« きれいにしよう | トップページ | メディアリテラシーの本質と解してみたら?(1/4) »

国民栄誉賞より助成基金の充実を

 サッカー女子ワールドカップドイツ大会の日本代表(なでしこジャパン)の優勝により、日本中が大騒ぎである。震災後の陰鬱な空気から払拭されたいからなのか(事実まったく選手にも震災や原発事故と関係があるのだが)新聞は号外を出し、大きく紙面を割いて偉業をたたえ、国民栄誉賞の授与という話もある。(PS:そうなりましたねえ・・・)
また私の町にも参加選手がいるということで、選手個人に区が賞を授与するとか言う話も出ているとか。
ブログランキング・にほんブログ村へ
もちろん偉業は正しく評価されるべきであるが、ここに乗じて其の財政支援が過去事業仕分けできられたという事実や、そもそも官民合わせても財政支援が非常に貧弱だという話まで喧伝されている。このようにあるなかで政府によるスポーツの政治利用はみていてあまり気持ちのよいものではない。

7月25日のなでしこジャパンに、国民栄誉賞を授与する方針を固めたときも官房長官は、「多くの国民に感動と希望を与えた」という言い方をした。そんな欽定的な志向がなくてもにしても必ず国威発揚という側面がついて回るのがこの手の賞にかかわる項目である。
ところで、五輪の精神はなにか・・・といわれると、元 IOC会長のクーベルタンがとりあげたものに、
「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」
オリンピックは参加することに意義があるという由来はここにある(但しこれは、イギリス・アメリカがお互いをライバル視し、険悪な関係になった状況を危惧したペンシルベニア大司教(アメリカ選手団に随行)が説教で語ったのが由来である)というのに集約されるものなのかもしれない。(現実のオリンピック憲章とはまた異なる)
よく戦ったということは国民の意識発揚に繋がってしまうのも大方の場合事実であろう。そして今回のサッカー女子ワールドカップにしてもアマチュアスポーツないしはそれに近い存在のもの場合(プロもいるので)もいくらはこれにはあろうかとおもう。
つまり、素朴なスポーツマンシップを突き詰めるのは人間の尊厳として大切で、万人が見本とすべき行為行動ではあるのだろうが、其の素朴さ、さらには隠蔽された意識の高揚による取りまとめの巧みさが結果としてベルリン五輪だとかに精神的支柱に祭り上げられる側面もあるというか、都合よく気分としてまとめられてしまうのではと思っているのである。そう、純朴・素直さが手練手管の輩に使われやすい側面があるのではとおもっている。
まあ、女子サッカー以前に、女子ソフトボールが世界一になったとき、ワールドベースボールで日本が優勝した際と異なるのかというと(サッカーとソフトボール・野球が国際的に立ち居地がことなるといえばそうだが、)特にこの手の話はなかった気がする。しかもなでしこジャパンには来年ロンドンオリンピックが控えているのだ。その前に賞を授与すること以前に育成補助金をつけるなど本質的な支援で、ほかのスポーツ以外の内容にに、当事者も国民も舞い上がることなしに意識付けできることはいっぱいある。
まあ、とかく国際的な立場を狙ってこのように運動を支援・・・というのは、実のところぼちぼち返上したほうがいいのかなとおもうことは個人的にはある。その意味で五輪参加とそれを目標とするのはともかく、無理して大金をはたき五輪を日本に誘致するという行為は、あえて今の日本には必要ないと私はおもっている。
むしろ政府のカネでなら、助成基金を創設するなどやり方はあろう。
--------------------------------
ベルリンオリンピックの記録映画(正式には『民族の祭典』『美の祭典』の2部作)は映画撮影は「基本的」にナチスの全面的な協力のもとで行われ、映像美と斬新さが世界中から絶賛を受けたが、大戦後にはナチ賛美のプロパガンダ映画として糾弾され、監督は映画監督としての生命を絶れることになった。其の構成じたいは画期的であったが、いかんせん当時の場の空気をかんがえるとこうなるのかもしれぬ。しかし、監督も戦後は「当時はほとんどのドイツ人がそうであったように、自分もヒトラーに熱狂していた」と認めている。従って、党員ではないことを貫いたものの、自らの意思でナチス党に協力したことになってしまい、この後の作品も色眼鏡で評価されることになってしまった。
映像の中の選手に必ずしも政治的志向はなかろう(部分的に「日本」選出の金メダリストの陸上競技の 孫基禎(陸上競技男子マラソン)のような事例もあっただろうが)、映像作家も其の意思や問題点を認識していなかったにもかかわらず、かのオリンピックはプロパガンダ化されてしまったわけである。とにかく純朴なひとこそ、取り込まれやすいというのは仕方がなく、それを疑うことが本質というひねくれた視点は慎むべきである。
いにしえの「ボキャブラ天国」の画像を見て、はじめなんとなくやっていたのが段々乗りのりで手を上げる人が出てくるという画像(このことをヒロミが指摘している)。冗談作品としても実は深いものがあると私はにやりとしたのである。そしてスポーツもこのような麻薬性からはまったく逃れられないのである。

|

« きれいにしよう | トップページ | メディアリテラシーの本質と解してみたら?(1/4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/52355125

この記事へのトラックバック一覧です: 国民栄誉賞より助成基金の充実を:

« きれいにしよう | トップページ | メディアリテラシーの本質と解してみたら?(1/4) »