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トレードオフの関係(1/2)

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脱原発と電力確保のトレードオフをどうするか  大西 宏  2011年06月13日  (抄録)
http://agora-web.jp/archives/1343282.html
関電が7月から15%節電を求める方針を固めたことで、脱原発と電力確保が、あちらを立てばこちらが立たずのトレードオフの関係にあるという現実が浮上してきたことになります。関西への製造拠点やデータセンターなどの西日本シフトへの期待にも、突然冷水がかけられました。
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国民のなかに脱原発への機運がたかまってきたことは自然な国民感情の流れだとしても、では、実際にどのように脱原発を進めるのか、政治が国民にコンセンサスを得るエネルギー政策を示せるのかどうかに、日本の経済、また国民生活にとって、極めて優先度の高い課題になってきたと感じます。
菅総理は、自然エネルギー重視への転換を打ち出していますが、脱原発にいたる過渡期のシナリオについては一切触れていません。脱原発という目標を掲げることは誰にでもできることですが、もっとも重要なのはそれを達成するプロセスです。はたして次の政治リーダーがそのシナリオを描けるのかどうかは、なににも増して重要なテーマになってきています。

関西電力が節電を求めてきたのは、11基ある原発のうち3基が定期検査を終えたにもかかわらず、地元が安全対策が十分でないとして再稼働に難色を示し、再稼働の目処がたたないからです。
関西広域連合が、電力逼迫を見越し、節電目標を独自に5~10%と設定したばかりでしたが、関電サイドは、それ以上の電力の逼迫を予想し、それを上回る節電要請を求める方針です。
突然の発表に説明を求める橋下知事との会見を八木社長が断ったことは、脱原発を強く打ち出した橋下知事への反発があり、牽制球だという印象を深めています。
この綱引きがどう収拾するのかは別にして、脱原発と電力確保が、両立しないことをあらためて浮き彫りにしています。。
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むかしから、原発をめぐる議論は不毛な罵り合いになる。これは事故の前後では代わらない。原発の機器をつくっていることを周辺住民が知った段階で建屋に石が投げられることは往々にしてあるのだが、作っているのが安全装置であっても容赦はない。下手をすると職員の弁当を納入しているというだけでも同じことになった。要するに関与すべきは皆殺しという視点になってしまうことは多い。推進派と反対派が別の「宗教」みたいで最初から結論が決まっている場合が多い。このことは以前の柏崎刈羽原子力発電所の地震復旧でも私は感じた。先入観や思考様式の違いがベースであるから、話が相容れないところがあるのだが、これは重要で、深刻な問題になればなるほど、その違いを埋めることは困難になっている。
人間が論理的に話し合えばわかるというのはある程度の意見のコンセンサスが前提であるんですな。それは政治的立場でもあり、社会的なたちべでもあり、下手すると人脈でもあったりする(このため、天下りによる人脈をまったく根絶させると、コンセンサスの齟齬が大きくなり、インフラ系の社会的基盤企業は成り立たないというのが私の考えである。もともと異なる意図のコンセンサスを持っている人には言いかえをする人がやっぱり必要になる)。

そういえば五・一五事件の首相犬養毅の殺害の「話せば分かる」「問答無用、撃て!」のやり取りは有名だ。これもそうなのか。
犯人の青年将校は殺害に失敗する恐れがあり、見つけ次第射殺する計画だった。しかし犬養は自ら応接室に案内し、犬養の考えやこれからの日本の在り方などを聞かすつもりだった。そこを別隊が応接室に乱入し養腹部を銃撃、次いで最初の人が頭部を銃撃した。
犬養はしばらく息があり、駆け付けた女中に「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」と強い口調で語ったと言う。犬養は毒舌で有名で、いたづらに政敵を増やすところもあったという。普選・軍備・南方進出・産業立国など独自の政策をもっており小さな政党で割とあちこちに「変節」したように見えるが、今様に言うと「バルカン政治家」という言い方になるかも。(よく挙げられる例が、 三木武夫・武村正義、そして菅直人もそうだとか)意志が強固で悪や卑劣を憎むが運用上は現実主義な性格からくるものだともいえる。
もちろん青年将校と犬養には立場の違いは大きいが頭から「言葉」が通じていないところがある。

政治的な論争では、細かいデータのどうこうより異なる意図のコンセンサスがとれないことがデッドロックに陥るという。往々に学者が社会に意見を得られないのは、彼らが学界の中で共有しているフレームが一般社会で通用しないというのだ。しかし、基本的に学問・技術・政策自体もこうなってしまうことは必然であるところはあるし、専門化した一般社会にはこの間を翻訳する人材が必要であるのだが、翻訳は翻訳ならでの限界があるのではあろう。うまくいかないのが現実である。したがって学者の発言を同意しないことが学者以外の人にとってはステータスや存在価値になるようだ。「原子力村」とかいう言い方をして閉鎖性を指摘されるが、いやそれをいうとやっぱり「自動車村」「工作機械村」というところはあるんですな。さらにフレームを濃密に共有する日本型組織は、イノベーションというかフレームの組み換えに会わないから、ますます「村」に見える。けどそれを感じるのも多くはほかの「村」の住民だったりする。(続く)

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