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暗いと不平を言えなくて、すすんであかりを消している(2/2)

(承前)
まあ、こうこうと輝く蛍光灯のもとでは哲学することは向かないが、哲学することによって生み出した著作物、成果物を暗闇のなかで記述することはできない。また、哲学と仕事の間に厳然と差があるビジネスの形態もあるだろう。つまり適材適所に照明を個別点灯にすればこれは『陰翳礼讃』の目的は対処できるという気持ちもある。

浮世絵版画の技法の一にきらずり(雲母刷)というものがあって、版木に糊・膠をつけて紙に摺り、その上に雲母の粉を篩いかけ、乾いたあと、残りの粉を払い落とすのだそうで、この技法では明るい日光のしたではまったくさえない絵が行灯の下ではまったく違う姿を見せるのだそうだ。けど反対に明るい日光のしたであってはじめて存在が明確になる絵もあり、今度は行灯のしたではまったく映えない事である。(実際博物館の照明はこのあたりに相当の工夫を行っている)つまり、明かりは過度であっていいとは言わないが、そこに出入りする人の状況が広くなるほどその最適化が難しくなり、かくて照度は高止まりしてしまう。
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節電で障害者困惑 暗い駅、止まったエスカレーター  2011.4.29 23:05   産経新聞
 東日本大震災の影響で節電ムード一色になるなか、障害者に不安が広がっている。エスカレーターの停止で通い慣れた道がつかえなかったり、照明が消えた暗い道で転倒したりするためだ。大規模停電回避に必須の節電だが、外出を控えるようになった人もおり、バリアフリーへの配慮が求められている。(油原聡子)

 「目印にしていた案内板や自販機の照明が消えると方向感覚を失ってしまう。いつも使う階段がどこにあるかもわからなくなる」
 こう訴えるのは、「網膜色素変性症」の患者らでつくる団体の会長を務めるKさん。この病気の主な症状に、暗いところでものが見えなくなる夜盲症(とり目)がある。
 普段は問題がなくても、暗くなって目印が失われると、エスカレーター停止のロープに気づかずひっかかったり、階段に気づかずに転倒したりするという。実際に骨折した人もいる。
 地下鉄などでは案内板の照明も消されているため、乗り換えや改札がわからなくなることも。障害者や高齢者の使用が想定されるエレベーターの案内板の照明まで消されている駅もあり、視覚障害者からは「駅の改札や階段を使うのが怖い」という声が上がる 視覚障害者だけではない。身体障害者にとっても“いつもの経路”が使えないのは大きな不安だ。
 筋ジストロフィーを患い、足に障害のある東京都世田谷区の女性(43)は「なるべく外に出ないようにしている。出かけるとしても1人では無理」と打ち明ける。転倒したら1人で起きあがることができないからだ。
 エスカレーターの停止で混雑した階段は他人にぶつかる可能性を考えると怖くて下りられない。女性は「案内板にも停止場所を記してほしい」と、具体的な節電場所の情報を求める。
 東京メトロは、具体的な節電対策は各駅の判断に任せており、一律の対応は難しいという。ただ、案内板の点灯などバリアフリーの対応も順次進めるとしており、「できるだけ不便を取り除きたい」と話す。
 バリアフリーに詳しい慶応大学のN教授(障害心理学)は「節電は仕方ないが、障害者にとっては我慢できるできないの話ではなく、生死にかかわること。不便を感じても言いだしにくい雰囲気になっている。公共機関では、照明のついた安心安全なルートを確保すべきだ」と話している。
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このように議論すると“いつもの経路”が使えないということ自体を問題にするのはちょっと難しい現実があるのだろうとおもう。そして適材適所という選定は考えなければならない。私のように電車の中で書物を読むのをあきらめたりするのは仕方がなく、生活をそれに従っていく側面はあろうが、お互いに相容れない場面が公共の場所では考えなければならないとなると、本当は空調においてもだが、「無駄という概念自体を共有できる社会」自体を作る余地がない人が多すぎるという、社会の共通概念の離散、解決がきわめて困難な話題にぶつけるのである。

ああそういう場面で私たちは社会に向かって活動すればいいのか。「暗いと不平を言うよりも、 すすんであかりをつけましょう。」と。Tomosibi

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コメント

ラジオの早朝番組、「早見優の英会話教室」の前にあった「ハヤット神父のルーテルアワー」のオープニングのセリフだったと記憶しています。なぜか耳に残っている。
3.11以降、首都圏には足を踏み入れていないのですが、夜は暗いのですかね。
この調子だと、夏場に首都圏へ行ったときの暑さ対策は思いやられます。「厚いと不平を言うよりも、すすんで冷房入れましょう」などということをやると、放射線線より怖い白い目線が飛んでくるのですかね。

投稿: SUBAL | 2011年6月11日 (土曜日) 21時02分

>首都圏には足を踏み入れていないのですが、夜は暗いのですかね。
一時ほどではないですが、電車の中の蛍光灯が間引きされてたりしますし、エスカレータは通勤時以外が止まっていますし。
ご明察のとおり暑さ対策は思いやられます。制限令発動で義務付けになりますから、白い目よりもそもそも操作盤かのスイッチが入らないということになるとおもいます。但し、ビルなど電気消費量が固定的な設備では、運用する限り20%近くの電気消費を調整しうるものが冷房と電灯しかないのもまた事実でして。

投稿: デハボ1000 | 2011年6月11日 (土曜日) 22時58分

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