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メディアリテラシーの本質と解してみたら?(2/4)

(承前)
ただし、この一連の動きのなかで芸人・DJ・音楽プロデューサー(!)のふかわりょうがテレビ局の韓国押しを自分のラジオ番組でいったという批判を入れているのだが、これは、実は韓国番組放映の批判をしているようにみせかけて、その実は放送局の批判ではなくメディアリテラシーの本質という話で解している。いろんな人が(下記の報道もそうだが)韓流批判と十把一からげにしてしまうのはこれはもったいないのである。しかも彼の話は聴衆に「考えさせる」という意識が極めて強い(そのようなスタッフ構成の番組である)。うーむ、ここでは私はその正邪をあえて語らないが「台本なしなのに事前に考えて考え込んでしゃべっているなあ」と感心したのである。だからこそかれの笑いは瞬間芸になると逆に作りこみすぎて「すべる」のかな。
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意外なことだが、江頭2:50とふかわりょうに関しては、実はかなりインテリ性・特にリテラシーに関しては、自分たちがリテラシーを見せにくい芸風であることもあってか、わりとかっちりした言論を展開し、そのうえで舞台や画面でバカになるという側面がある。私も時々聞くことがあるが、特にこの番組「ROCKETMAN SHOW」では「はっきりと物事を言う姿勢が見られ、お笑い芸人・ふかわりょうとしてのイメージからは想像出来ないような真面目な発言もする。」とまで世間でもいわれているようだ。(ふかわりょうが書いているBLOGを読むと、ええ・・とおもう人がいるのもわかる。もしかしたら本当は座付き作家としてのほうが社会に認められる立場になったのかもしれないな。)
http://www.youtube.com/watch?v=dm9h3WGnNB4
http://www.youtube.com/watch?v=hcGonxKtEcY
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ふかわりょう高岡蒼甫に共感? 韓流偏重「テレビ終わったな」 2011年7月31日(日)19時23分配信 J-CASTニュース
韓流を強く推すテレビ局の姿勢を批判し、事務所を退社した俳優、高岡蒼甫さんが話題になる中、お笑いタレントのふかわりょうさんが騒動についてコメントし、ネット上で話題になっている。
ふかわさんがパーソナリティを務めている、「ROCKETMAN SHOW」(J-WAVE)の2011年7月31日放送回で、高岡さんの騒動について触れられた。
高岡さんが俳優業を諦める事態にまで発展していることについては、「言論の自由っていうのが、言葉だけは存在しているけど、実際には、凄く閉鎖的で、言論統制が行われているような殺伐とした空気感。村八分社会が未だに続いていて、なんか違うことをやるとやり玉に挙げられる」
その後、「本当か分からない」としながらも、例えば「あるテレビ局」が韓国政府からK-POPを流すようお金をもらい、さらに楽曲の権利も持っていて、K-POP歌手が売れれば売れるほど、テレビ局にお金が入る仕組みがあったとして、「だからその局がK-POPをバンバン流すというのは駄目なことか」と問題提起する。
ふかわさんは「法律はない」とするも、「影響力がある公共の電波を用いて一企業の私腹を肥やすやり方を推進するのは違反なことだと思う」と指摘。さらに、ある局がお金をもらってK-POPのCMを流すのと、番組の中で流れるのは「決定的に違う」とし、
「CMだったら視聴者はCMとして受け止めるけど、番組で取り上げるのは世の中の現象がこうなっているかのように偽装している。そこにメディアの大事な境界線がある」「刷り込みとかって、僕らはまだ判断できるけど、小中学生はそれが全てになってしまうから」
今回の騒動で、「テレビは時代を映すものではなくなった」と感じたといい、「完全に終わったなと思った」「テレビの画面を通して世界を見てたら、自分が痛い目に遭う時代になっちゃった」。かつて、時代を見るために映画館に行く人がいなくなったように「テレビの役目が変わった」とする。騒動の結論としては、「言いたくなる気持ちも分かるけど、批判しても結果的にあんまいいことない。我慢して自分の世界を突き進むのが正解な気がする」と話している。
ふかわさんの話はネット上で大きな話題となり、「説得力ありすぎ」「凄い言葉を選んでるね」「よく言ったふかわ 完全に応援する」といったものや、「言ってることは正論で真っ当だが、ふかわはこの件に関わるな。潰される可能性がリアルにあるとか異常な状態だからな」と心配する書き込みが寄せられている。
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「韓流偏重「テレビ終わったな」」というのは趣旨が私は違うタイトルとおもっている。この記事はアグレッシブに言っていて誤解されそうな。当人はややマイルドに例示しながら語っている。これには別記載もある。(このほうがわかりやすいかも)。
----------------------------------引用
例えば、店を経営している人が知り合いの可愛いブロガーにお金を払って宣伝記事を書いてもらうようにお願いしたとします。もちろん、知り合いだという事は書かずにですよ。どう思いますか?
例えば、僕がカフェをやっています。ブログ管理会社に金を出して100人のブロガーに店の宣伝を書いてもらったとします。これはどうですか?
僕は前者も基本的にはダメだと思います。家族、知り合いだから大目に見れなくもないのでグレーゾーンと思いますが本当はダメだと思います。
業者に記事を書いてもらうようにお願いするパターン、これが(お金とかではなく)決定的にダメなのは、“広告として打ち出してないから”です。つまり、テレビCMはどんなに俳優、女優が良いと言っても視聴者はCMの世界として受け取ります。ブログの中で「日常として」宣伝をするのは、ブログの中で「ちょっと告知させてもらう形でCMのように打ち出す」のと比べると全然ダメです。
それと同じような事・・・、テレビ局がお金貰っているからK-POPのCMをバンバン流そうとするのと番組の中で取り上げるのは決定的に違うと思います。CMだとしたらCMとして視聴者は受け取る。番組の中で取り上げるのは世の中の現象がこうなっていると偽装しているのです。そこにメディアの大事な境界線があると思います。
---------------------------------終了
「CMだったら視聴者はCMとして受け止めるけど、番組で取り上げるのは世の中の現象がこうなっているかのように偽装している。そこにメディアの大事な境界線がある」というのは、商業放送たる理由との相反的側面が本質的にある。番組放映ににお金を「提供」するのが広告主であるから番組が出来上がり、それに会わない発言は排除されるのが民間放送(日本の場合の)の「インフォマーシャル」である。というか、商業放送の本質である(有料チャンネルはこの例にあらず)そして実は番組の体をとりながらインフォマーシャルである番組は通販番組以外のものでもチョコチョコあるようである。
「刷り込みとかって、僕らはまだ判断できるけど、小中学生はそれが全てになってしまうから」
という発言に、普通の大人はこのような放送や広報活動に対し、すでにCM要素があるということを判断すべきという、情報リテラシーとしての逆説的な示唆が隠れている。ここにこの発言の深さと、それをあえて自己矛盾となりがちな「民間放送」で語るすごみ、さらには高岡さんの感覚先行の発言とは違った常日頃から考えてることを番組で論理的にするようにして語っているのに、興味がある。ただしこれらは、彼の主義主張までであえてとどめているというところが一応あるのは、一言付け加えておく。「僕は前者も基本的にはダメだと思います。」というのが其の彼なりの節度であろう。願わくは当面「ふかわ終わったな」とならないことを良識として訴えたい。
意外なことだが幼い時に見た「ひょっこりひょうたん島」にもこのようなCMに対する表現・示唆もあり、「ドン・ガバチョ」がしゃべっていた記憶がある。(1960年台)この原作は作家の井上ひさしがかかわっており、後年の作品を読むとさもありなんとおもってしまう。おなじことは過去からおもっていた人はいたのであろうが。
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いずれにせよ、この引用記事のタイトルは「テレビ終わったな」ということよりもむしろ、放送する側も放送を社会が見る中でも、このような判断基準のなかに伝達による誤謬が存在することはあらかじめ認識しておかなければならないのかもしれないということを提言していると言う様に見るのが本義ではなかろうか。(続く)

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