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スタイル逸脱もあんたの技量

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ブラック企業に続いて現れるのは"ブラック大学"!? - リアルライブ(2011年01月26日)
 書籍、並びに映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』によって有名になった、「ブラック企業」なる呼称であるが、この不景気の時勢によって、「ブラック大学」もまた生まれつつあるという。
 大学のジャンルや分野によって、その内容も様々であるが、いくつかの例を紹介しよう。
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<もはや教育機関としてのスタイルから逸脱>
 TVやワイドショーにおいて教授等がコメンテーターとして使われる機会は多い。また、教授として文化人として番組にレギュラーを持っている方も存在する。そして、メディアに露出する機会が多くなれば多くなるほど大学にとっては大きな宣伝となるのは至極であり、大学側は教授のマスコミでの仕事を後押しする形になるのは自然な流れであろう。

 ところが、これがエスカレートすることによって、教授は最早名ばかりの広告塔となり、全く授業には出て来れない。大学側もまるで芸能事務の如くテレビ業界や出版関係を奔走し、生徒の教育よりも大学関係者のプロモートに力を入れるばかりで、肝心の教育がスカスカになっているといったブラック大学が少なからず存在する。「あの有名な人が教えてくれる大学」「あの人が居る大学だから」という観点で大学を選んでしまうのは非常に危険だ。
<講師&生徒の落ちこぼれの吐きだめ状態のブラック大学>
 芸能や芸術に関係した大学に多いパターンであるが、試験等のハードルを徹底的に低く、間口を広くする事で、生徒集めに力を入れている大学は多い。 そして、特にそうした大学において教鞭を振るっているのはクリエイターの落ちこぼればかりといった大学は既に数多く存在しているという。 つまり、本業で食べていけなくなってしまった為に、とりあえず大学での教育にシフトして、アルバイト感覚で食いつないでいるといった講師が溢れているケースは珍しくないのだそうだ。
 そして、そうした講師たちの中には学歴や自身のキャリアにおけるコンプレックスによってか、人間的に驚く程に屈折したタイプもおり、パワハラ等の嫌がらせは当たり前といった状態が往々にしてあるのだという。こうなってくると大学は、本業で挫折した人間=講師と、学歴社会からドロップアウトした人間=生徒によるダメ人間のサラダボウル状態となってしまい、そうした環境が影響して、結果的に教える側も教わる側も社会の落ちこぼれの集まりの様な状態へと変貌していくのだという。
 大学全入時代と言われる今日。「ブラック企業」と同様に“入りやすい大学”には裏がある。学生諸子は受験に際して、大学の広告やイメージ戦略の裏を探る鋭い視点を持って臨まなければ後々想像もしなかった痛い目を見る事になるだろう。
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まあ言いたい放題いってますねえ。
けど確かに私も子供の学校見学についていって同じことを感じたことはある。もっぱら理系の大学であるが、先生と話をするより、いろいろ案内をしてもらう生徒さんと話をしていると、この生徒は先生に「考え方を習っているのか」「技術の具体的内容を学んでいるのか」「技術を学ぶ姿勢をまなんでいるのか」「先生の元に単に集っているのか」というのはわかってしまうことがある。問題は受験して入学する子供たちに、その姿勢が惑わされず伝わっているかである。
工学系の場合は特にあるのだが、先生が研究実績があるという場合のほかに、製品開発で活躍したとか、独自の姿勢を社会に貢献したかたちで、指導をするという先生方も少なく存在する。そして社会に還元する行為を産業との連携という形で行うとか、産業に貢献する技術専門職(研究職ということでないことも多い)という形の社会貢献になる場合も多い。ところが、指導の巧拙はやっぱりある。給与をもらっているのではなくお金をはらって集うとなるとやはり異なるのであろう。
たちが悪いのは、特に工学系にはあるのだが、「テレビ業界や出版関係を奔走し、生徒の教育よりも大学関係者のプロモートに力を入れるばかりで、肝心の教育がスカスカになっている」という場合、過半は研究資源(つまり協賛金)の募集という研究体制の確立と、問題はここなのだが院生を含む学生への研究材料の取り込みという、研究行為自体の原資確保というものがあるという、皮肉な問題がある。
もちろん国家なり有力企業の研究投資意欲や研究内容の実利的訴求が(そしてその研究コストの膨大化と支援金の縮小もある)、現実かなりの要因を占めているというのはあると思う。

ところで、本業で食べていけなくなってしまった為に、とりあえず大学での教育にシフトして、アルバイト感覚で食いつないでいるといった講師が溢れているケースはたしかにあるのだが、実は大学の場合研究費や依頼研究や寄稿がないと、なかなか大学といっても生計を立てることが難しくなっている。大学の先生にお金を多く出すということは少なくても、身近に相談をもちかける事例(無償ということもほとんどである)はやっぱりあるんで、そこで残るというのは難しいものである。そういう見方をすると、教官が毎年新陳代謝が激しいという大学のなかで、弱人の教官の継続勤務の長さが短いという大学はこの弊があるかもしれぬ。
一方、「学歴や自身のキャリアにおけるコンプレックスによってか、人間的に驚く程に屈折したタイプもおり、パワハラ等の嫌がらせは当たり前といった状態」というのは実のところ、どこの大学でも起きる割り合いはそう変わらないと認識している。大学の先生が昔のような「社会的に高い位置にある人」でなくなっただけ、周知されるようになっただけと私は思っている。
どっちにせよ個々の内容には妥当性がないとは言わないが、この文章を書いた人は相当過去にいやな目にあったのか、それこそ「学歴や自身のキャリアにおけるコンプレックス」が強いのかなあと思う。大学の広告やイメージ戦略の裏を探る鋭い視点を持って臨むのは、やはり事前のリサーチが必要で、やりたい人や行きたい大学の知り合いを如何に捕まえ、アドバイスをもらっていくかともいえるが、反対に「大学の先生を使ってやる」ぐらいのある意味尊大な姿勢と、その尊大な姿勢に見合う自己研鑽ということに自分を見出すというのも答えかもしれぬ。スタイル逸脱も今から学生になるあんたの技量だというわけだ。

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