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そういう人だとイメージ固定

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「騒動のもみ消しは1,000~5,000万円」笑福亭鶴光の発言が話題に 島田紳助の資産も暴露  日刊サイゾー
 連日報道が続く島田紳助の引退騒動。小倉智昭が『とくダネ!』(フジテレビ系)で、「みなさんの周辺でも、知らないうちにそういう人(闇社会の人間)が解決してくれるってことは起こるはず」などと語り、後日謝罪するなど、ナーバスな話題だけに"舌禍事件"も発生している。
 そんな中、紳助とは旧知の仲の笑福亭鶴光が8月25日に、東京MXテレビ『5時に夢中!』に出演。 テレビでの発言について、その実情を次のように語った。
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「芸能界でやってるとね、いろんな解決できないことを(テレビで)言ってしまったりして、それに関して抗議された場合に、テレビ局は守ってくれないでしょ。プロダクションも守ってくれない。マネジャーもすぐ逃げてまいよる。そういう場合にどうしようか思うたら、警察に行くか、弁護士に行くか。これもなかなかそう言ったって、警察でも『俺がすぐに(解決する)』っていう人は、まずいないわね。なら、そういう社会に頼むのは仕方ない。仕方ないけど、一般の人は無理。ものすごく金がかかりまんねんて。芸能人でチラッて聞いたら、1回もみ消してもらうのに1,000~5,000万円ですって。ランクによっては。私らそんなどないする? 俺、5,000万出すんやったら自殺するわ(笑)」

 紳助がかつて、Aさんこと、W被告を頼る原因となった騒動は、『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)での政治的発言という説がある。そこで、鶴光はそのようなテレビでの発言をもみ消す場合を独自に調査し、それが1,000~5,000万円だとつきとめたようだ。さらに、ラジオ番組『ポップ対歌謡曲』(ABCラジオ)などで紳助と過去に共演し、旧知の仲である鶴光は、紳助の資産についてこう語った。
「(紳助とは)昔はね、よく仕事しましたけどね。今やっぱり考えてみますと、55歳でしょ。55歳いうたら、昔でしたら定年ですわな。だから上岡龍太郎さんも55歳で引退しはった。だから、我々引退しようにもいろいろ生活かかっとるから、我々の世界は86でも現役で頑張っとる。引退ないですから。(注:4代目桂米丸・初代三笑亭笑三・2代目笑福亭松之助がそうである)ところが、この男やめたら40億もってるって、40億。資産やで。このままいったら絶対死ぬまで安泰やんか。ところが人間おかしなもんで、そんなお金を持った人間はね。こんな忙しいことピタッてやめたら精神的プワッと気が抜けてコロッといく可能性がある。だから、私それ願うてます(笑)」(後略)
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まあ怖い発言ですな。岩井志麻子と笑福亭鶴光では「混ぜるな危険」・・っておいおい。
鶴光師匠だからいえるというような気も。けどやわらかい表現であって、悪意を持っている表現でもない。よーく聞いて見ると、鶴光師匠は、このような業界で高額な金銭を稼いでいる以上仕方がないというニュアンス。つまり暴力団との付き合いを肯定してはいないもののそれだからといって一方的に悪いとは言っていないので、言い方によっては小倉智昭さんとおなじ叱責をうけてもいいぐらいの話である。
確かにヤクザというのは組織を形成して暴力を背景に職業的に犯罪活動に従事し、収入を得ている物と定義つけられる。一方合法的な性格を持った「顔役」と呼ばれるある種畏敬を持たれ、「その人のためなら命をも惜しまぬ」と言う本来ならば町の嫌われ者しかならないものの、それなりの指示には従う子分を多数従えた例もある。かつては代議士や地方議会にも多くいたものである。このため、ヤクザの語源は、賭博用語が語源であるとする説、無法者を役柄の役者のようなに仮託した物が訛っったとかのほかに、喧嘩の仲裁など調整役に長けた者を役座(座は楽市楽座とおなじ専門職のギルドと同じ)と呼んんだことというのもまざってくるようである。
さらに近代の暴力団では生業をもち(シノギという)、其のなかから暴力団活動をするようなことを積極的にすすめたということは、あくまでヤクザの稼業は利益を受けた団体からの寄付によって成り立っており、基本的な資金を種々の投資活動(・・・但しダークなものも多い)で増やすことをしている「任意団体」であるのが、ちょっと厄介な判断になってしまう。そう夏と日ごろの生活でかかわりを持たないということが、そうは行かない場合もあるとうのは実感としてある。
私の郷里の近所に、組関係の事務所が割りと固まっている所があった。治安が悪いというわけではない単なる下町であり、ご丁寧に近所に警察学校があったりするのだが、年に何回か拳銃が見つかり・・・ということがずーっとあったのである。というわけでそうそうそこにはいくことがなかったのであるが、其のど真ん中に役所が当時立地しており、行かないということにはならなかった記憶がある。けど、日ごろ治安の面でどうこうということはなかった。
さてこの地域のはずれの幹線道路沿いにラーメン屋さんがあり、やや値段は高いがおいしいと評判で結構人が並んでいた。(今考えれば、和歌山ラーメンの醤油ベースの豚骨醤油味、いわゆる車庫前系だったし、看板も「中華そば」という記載であった)で、其のラーメン屋に親に連れて行ってもらおうとするのだが、どうも親はいい顔をしない。どうもそこでは親分が若い衆をつかってラーメンを出していたということなのだと、別の知り合いから聞いて(そういうと、飾ってある色紙の中にその筋の大親分のがあった)納得したのである。そのうちオーナーが拳銃所持でつかまってからは、しばらくして閉店する羽目になってしまった。しかし、その10年後にはかたぎのラーメン屋さんがたくさん立つようになってしまったのである。おそらく、店主の風体や飾ってある色紙に其の手が混ざっていたことなどが、やはり問題と親はおもったのであろう。
まあ、このようにそれという風体で付き合うほうもあくまで正業という場合は、なかなか排除されにくいものであるし、忌避をするということが地域社会においていい市民であるかは、ちょっと困ることがある。実際、ラーメン屋さんがたくさん集まる地域になったということは、いくらか影響があったのではとおもう。
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それはともかく、ヤクザを排除するべきという思想自体は法治国家である日本にとっては、国是ということになっているのはそれなりに最もであり、この影響が海外にも影響を与えていることは認識するべきであろう。従って法的処置こ自体を非難するべきではないし、このような取り込みを否定することは私もまったくない。
ただし、このようになってしまうという前提に関しては社会的に、いやでもこのような人にたのまなければならないという現実はある。感情論により法治的見地での解決がままならない事象(詐欺や詐取的視点もあろうし、感情に実で法規的視点を眼中に置かないというのは、ヤクザのカチコミ(たとえば京阪三条駅の京津線の軌道前にあった高級クラブ「ベラミ」でのを田岡山口組長狙撃)のようなもの)でもあるのである。つまりその視点に対し解決策を提案せずして「やられたもの負け」という姿勢をとっていると、結果的にはこういう問題は地下化してしまい、意図せず一般人の法規遵守の姿勢が崩れていくことがある。できないとおもう内容に対し、できるような対処策を提案した上に進めていくということにするしかない。其の丁寧な段取りの提案がないというのが、問題の潜在化の一因である。「テレビ局・プロダクション・マネジャーもすぐ逃げる。警察や弁護士に行くかといっても、警察でも解決するというのはは、まずいない。」というのであるが、プロダクション側が問題解決のための相談室を設置するとて、基本的には法的顧問になってしまうのは社会的責任から当然だが、問題解決には帰って遠くなることもあろう。
いや、こういう問題は今までから少なくはない。私は、皇民党事件というものを思い出す。当時、総理大臣だった中曽根康弘から受ける次期総裁の指名をめぐって争っていた竹下登が、暴力団とつながりが深いとされる右翼団体である日本皇民党から執拗に「日本一金儲けのうまい竹下さんを総理にしましょう」と「ほめ殺し」を受けて、街宣車で走り回られた。まずいことにこれは当人をけなしていることにならないので、警察などでも動かないということではある。
となるとこういうところで民事暴力を解決するという立場が誰ひとつない(もともと法規によらない活動なので、警察や弁護士はバックに政府がついているという意味しか交渉上はないのである)。そのような問題がごくまれでもあるんだという事象に対してまったく具体的に対決する姿勢を示すようなことがないということは、暴力団が必要がないものと排斥する希望はともかく、無法者・法律というものが絶対的な意味を持たない社会(こういう国も結構あるよね)に法律で制裁を加えることは意味のない「空理空論を吐いている」というものもあるのでは。

もっとも、上岡龍太郎氏がこういことをいっているようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=mNv6q75v5xw 

 なんで(私が)芸人になったかといいますと、みんなと一緒のことをやるのが嫌いなんです、出来ないたちなんですね、そういう人間っておるんですよ。みんなと一緒に行動を起こすのが下手や、好きじゃない、別のことがしたい、出来るだけ楽したい、目立ちたい、ちやほやして欲しい、だいたいこういうところなんです、芸人になってる奴の根の考えっちゅうのはね。暴力団も一緒なんです。暴力団員もおんなじ考えでしょ。 だからね、芸人と暴力団が癒着するなってのがおかしな話でね。根は一緒のタイプなんですから。
 出来るだけ楽したいとかね。みんなとおんなじことすんの嫌や、その代わりちやほやして欲しいと。根が一緒のもんが、子供の頃から口が達者やったか腕が達者やったかで木が分かれただけで芸人と暴力団てありますけどね。根が一緒やから癒着しますわね。それを癒着すんなとか、テレビに出てる以上は芸能人といえども一般人としての良識を持たなくてはいけないと、そう仰る御仁がおられるんですがね、良識なんか有ったらこんな仕事しませんからね、私ら。

この時期と前後して、割りに似たことをタモリも言っていた記憶がある。
さて、みんなと一緒のことをやるのが嫌い、別のことがしたい、出来るだけ楽したい、目立ちたい、ちやほやして欲しいというのは、実は上岡龍太郎氏がこれをぼやいた以降、社会全体がこのような人も受け容れるようになったということはこと日本では大きいとおもう。、みんなと一緒のことをやるのが嫌い、別のことがしたい、出来るだけ楽したい、目立ちたい、ちやほやして欲しいというのはある意味企業家の一部にもあるわけで、この点については芸人が志向している世界に社会はすこし寄り添ったことがあるのかもしれない。
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さて、確かに日ごろそのようなヤクザとおつきあいすることをしないように配慮し(・・・あくまでヤクザと認定されたモノに関する・・・というのも其の判定基準があやふやであることを物語るが)どうしても、親族にその手にある人はいつまでたってもそういう評価になるという問題である。海外の国家ではあまりない家制度にこれがからむと厄介なことになるわけで、具体事例の解釈を決定させる必要もあるが一方「親族にヤクザがいる」ということだけで全うな生活を願う人が基本的人権を逃すということが少なくとも青年期においては否定できない。このように、運用上の問題は必ずあるということは考えなくてはならぬ。普段は意図しないことも、当人がなんかあると(まあ大概不祥事ではあるが)親族が・・・・ということで掘り消されるというのは、夫とともに覚せい剤取締法違反事件を起こした酒井法子のときに当人がうけるべくして受ける社会的責務以上に、風評問題が多くなってしまい、本質が埋没した時のようなことになるのであろうとおもう。

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