネタに考えてみようやってみよう」という意欲を後押しすることらこそ、考えてもらえ同意が得られる人への指導に仕方になるのではと考えている。つまり相手の既存知識をどう制御し、自主的に代えるモチベーションを与えるかが、実はこの手の仕事で苦労することである。

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