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情報戦でもある

P.バラカン氏 ラジオでの反原発ソング放送禁止の裏事情語る  2011年5月4日(水)16時0分配信 NEWSポストセブン 元原稿SAPIO2011年5月4日・11日号
 震災後、きめ細かい情報や人々を癒す音楽などで、再び高く評価されているラジオ。FMラジオ「Inter FM」でピーター・バラカン氏がDJを務める番組「BARAKAN MORNING」(月~金、7~10時)もそのひとつだが、騒動は4月1日、金曜日の朝に起きた。突然、バラカン氏がこう言い始めたのだ。
「僕は忌野清志郎さんの声が実はあまり好きじゃないので、これまでかけてこなかった。でも、多くのリクエストがあり、詞を見て、今かけるべき曲じゃないかと考え、『ラヴ・ミー・テンダー』をかけようと思ったのですが、局に止められてしまいました」
『ラヴ・ミー・テンダー』とは、RCサクセションが1988年に発表したアルバム「COVERS」の収録曲で、反核・反原発ソングとして知られる。
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 氏は穏やかな口調ながら、不満が滲む。その気持ちを抑え切れなかったようで、番組終了時にはこんなセリフも。
「それではまた来週お会いしましょう。僕のクビがつながっていれば……」
 そして、翌月曜日。番組には登場したのだが、まだ怒りが続いているのか、同じくリクエストが多かったという反原発を歌ったRCCサクセションの『サマータイム・ブルース』をかけた後に、こんなタイトルの曲をかけていた。
『TELL IT LIKEIT IS』『YOU LIE TOO MUCH』 直訳すれば、こうなる。「本当のことを言って」「あなたはウソばかり言っている」……。

 一体、何があったのか。バラカン氏を直撃して聞いた。
「僕の番組で紹介するのはほとんどが洋楽なので、清志郎さんの歌をリクエストするリスナーもこれまでいなかった。しかし、原発事故後、驚くほど多くのリスナーから『ラヴ・ミー・テンダー』のリクエストが殺到しました。それに応えるのが誠意のある対応と考えたわけです」
 ところが、局側から思いもかけないことを言われた。「通常、僕の番組では一切、選曲の制限はありません。ただ、日本語の歌であり、こういう時でもあるので、一言だけ事前に担当者に伝えたところ、今はあまりよくないのでは……と言うのです。“牛乳を飲みてぇ”という歌詞が風評被害につながるのではないかと心配したようです」
 理解できない話ではないが、納得はしていない、とバラカン氏は続ける。
「風評被害を広げることを心配するよりも、風評被害が出ないように情報を全部出すほうが先決だと思います。そもそも風評被害を考えなければいけないのは、正確な情報がないから。東京電力や政府はすべてのデータをわかりやすい形で公表すべきです」
『TELL IT LIKEIT IS』などは、リスナーが東電に向けてリクエストしたのでかけたのだと言う。
“クビ発言”については、「本気でクビになると思ったわけではないけれど、瞬間的に思ったことをつい言い過ぎてしまいました。でも、そのぐらいの覚悟がないとダメでしょう」とも。
 長年『CBSドキュメント』(現在はCBS60ミニッツ)の司会を務めるバラカン氏が、日本の放送局の役割についてこう語る。
「ラジオはリスナーのため、テレビは視聴者のためにあるというのが僕の基本姿勢であり、崩したくはない。しかし、日本の放送界は全体的に、視聴者のためというより、局の利益のためにあると思っていると感じることがある。こういうことを言うと、今度こそ僕の仕事はなくなるかもしれないけれど(苦笑)」
 3.11を境に世界は変わる、とバラカン氏。原発をどうしていくのかは、国民投票などを含めた国民的な議論が必要だと考えているという。
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私個人は、原発に関してはあくまで微小な割合にすることは必然としても、全面禁止ということが化石燃料偏重というところにしか大局的には寄与していかないという憂いを感じており、環境面・技術的な危険性・人間が抑えきれるかという視点のバランスを考えるべきと考えている。逆に言うとエネルギー資源を持たない国(国民)の生計ということをどう考えるのかである。これに関しては本当にとんでもない原稿の量になるのであらためて述べる。

さてそれを抜きにしても、あまり洋楽を聴かない私にとってはピーター・バラカンさんというと、誠意あるが辛口のコメントで真実を「静かに」あぶりだす『CBSドキュメント』という番組を長年されており、2次報道とはいえかつてのTBSの報道の良心の痕跡を伝えるものと理解でき、その姿勢は私も強く共感するものである。
またエフエムインターウェーブ自体は外国語放送を主とするということで関東広域圏の内、外国語放送(放送法施行規則にいう外国語による放送を通じて国際交流に資する放送。4社存在していたが、閉局により3社・・このような事例が生じるのでは免許制度が根幹から狂うことから、以降スポンサー・株主が得られないことで苦境に陥る放送局への投資規制の緩和が行われている)実施地域という狭い範囲の放送局の上、この特徴(もともとは神戸震災の対策のなかからでたプランである)を生かす上で収支を得るのに苦労している。(株主がテレビ東京になったなどもその経緯である)そして日本語放送との増加もあるようだ。このように投下資本が極めて厳しい段階で(実際、外国語放送は株主が代わったり、業務を他局に委託するに等しいということで投資縮減を図るしかないようだ)風評被害につながるのではないかと心配というのは、このような基盤の脆弱さが放送局全体にある現実ではわかるのだが・・・
このような事情を考えると忌野清志郎氏の楽曲をかけないというのは従来ならリスナーの層を考えるとある程度妥当性があったわけで、地震以降のかけざるを得なくなるのは、放送局として悩むのかもしれないなあと同情はする。

ところで、

「風評被害を広げることを心配するよりも、風評被害が出ないように情報を全部出すほうが先決だと思います。そもそも風評被害を考えなければいけないのは、正確な情報がないから。」

というのは今は私は疑っている。出した情報が全部かという担保が聴取者に得られない以上、情報を出していくほど不安が生じ風評被害がむしろ出てくるというのである。
ピーター・バラカンさんは『CBSドキュメント』という番組では、米CBSの番組という既にある程度内容が保障担保できるものを材料として、これを二次評価し、そのなかでどのように報道の中身を評価し、解釈していくというところで辛口ではあるがはっとする示唆を与えてきた人である。しかし、1次情報はその内容への解釈に極めて幅があり、返って信頼を得られないことがどうも起こるのである。
このように風評被害が出ないように情報を全部出すということは、過去に大きな問題点になったことがある。というのは、そのドキュメントの行為が理解できない人がこの情報を得ることで、きわめて信頼性を持たない意見がひろまってしまうことになる。
最近まで原子力の事故はきわめて重篤な問題が隠れることから、細かい事故(破損状況)などからすべて、なんらかな報道発表が伴うことになっており、記者発表がされていた。
ところがこれをやってどうなったのかというと
(1)細かい作業においてもこのように不良が出るということがあるなら、本体にも不良があるという拡大解釈がでてきて、作業には不安があるという感覚的指標による反対派の指弾を浴びた。
(2)原子力技術を海外に販売することにおいて「報道資料」の数で事故率を比較する手法があり、其の意味で「日本が技術が未熟である」という報道をされてしまった。但し、その後英・米・仏の製造業者と日本の企業が合弁化にすすんだように、この算出方法が異なる(というか過剰対応と認識されていたようだ)のは専門家には知られていたが、予算獲得においては海外でのアドバンテージは低くなってしまうことになった。
(3)このように細かいところまで事故情報を求められ、其のたびごとにデモが起こるという現実の前にして、従業員にたいしモラルハザードが起き、ないしは本当の実務以上に連絡・報告という事務量が莫大になり、業務全体が形式的になる。
ということになったと解釈されている。
もちろん、モラルハザードに関しては企業内の連絡が形式的になってしまい、問題意識の希釈が生じてしまうのは企業体質の問題である。また研究開発設計と維持運用管理の担当者を共用化することは問題意識の希薄化を生じさせることで問題が公にされにくいため、専門家だから事故は防げたというのとは難しいというのも一面あるとおもう。(さらに技術の細分化がこの分野は内容の複雑化から逃れないため、研究者と運転管理者の技術職分は志向性まで違うのである)
まあ同じことは其の後のユッケの食中毒とか、カイワレダイコンなどともいえるのだが、正しいという情報を出しても其の情報源の存在自体に否定がされた段階で、風評被害が出ないように出しうる情報を全部出すとしても物理的に隠蔽の意思がなく、また情報経路に混乱があって錯誤があった場合、情報源の存在自体に否定がさらに重ねられるとなるわけである。
但し、風評被害という概念は本質的には日本以外では甘受されていたり、それは個人の判断に任された形になっている場合が多く、簡単に企業が風評被害で倒産しても「仕方がなかったね」で終わるのが普通だと聞いたこともある。韓国のインターネットによる人権侵害はたまらんなあと言う人もあるが、日本以外の国には「そのようななかでつぶれるのは其の人間が力がない」と解する場合もあるようである。このように、風評被害が出ないように情報を全部出すということは理論上では当然されることであるが、其の要求の無制限な膨張が他に波及し、隠蔽に走ってしまうという現実もあることを考えると、ピーター・バラカン氏のいう概念が通用しないところで結構悩んでいる人や社会が多いのではとおもうのである。これをいう事自体にピーター・バラカン氏の姿勢を改めて見直したところも、私にはあるが。

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