« 不謹慎ネタとはなんだろう | トップページ | 暗いと不平を言えなくて、すすんであかりを消している(2/2) »

暗いと不平を言えなくて、すすんであかりを消している(1/2)

このかた、減光のなかで書類を読めなければならないことが多い。手元照明などを苦労してるが、周囲のことからそういうものを使うわけにもいかない。勝手に電灯をつけるわけにいかないどころか、私自身がエネルギー管理上そういかない立場。いままでなら、「暗いと不平を言うよりも、 すすんであかりをつけましょう。聖パウロのことばより。」なんて思い切りいい加減な言葉を出しながら電灯をつけてるもんだが。(ちなみに「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない - 聖パウロの言葉より」というのはおなじカトリックの教会がやっている番組で使われているモットーで、対の関係になっているある。とはいえ最初のに「聖パウロ」・・・初期キリスト教の理論家、新約聖書の著者の一人・・・は勇み足である)

もっとも今は、すすんで「世の中に奉仕するとか」という意味で先駆者になることから、ともし火をつけるのが妥当ということではあろう。そのともし火はLED照明への移行とか。またこれはもしかしたら政治家のリーダーシップの裏返しかもしれない。
ブログランキング・にほんブログ村へ

但し、地震以降減灯で私は眼底疲労がすざましく起こりだす苦難にあっている、そのうえ街灯がコンビニ設置後はずされたというところも多いからか、コンビニの照明がない暗い道で溝蓋を踏み抜くことも数知れず。知人は「これで夜空がきれいに見えるようになり、考える時間が得られました」というのだが、むしろ私は階段での踏み外しなどで怪我をするのも多く、1月たっても外出がしにくい状況になっている。
-------------------------引用
東日本大震災 「暗さ」「陰影」歓迎するムードへ 東京の夜は明るすぎた  産経新聞 4月18日(月)7時56分配信
 東日本大震災の影響で、首都圏を中心に繁華街のネオンが消え、経済活動が沈滞ムードに包まれる。一方で、節電が暗さに対する日本人の意識に変化をもたらしている。「陰影」という日本建築の概念に光が当てられ、夜の暗さを再評価する機運が出てきた。「東京の夜はこれまで明るすぎた」-。そんな自戒の念が聞こえてくる。(日出間和貴)
 東日本大震災から1カ月近くが過ぎた4月上旬、東京都内の駅構内で「地下鉄の暗さ」について、2人の中年男性が気になる会話をしていた。
 「震災以降、東京の地下鉄はまるでロンドンのように暗くなった」
 「ヨーロッパを旅すれば分かるけど、駅の構内はこんなもの。この暗さにもだんだん慣れてきた」
 企業や家庭で進められる節電の励行。夏場に向けた電力抑制を控え、まちの暗さを受容する感性はさらに歓迎されていいはずだ。
 昼から夜へ、明るさの谷間に当たる「たそがれ時」に対する意識は、国民性や気候風土が反映される。日本の夜の明るさや派手なライトアップに長年、疑問を投げかけてきた東京工大のI名誉教授(建築工学)によると、日本では日没の1時間前に照明をつけるが、ヨーロッパではほぼ日没の頃。明るさの余韻を惜しむかのように照明をなかなかつけないという。
 I名誉教授は、過度に明るい夜間の環境が「人に常に動き回ることばかりを強いて、じっと考える能力を喪失させたことはうたがいようがない」と、『夜は暗くてはいけないか』(朝日新聞社、1365円)で指摘する。確かに、こうこうと輝く蛍光灯のもとでは哲学することは向かない。
 昭和8年、作家の谷崎潤一郎(1886~1965年)は47歳のときに日本家屋が織りなす薄暗さの美について論じた『陰翳(いんえい)礼讃』を刊行した。この一冊は、海外の建築家の間でも建築思想の「手本」として読み継がれてきた。(後略)
----------------------------------終了 
だから、仕事をしない場所に(WCとか廊下とか)おいてギンギンぎらぎらの照明をするということは無意味であるのだが、さて地下鉄駅の地下道で私たちがいるときには、果たして和んでいるのかというと、そんなのはその人の自由な行動であって外因的に制御できるのかというのは問題がある。昨今のように、PCで仕事しとるとか書面をよんでいるとか欧米でないことですが、ことこの室内環境前提で仕事を配分している場合なら、普通のことなんですな。
事務所の照明の基準は机の上で750±250Lx(ルクス)といわれている。(1平方メートルの面が1ルーメンの光束で照らされるときの照度を1ルクスという)しかし、上限の1000ルクスではPCなどを使うにはこんどは明るすぎる。これは図面を書くなどの精密執務作業においては必要なのだが、最近はそんな作業をする人は大概CAD作業であり明るすぎる。私の場合は文献を読むためでもある。
確かに事務所の省エネ(というよりは節電対策)として今最も着手しやすいものを考えると、あまり明るいようなところを暗くするという。
空調のほうが今最も着手しやすい節電対策・・・という意見もあるが、じつは空調はちょっとの縮減で人命の問題や生産物の品質低下があったりするので、本当はピークカットの場合は波及的な問題が意外と大きいという。平時の地道なエネルギー縮減には空調の最適化は向くが、このような夏季の緊急の制御には会いにくい側面もある。しかも高層建築など空調を考慮することと高層化・安全が引替えでなりたつところもあるので、建築物の存在の否定になることも多い。
このため照明に過大な期待が求められるのだが、また特に事務所の照明が過剰に明るいということは言われているのであるが、仕事で本を読むたびに手元電灯をつけるということになってしまうのでは、かえって疲れがたまるのである。出先の会議室で字が読めなくなることさえあるのだからことは深刻だし、日本では日没の1時間前に照明をつけるが、ヨーロッパではほぼ日没の頃であれば、夕刻出歩くと自転車にも当たるしということになり、挙句その時間帯に出歩いたりするのが極めて不安になっているのである。仕方がないのだが鉄道によっては今回の処置で車両内の減光の際間引きをするのもあるが、その下ではまず私は新聞が読めないのでよそに逃げるのである。
もちろん、会社の中でも沈思黙考して、創造力を高めるという行為は必要という意見もある。けどそれは、連続して減灯の元行うのかというと、私の場合仕事をしているうちに、その仕事の中での着想から出てくるものである。つまり、バーの間接照明の中から新規な着想の種は出ないで、むしろ熟成せせる段階で間接照明が役立つという仕事の仕方をしているということもあるのかもしれぬ。(続く)

|

« 不謹慎ネタとはなんだろう | トップページ | 暗いと不平を言えなくて、すすんであかりを消している(2/2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/51534757

この記事へのトラックバック一覧です: 暗いと不平を言えなくて、すすんであかりを消している(1/2):

« 不謹慎ネタとはなんだろう | トップページ | 暗いと不平を言えなくて、すすんであかりを消している(2/2) »