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もてるものもたざるもの

「持っている人は与えられ、いよいよ豊かになるが、持ってない人は、持っているものまで取り上げられるであろう」
『新約聖書』の「マタイによる福音書」の13章12節そのものを謳うこの現象を、社会心理学ではマタイ効果と言うそうだ。  この言葉は、米国人社会学者ロバート・マートン氏による。(機能主義を唱え批判的継承をした社会学者)21世紀の富の配分について、上記マタイ伝をもじって、金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏人になってしまう不公平な現象・社会法則をいったわけ。

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原典が聖書だとなかなかピンとこないことがある。たとえば、モーゼ効果というのがあるが、弱い反磁性体たる水を入れた容器の中心に強力な磁石を入れると水が左右へと分かれる現象である。なんか珍しいことをすると元は注目を浴びなかったのにそのうちさーっと驚愕と尊敬の眼差しで注目され、空気が一変した。

もっとも、マートンは、条件に恵まれた研究者は優れた業績を挙げることでさらに条件に恵まれる、という「利益—優位性の累積」のメカニズムもいっているらしい。だからお金の話で限らず、すべての資源の配分、開発、人材養成においていっているようだ。つまりこのような手法はプラスの側面を持つが、一方で行き過ぎると、普遍主義がなりたたない(例:無名の新人科学者の論文など業績発表に不利)、科学の発展を阻害するマイナスの側面を持っている。
たとえば、金持ちは概して裕福で愛想がいい。金持ち喧嘩せずとかいう。その結果善人に映るものだから、情報や人材が集まり、それで益一層繁栄ということになり勝ち。また資本のある人は基本的に消費する余剰資本も多いものだから、投資機会も多く失敗をもろとはしないので、資本蓄積を行いやすい。反対に、貧乏人は困窮して見えたり、間違った機会ばかりが訪れて、不平等の発生と生産を繰り返してしまう。
そう考えると。「大貧民」と言うトランプゲームってものがある。カードが配られた後、 大富豪は、大貧民から一番いいカードを2枚上納させ、お返しに、大貧民に最低のカードを与え、そこからゲームがはじまる。まさに、マタイ効果そのものである。
これは都市間競争があるときの資本集中という側面にも用いられる。
地方に高速道路や新幹線、橋などの交通インフラが整備された際に、地方の活力が大都市に奪われてしまう現象をストロー効果という。
「コップ」(地方部)の水(活力)が「ストロー」(橋・鉄道など)で、都心部に吸われるさまに例えた表現で、交通路を充実させると一般的に想定される都会から地方部に人が来るということが成り立たず、逆に地方部から都会に人が『逃げ出す・通う』こと。結果地域の商店や企業の存続意義が失われる。これは、大都市との直結による産業振興効果を期待しにくい地域が、概して資本蓄積が相対的に低いことによるわけで、以前なら公共投資や税金の再配分によるものでこれを修正できていたのだが、差異が少ない間でも人が『逃げ出す・通う』ことに対する人的障壁が少なくなった上に、資本蓄積高に対して税による投資が相対的に少なくなってしまい効果を見出しにくくなったということではとおもう。
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ずっと砕けて

というわけでかなり前のおねだりマスカットDX(東京地区 2011/1/19 2:50 - 3:20)でおやっとおもった話。

<パイ寺成仏堂>
凛々果「(大阪の自分たちの)コンサート会場で母親が自分の会社の名刺を関係者に配り回りうっとおしい思いをさせた」(彼女の家は託児所を経営しており、当人も保育士資格を持っている)
大久保「あの名刺託児所のなの・・・」
考えてもなぜそこで名刺を配る理由が見えないのだが・・・・・・もしかして業務がうまくいっていないのかとといぶかしがった皆。
凛々果「託児所儲かるんです」
矢作「託児所で儲けちゃだめでしょ(笑)」
大久保「感じ悪いですよ」
凛々果「お金はお金が好きなんです
大久保「まあ、なんてことを、なにわ金融道みたいな大阪の悪徳商人の汚い言葉を・・・」

かくて罰ゲームとしてがんがんパイを食らっていたわけで、しかし自分のミスでもなく、ぼそっと「お母さん・・・」んていってましたな。もっとも、託児所は儲かるイメージよりきつく、大変ないイメージの強い現場という気もするが。
この「お金はお金が好きなんです」というのは作家が考えるのだろうが、凛々果自体、大阪の高級キャバクラでも働いていることを元から公言している(しかし大箱だな)上に妙な金満キャラを演じているからなあ。
ただし、大久保佳代子が突っ込む以前に、これはじつは真実なんであろうとおもう。凛々果自身が考えたとも思えないのだが。

さて、「持っている人は与えられ、いよいよ豊かになるが、持ってない人は、持っているものまで取り上げられるであろう」という言葉は原典から見ると、どうもこの一節は物事の心理や知識を得るには条件に恵まれた人のみがさらに高い知識や知見を得る条件に恵まれる、という「利益—優位性の累積」のメカニズムをいっているのだが、例示(譬)に使われているのはまさに「収穫」という銭金的な話である。ようするにこうでもしないと納得の端緒も得られないという経緯があるということを語る。聞くには聞くが悟らず、見るには見るが認めずとなると、その下で暮らす人には目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないことになるとあくまで、布教活動の前提条件として定理として語っているという、説明できない前提として言われていることに気がつくのである。
-----------------------------引用
参考: 第13章(前半)口語訳
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
イエスは譬(たとえ)で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」。
それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。
そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。
『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。 見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。そこで、種まきの譬を聞きなさい。だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。(後略)
-----------------------------終了

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