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投資回収としての人材

かなり前、しゃべくり007という番組で見ていて結構ほーとおもったことがある。
オープニングにて。 いるのは
●ネプチューン、名倉潤・原田泰造・堀内健
●くりぃむしちゅー。上田晋也・有田哲平
●チュートリアル、徳井義実・福田充徳
だったが、このときすい臓炎で福田さんはお休みである。退院して自宅療養中。
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名倉さんは福田さんの不在を「ちょっと寂しいねんな」と言っている。上田さんは「ちょっと、って言い方も無いよね」と返すが名倉さんは「だってちょっとだけやもん(笑)!」。
原田さんは「あいつ色んなの拾ってくれるんだよね」という。この意味は福田さんのガヤを入れたり細かいツッコミを入れたりして、笑いに代えるように問題点を口にすることの指摘なのだが、原田さんは「お客さんには聞こえない声で」という漫才の本質からはちょっと変な言い方をする。

有田さんによるとつっこみ役である上田さん・名倉さんはちゃんとしたボケを「提出」しないと話として仕事をしない、つまり「来てくれない」といういみで、「お役所のツッコミ」である。ある程度話の前提などを広げなければ話題を広げないし、ボケ側が黙殺する采配をすることもある。しかし、福田さんはちょっとした大きくなりようもないボケのねたでも「何回言うてるんですか!」とかあまり深追いしないがこまめに突っ込む。しかし小声で言ってつっこむらしく、相方の徳井さんもわらって同意する。
これを有田さんは「お役所のツッコミ」に対比させ「民間のツッコミ」という。小声で言ってつっこむ段階で「ウケさせようと思ってない」という分けである。しかもほかのみんなは「民間に大きな笑いを期待しちゃダメ」などなど、みんなでさんざん笑うのだが、相方徳井さんにとっては、「みなさんはいいですけど、うちメインツッコミが民間のツッコミですから」というわけで嘆いてしまうのである。
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結構これ自身は笑えるのだが、それ以前に仕事のやり方、フローを図らずしも示しているのに笑ってしまった。
形式主義的で全部フローを整えないと仕事にならないのだが、仕事になると大規模で外れても当たっても規模が大きい「お役所」
見切り発車もありだが、タイムリーに数でこなしていく結果、小規模の積み重ねである「民間」
もちろん仕事がお役所のフローになっていたり、過去の複数のトラブルの反映の結果や免許制の中の企業業務などのように社会的要求がそうなっているのもあるのだが、ある意味こういうイメージはある程度納得はいくなあ。
けど、実際の収益性は当然民間のおいて一番具体的問題がで経営上てきやすいところである。つまり、「民間」規模の内容を全部フローを整えないと仕事にならないフローで求めるから、役所の民間に対する社会的な要請が整合しないのであろう。

さて、ITによる情報化が進むことに世界が汲々としている現在、日本も例外なくグローバル化の波に巻き込まれていかざるをえないし、国別の所得格差・企業運営の差の是正圧力もが日本にまで及んでいる。そのためにはもちろん世界の中で人々が世界中の優れた人たちと戦える力が必要ということはあろう。最も国内での市場に対し他者を撲滅させていくという手法もあったんだが。
韓国では、 1997年の通貨危機以降、官民挙げて「貿易立国」モデルへの転換を図るようになった。人口が日本の1/2.5程度の国では日本以上に「内需」だけで国を運営していくことが難しく、これ以上人々が「輸出」に懸けるしかない現実はある。そうなると国内の企業体でのフレームワークや、国民への利益還元よりも対外的要求に依存するのが容易である。他方日本の場合は存在がでかいため、「輸出」優先というビジネスが対外的政治的圧力になってしまったと私は思っている。この結果、国内にとどまって安定した生活を送りたい人は絶対的に多くなる。もちろん社会の安定(其の分変化を容認しない社会)といういみではこれは問題で、景気がいいときにはグローバル化のフレームワークを入れて、悪いときはローカルな仕組みの充実を図るようなところにふれる。
ところが、グローバル化のフレームワークと、ローカルな仕組みにはどちらもよるべき要因があるため、どっちの要因(しばしば相反している)に関しても規定を作るとほとんど内容が重ならず、かくて社会に評価される企業が過去の警官や論理に典拠していた規定の中で身動きが取れなくなっていくことになるし、ではそのような形で、民間らしいフローを作って切り替えることは、過去と同じように見えるトラブルが生じたときに「過去の実績を生かしていない。学習しない企業」ということになってしまう。

そう考えると日本企業には、海外には相当な実績を出している企業なのだが、日本国民にとってはもし身近な民生品をだしているにせよ、まったく社会的存在価値が(雇用という意味以外は)発露できず、但しその結果人件費などの稿とも抑えられるため、ますます国内市場には存在価値が明らかに見えないという企業がある。そのような企業においての社内に対する指示は、情緒的記載に優れ、またきわめて地域における周知性が固まった「日本語」で、海外の論理的かつ感情を混ぜないがために現実乖離で現場が混乱する英語など言語ベースの規定を指示したところで、結果的には海外の規定の直訳的規定の訓読書式になろう。しかし、国内企業ベースの内容もあるなら、どうしても情緒にかかわる日本的な指示内容も出されるから、指示を受ける側が混乱してしまう。かつて国内ドメスティックな経営と海外向けのワークフローは分けないわけにはいかない。

漫才師にとっては大規模で外れても当たっても規模が大きい「お役所」的な仕事と、タイムリーに数でこなしていく結果、小規模の積み重ねである「民間」的な仕事がどっちがいいのかというのは、少なくとも日本では堅実な芸人は小さい笑いネタをこまかくつむほうが、時代に適合していけば割と長生きするようである。ただしこのシステムについては語学の壁や言語的特性という要因はあるから正確な相関性はないだろうが。このようにワークフローは企業の展開先によって代えなければならない時期に来ているようである。

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