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安値底値にアタックチャンス(1/2)

食中毒事件の報道映像で、「和牛ユッケ税込294円」という価格設定にびっくりした人は多いらしい。

知人の話だと北陸地方の大型スーパーで時々ユッケが売られていたこともあったそうだ。値段は普通480円だったとか。ユッケは大体卵の黄身がセットだから極端な容量変化はないから価格比較が効く。(ただし、このスーパーのは「和牛」でなくせいぜい「国産牛」だった上に卵もウズラだったようだ)そう考えると「ユッケをそんな値段で出せる訳がない」と想起できなかったほうにも応分の過失がないのかというのは同意できることである。
けど、私はむしろ、「スーパーで時々ユッケが売られていた」ということも驚いていたのである。 もちろん、ユッケは毎日出ていたわけでなく、出ない日の方が多かったとか。私もユッケは好きだが、なかなか食べることがない。そんなに質のいいところが手に入れることができる店というのも相当売れている(というか肉の流通サイクルが極めて早い)店や、農場の直営を売りにしている店でないと出せないということも聞いた事がある。
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また、上等なユッケに多く使う「シンタマ」といわれる部位ってのは「うちもも」の下側にある球状のかたまりで。やわらかくきめの細かい赤身で脂肪分は最も少ないだそうだ。しかしそれ以上にこのシンタマの加工に関しては、相当外部を捨てるものだから「シン」(芯)というんだということを、知人から聞いていた。この知人の家業は神奈川県で高級牛なべ店に肉を販売している(当人は機械設計の仕事をしている)店舗なんだそうでので、肉の選定は結構学生時にやっていたという。ある日何人かと一緒にしゃぶしゃぶを食べにいったら、肉の「あく」の出方を見て「これは肉はそこそこ高級ではあろうが、冷凍だし、保管が悪い」とかわかるんだとかいっていた。だからまあ現場では生食用の管理については結構言われていたのだろう。このようにちゃんとした店は「今日はいい肉がないから出せない」というというのが多いのではとおもう。もっとも「品質上ウチは今日は凍らせて出してます(って其の時点でユッケでないなあ。ルイベの一種になろう。ある意味殺菌効果は高いため安全ではあるが食味は代わってしまう)」とかいう場合もある。いずれにせよそう簡単に入手できないもんだが。
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「安くて良いものはない」ということは一般的には通念であろう。高いからいい、とはいえないが、品質がそのもののそれ相応の値段(=相応のコストの対価)になって当然というところはある。トリミングの意味は、表面の酸化の激しいところや、油のように酸化して痛む原因になるものを排除すること、そして雑菌の排除なのだそうである。一般にはこのような肉は焼き物や煮物に回すことで消費されることであるので、逆に大量の肉処理をしていない業者でないと食べさせるわけにはいかないというのは成り立つ。

ところで、ユッケは生肉を食するもので、処置を間違うと大腸菌やサルモネラなどに感染する可能性がある。そして、毎年、20件ほど食中毒が発生しているらしい。(死亡はまれ)2008年にも生肉由来の事故があって、このときは有名芸能人が直接経営している店舗ということで話題になった。しかし其のときにもあったのだが、消費者の支持(しかもリピート注文)はいろんな調査でもきわめて根強くて、この状態で禁止したところでヤミに移行する結果問題が潜行するということは意見としてあったようである。(モラルハザード)さらに類推解釈の結果、生ものを全部否定するとなると今度は寿司・刺身などまで否定する論旨になるという返す刀によって社会的な問題が起こるという憂いもあるらしい。生肉の処理方法に罰則規定がなかったのは、「食中毒が発生して人的被害が出れば、当然に営業停止以上の処分がされ」という発想だったのかというと、どのみち食を排除できない問題だから情報を出して注意を呼びかけるしかない上に、欧州でもどこでも、禁止をすることができない食習慣になっているということで、禁止ができないということになってるのだろうと思う。(極論すると、日本では豚の生肉は問題だが、ドイツではックペーター・チューリンガーメッツブルストという加熱せずスパイスを効かせただけの豚ミンチ料理があり、結構朝食に用いられるらしい。この場合は専用の無菌豚を用い販売は作った当日のみで、政府によって厳しく品質基準が定められているらしい。豚の場合はほとんどの国が生食を禁止しているのに、堂々生き残るわけである。あたかも河豚の卵巣の糠漬けのころごとく)
また畜産農家が自宅で肉をさばく事を否定できないということもある。(ふぐ中毒の事故でも家庭での調理によるものがやっぱり残っている。別に食通(あるいみうまいものに目がない)だったからこそ頓死した人間国宝である八代目 坂東 三津五郎のような事例は今は少ないようだ)
このように生食自体の禁止が望めない。しかも生肉を食べること自体はもともとのユッケ自体がタルタルステーキなる欧米料理に源を発しているということで、うっかり禁止すると食習慣の否定につながり国際問題になるという憂いがある。
こうなると事実上の流通制限ということで、生食用食肉の規格や衛生管理に沿った食肉に限り「生食用」と表示することとしている。しかし、これがまったく遵守されない状態なのであるが、聞くと「確かに誰が扱っても安全が確保されるが、その代わり熟練者によっても生産性改善の余地がない上に、工数が従来の4倍以上というところで、購買側にも販売側にも商売にする意欲がなくなるものである。この場合はそもそも流通させまいという視点に立ったものとおもっている」ということになる。従って自主基準に基づく技術(これは畜産技術・解体技術・保管技術・調理技術)があるならば販売の抑止ができないようで、多くの加熱用食肉(但し、これは認証上加熱用となっているというだけで、生食用として不適格ということではまったくない。昔特級酒クラスの酒を高くなるからの無認証=二級酒として出した業者があったのと似ている)が自主判断で提供されている。もちろん肉をロットごとに検査し、ちゃんと其のデータを店舗までおとしているから供しているという業者も特に畜産農家に近い販路では行われているようである。またトリミングをするよりもある程度まで切り分けたら「タタキ」にするという手法で生肉を食べる手法があるし、そもそも牛ステーキは「レア」で食べるのが普通である。
また、こと韓国でも生肉料理による食中毒が毎年のように発生しているというのもあり、苦慮しているようである。
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かくいうように、もともと生食はこと肉では非常に危険性が高いが、否定することができない存在ということになる。まったくの生肉の流通性がいままでそこまでなかったことは、疾病を苦にする事例がすくなかったのか、また高価なのでそこそこ頑健な大人しか食べないということがあったから問題が大きくならなったのかもしれない。
子供に生肉を食わせるというのを非難することもある。もちろん問題意識が購買者のほうに広報されていないというのがある。そういうと、蜂蜜は加熱殺菌すると組成が変化するので殺菌ができないことから時にはボツリヌス菌の胞子(芽胞)が含まれることがあるのでで、抵抗力のない乳児に蜂蜜を与えるな(「一歳未満の乳児には与えてはいけない」という1987年厚生省通達)というのがある。しかし、これとて通達にとどまってしまう。というのは蜂蜜自体を加工して作ったケーキなど工程中に加熱されていたものとて区分がつかないことと、其の指導を各家庭まで強くすることが事実上空文になってしまうからである。また問題は違うが子供に極端に辛いカレーを食べさせて命を落とすのさえ政府が規制するかとなると・・・・食を供する人の責任以上に危険性をどこで見極めるかは法的裁量になじませると、文化的な統制をどうとるかということになる。(ちなみに子供に極端に辛いカレーを食べさせて命を落とすというのは聞いたことがないが、からいものを常食する地域ではこどものころから驚くようなものを食べているわけで、一義的な定義ができない)
このように食生活というものは問題の抽出が難しいからこそ、リスクを各々食べる人・供給する人が分担するしてんが必要であろうが、其の分担に対してどこまで公的に指示するかはなやみのたねだそうな。 
そうなると、日本における安全性認識で一般的に庶民がリスクが担えない社会では、生肉を食べることは社会的通念に反するという認識になり、かくて生肉を食べるような食習慣の料理は、衛生上出してはいけないということになるしか、社会の安定が望めないわけで、せっかくの消費者庁が各国の非難を無視していくしかない気もする。 だいたいユッケの場合生卵の黄身が載るが、じつは卵を生食できるのは日本・韓国ぐらいである(食材として生卵は使うがメインでない)これはサルモネラ菌が生育するからであるので、それ以外の国でユッケを食べるのはきわめて困難ということになる。
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つまり、かなりの安全性が保たれた食習慣のなかで問題が起こる場合、単純に衛生概念を高めるといっても経験則が成り立たない確率的発生であって、かつ其の対処手法が経験的なものしかなく、しかも

代替するものがない

というものであるなら、法的対処による禁止は問題を潜在化させることになり、法的遵守の概念・順法精神のほうが先に崩れてしまうことになるのである。(禁酒法と同じ側面がある)

たとえば、今のどに詰まるとして「こんにゃくゼリー」が禁止されたとする。国外ではローカロリーのゼリーの代替品として用いられる経緯から、だったらゼリーで代替するべきということで早くに禁止された。つまりこの場合ローカロリーということは代替可能ということを意味しない。
ところが国内ではもっとたちの悪い「餅」というものがあり、窒息リスクのある危険な食べ物であることは常識として広く周知されて、餅による窒息事故は消費者の自己責任であると捉えられている。(ちなみに韓国の餅であるトックはうるち米で作るのであまり延びず、のどをつめない。このことが韓国で「こんにゃくゼリー」が禁止されたことにつながる)
つまり代替品があるかなしかについては主観によるところがあるのだが、市民感情が禁止できない食習慣になっている場合(2009年の東京都での意識調査では、過去3か月間に生肉を食べた約400人中、29人が体調不良になったがその後も生食を続けたと回答したという記載がある)はうっかり禁止することが、そもそもの法規制の意味を否定することがあることを想起する。
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たしかにこのようなことから考えると、うっかり法的規制で個別に禁止すればいいということはいっては成らない側面がある。その意味ではひとつ提案できるのは
ふぐ調理師
のような資格取得者による運用を規定させることで、責任の明確化と基本的な技術維持の目標設定を図ることであろうある。いま、ふぐ調理師は、ふぐ条例に基づき都道府県知事が行うふぐ調理師試験において免許を取得した者である。有資格者以外はその業務を行えない業務独占資格である。(但しふぐ調理師の免許・資格は各都道府県が個別に定めているため、特段の定めのない限り当該都道府県内のみでしか通用しない。条例でなく運用規定としているところも多い。フグ調理師の免許制度がなく、食品衛生協会が2年に1度行う調理講習会を受講し、その後保健所へ届け出という県もあるtららしい。この場合法的拘束力が弱く行政指導で改善を求めざるを得ない。)

衛生管理という「なすべきことをしなかった者」に対して世間が容赦のない対応をすることは、やむをえないあろうし、そこを明確化することであろう。ただし大きな問題がまだ残っている。本当になすべきことということが分析されているのか、其の中には衛生のためか、食味のためかという分析がまったくなく、単純に数を増やしていくことが、そもそも業務の改善意識全体(もちろん衛生も一緒)をなくすと、結果的に何の解決のも成らないのである。
もともと、「なすべきこと」がもともと確実で盤石となって固定化するとなると、既存権益となり新たなニーズ対応できなくなり創業ができなくなる。(もちろん麻薬の緩和規制政策のように撲滅が目的ならそれでいいのだが)ふぐ料理店においてもふぐの普及がある程度以上は広がらず、市場が拡大しないことがあり、このため関西では出荷地での調理品を密封して使うということで流通を変えて、やっとニーズ拡大に対応しているし、そのようなニーズが得られていないところには、市場拡大など不可能になっている。フグに関しては代替可能なものがないからこそニーズは高いのだが、「なすべきこと」が一人歩きし、結果的に市場に拡大が働かず、これが社会的利益を失うという面があるのに気がつくのである。(続く)

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