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メディアリテラシーの本質と解してみたら?(4/4)

(続く)
「(放送前日に)タイムキーパーがCG制作者(50代の男性外部スタッフ)に不謹慎な内容の訂正を依頼したが訂正されなかった」と説明している。どうやら検証をしたらしい。CG発注から放送までの流れはここではこうなっているようだ

1 ディレクターがCG原稿を作る
2 そのCG原稿でCG制作担当者に発注
3 出来上がりのCGをディレクター、タイムキーパーらが確認
4 プロデューサー、プログラムディレクターが最終チェック

どの段階が仮置きの段階なのかがこの内容ではつまびらかではない。
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ところで、前日、3のタイムキーパーがCG制作者(50代の男性外部スタッフ)に不謹慎な内容(「セシウムさん」)の訂正を依頼したが訂正されなかったと説明している。この段階で実は訂正せよとタイムキーパーさんが言っても、CG担当者に意図が伝わったのかどうかは確認できない。(ここで多分であるがタイムキーパーさん(これも外部スタッフの可能性あり)がCG製作者より若いとかあると、伝わっていなかった可能性があるなど、さらに見直すべき項目は多い。)

4のプロデューサーによる最終チェックはどういう段階なのかというと、多分当選者氏名を入れてからということの可能性がある。其の段階で最終的に外部スタッフによる作品が出来上がり検品・検収されたことになるからだ。プロデューサー、プログラムディレクターによる確認が行われていなかった以前に、プロデューサー、プログラムディレクターの目を通さないものが外部に流れたということになる。このスタッフにおっかぶさせてるという視点もなりたつが、一方未完成のものを見せてもプロデューサー、プログラムディレクターにとっては放送の「品質確保」は出来上がりにある上に、其の名前の確認や住所の確認がメインだから、タスクフローを代えるか、そもそも当選者をGCに特急で入れるという確認作業に無理があるという結論しか出てこない可能性も高い。いうまでもなく外部スタッフの倫理観は書いたことと指示があって聞いた場合でも訂正しなかった(・・もちろん伝わっていなかった可能性は高い・・・)ことはもちろん問題だろうし、放送事故の可能性を想起しなかったということもまた問題にはなろう。
倫理的問題はあるが、不謹慎ということを排除したなら単純仕事のなかで価値を見出すという仕事の質に、価値を見出せない仕事しかなかったならば、確かに刹那的に「面白い」のかもしれない。(自虐的でさわやかな笑いではないが。)けどそれは社会との折り合いで絶対評価がきまる。
もしかしたら、イギリスの笑いにはこのタイプの笑いはOKとなるかもしれない。余談であるが、イギリスにはシニカル視点の文化がある。ブラックユーモアは特にイギリスで好まれ、様々な文化で優れた作品例が育まれてきた歴史がある。また死も頻繁に用いられる(そして他では避ける)テーマである。その嚆矢となるべき人物が『ガリヴァー旅行記』の作者、ジョナサン・スウィフトであるが、「A Modest Proposal: For Preventing the Children of Poor People in Ireland from Being a Burden to Their Parents or Country, and for Making Them Beneficial to the Publick」(アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案)にいたっては、このセンスのみで構成されている。しかしこのシニカル視点はとかく海外から誤解のネタになる。(例:http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2011/01/-----1.html

つまり、「放送事故の次元ではない」という形で考えるならワーキングフローの見直しと、もしかしたら習慣に流されて確認するまもなく、本当ならできないことをやっていたということもいえるとおもう。作業の見直し、放送システムの作り直し、果てはこのような募集活動を生放送ではしないなど、後ろ向きを容認させるシステムをも前提にするしかないのではとおもっている。
もちろん、職員の資質を問う仕方もあろうし、企業のCSRという意味では当然である。しかも私の知る少ない事例でも、この資質を問うような職員の(低賃金)雇用がないことには成り立たなくなっているのも事実とは感じている。だから、これには自己矛盾もある。放送を統括する総務相は閣議後の記者会見で、この件に対して「心ない言葉で遺憾だ。十分な注意を自主的にしていただきたい」と批判したらしいが注意というレベルで抑止できる議論では元来ないだろう。偶発性と倫理性という経営的にはリスクマネージメントしかできない内容で対策案ができたら其の穴をかいくぐるというタイプの課題である。
どうしてもこのような問題は企業内で抑止するには資質の高い従業員の育成がということになるのだが、名古屋付近でも放送局のスタッフには直接雇用が成り立つほどの投資ができるとはいえない状況になっている。CG作成は特殊技能であって、放送の仕事は特殊技能職・専門職の仕事をどう組み立てるかというコンストラクション的仕事になっている。プロデューサー、プログラムディレクターは建築業における現場代理人に近いという形相になっている今、外部スタッフに仕事を任せるのは仕方がないだろうし・・・・。となると事後対策にする形になってしまうのは免れず、なんだかんだいっても放送局としてはそれなりの姿勢は見せているなあとは、冷静に見ると私は判断しているが、覆水を盆に返すには尋常でない苦労があろう。

たちが悪いのは、このようなある意味真実味のない内容でも、こと今の社会状況が不安の中に入っていることもあって(CG製作者も今の社会状況を見て作ってしまったともいえ)、現実には風評被害というものが必ず付きまとうものである。この風評の中には出現率の低いものも含まれりかもしれないが、このような場合大方の人は日ごろ知らない「セシウム」に対する過剰な認知バイアスが昨今の報道で避けられない以上、きわめて過剰にふれる。そして、伝聞で「岩手の米からセシウムがでたって本当?」なんて誤解まで出てしまったことも、問題を厄介にしている。
だから、県農林水産部長の「風評被害を乗り越えなければいけない時に、岩手の米が危ない、と言われるのは許し難い」との批判や、県農協五連のT会長は「放送事故でなく事件。悪ふざけにもほどがある」というのは風評被害への対策が実際には皆無に等しいということを知っているからであろう。
県農協五連、農家への謝罪や経緯を説明する放送を求めた一方、農協側は6日分のCM提供を中止し、フジ系列全般(岩手県は民放が4局あるのでフジ系もある)に対しても提供テロップの表示中止となり(またACかよ・・・とか)、毛かとして番組はうちきりになった。
この対応に対し、しかも近傍の放送局でないローカル放送であるので、多少過剰な気もしなくはないのだが、それだけ現在の情勢が着地点がみいだせず、着地点を提示しても納得できないため混沌としていることである。疑心暗鬼な情報のみが世間流布するという前提でものを考えるならば、報道というものを否定した世界が出来上がる。つまり情報というものが信頼性の低い瓦版程度までおちるわけ。この弊害はネットでも同じであるしある意味韓国はそれを先取りしているための弊害もいくらかある。
メディアリテラシーの本質が多くの人に見えない以前に、日々刻々其の前提が覆され、みんながメディアリテラシーというものの取り扱いと、採用可否の判断に迷っているという状況が今なのではないか。

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