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ヒリヒリする映像だけが求めるものか

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勝谷誠彦 陛下の言葉を芸人トークのように編集したTVを嘆く  2011年4月5日(火)16時0分配信 NEWSポストセブン 
 震災直後から全局が報道特番一色となったテレビ局。しかし、その内容といえば、扇情的な映像を繰り返すばかり。弊害多きテレビの現状を勝谷誠彦氏が嘆く。
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 今回の日本のテレビ報道には震災、原発いずれにもヒリヒリするような映像がない。海外の放送を見ていると、必ず映像には自衛隊や米軍が映りこんでいる。 
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  BBCの記者は被災者と一緒に津波の危険から逃げていた。日本のテレビ局は、イラク戦争の時などと同じように臆病だからそうした場所に行かないのか、あるいは妙なイデオロギーのせいで自衛隊などの活躍を流さないのか。死体の映像も避けている。見たいか見たくないかを判断するのは視聴者である。おまえたちのない脳味噌で勝手に判断するのは、これは検閲にほかならない。 

 私がもっと腹が立ったのは天皇陛下のお言葉のテレビ局での扱いだった。陛下が自ら私たちの前にお出ましになり、踏み込んだ発言をなされた。皇室不要論者に場合によっては政治的だと指弾される可能性までおかして陛下は直接お話しになられた。 

 それは私に終戦時の昭和天皇を彷彿とさせた。まさに最大の有事にあたっての「平成の玉音放送」だと頭が下がった。陛下は現場で命をかけている人々として最初に自衛隊の名を挙げた。 
 ずっと「鬼っ子」だった自衛隊を陛下が激励されたのである。ある最高幹部から聞くところでは、これを受けて隊員たちは涙し、奮い立ち、それが命をかける行動にも駆り立てていったのだと言う。まさに、最後で最大の日本民族の切り札である陛下が立ち上がり、救国のために行動されたのだと思う。 
 陛下は「非常事態が発生した場合は発言のビデオを途中で中断してください」と言葉を添えられたという。この大前提は陛下のお言葉を途中で切るなどということは畏れ多いという、日本のテレビ局ならば連綿と受け継がれてきたはずの想いがある。ところが。緊急放送のために切るどころか、テレビ局は陛下のお言葉を時にはつまんで流しやがった。お言葉は陛下ご自身が練りに練られたものと拝察できる。それをバラエティのタレントの馬鹿喋りのように「編集」したのである。 
 ユーチューブなどで「オリジナル」を観た膨大な数の国民が呆れ、怒り「ああテレビというのはやはりその程度の人間が作っているのか」と再確認したことを、一連の災禍がややおさまったころに局は思い知るがいい。
 この程度のテレビ局だからそんなことまで思い至るわけはないが、私が彼らであれば「陛下のお言葉を聞く被災地の人々」を流しただろう。皇室は皇室だけとして存在するものではない。国民との紐帯があってこそはじめて「最後で最大の切り札」となりうるのである。避難所で陛下のお言葉に接し、頭を垂れ、涙する人々の姿を観て、ほとんどの日本人は改めて何が起きたかを痛感しひとりひとりが出来ることを考えるだろう。 
 陛下は被災者の方々を敢えて「雄々しさ」と表現された。これは終戦直後に昭和天皇が使われた言葉でもある。日本人を鼓舞し、復興への大行進に向かわせる励ましである。お言葉を聞く被災者の方々の映像はその背を押したであろうに、テレビ局は貴重な機会を捨て去った。
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勝谷誠彦氏が震災直後TVにでていた時に、番組の中で司会者と話すべきことに対しての順番と時間配分ついてほとんで喧嘩まがいの状況になっていたのをみた。優先順位を一元化できないという報道するべき項目の混乱がここまでひどいともおもわなかったが。
但し、その復旧に当たる人に対して動機として、ひとつのお墨付き・・・あくまでお墨付きで、負うのは道義的責任のみになるが・・・を与えているという認識は事実であろうし、誤解をする人がいるのも押して、今回の画像を出そうとしているという皇室の動きは、確かにそれなりの意義があるのだろうとおもう。また、「非常事態が発生した場合は発言のビデオを途中で中断してください」と言葉があったというのは、皇室という社会への指示系統の一方の最高機関(天皇機関説ですな)が、行政系統の実務に対し優先性が低いという意思を示したと解した。

しかし、玉音放送ということと一緒にするのはちょっと待ってほしい。その位置づけはまったく異なる。かたや君主として君臨して(あくまで建前にはなっていたが)政治に対する一切の最終責任を負う立場が国民に訓示するのと、そのような形をとらず概念の上で道義的に示しているのとはことなるのではないか。
確かに受け取る側の意識の差はある。私自身は「陛下のお言葉を聞く被災地の人々」がという場面はあろうかとおもう。那須の御用邸の避難用公開など画期的なことを行っていることには、皇室の良識に基づいた配慮とあえて「宮内庁」の頭の切り替えがよくなったということを彷彿をが、反対に言葉があっても現実には物品に不自由な言のほうが先で「心理的な言葉自体はもう食傷気味である」ということは考えられるものである。
もちろん皇室という古代から連綿と続き、一方時代の変化に抗うことが価値観になるという存在価値の中でこのような行動を天皇が垂範するためには内部的な調整はあったとおもう。場合によっては政治的だと指弾される可能性は当然あっただろうからその調整もあったとおもう。しかし、この情報を聞いて、至近の災害復興に力を獲たという人もいるとともに「朕はタラフク喰ってるぞ ナンジ臣民飢えて死ね ギョメイギョジ」と本質は変わらんとおもう人もいかねない(ちなみに、この『米よこせデモ』は坂下門から宮城に入り大膳寮に押し入るという事だったが、このときにあけた米蔵にはほとんど米が無く、GHQはこのあたりは比較的均等配分をしていたということで、ぜんぜんタラフク食っていなかったということらしい。けど戦中は優遇されていたということは別途聞いていたことであるから、それが拡張して伝わったのかも)
さて、
「緊急放送のために切るどころか、テレビ局は陛下のお言葉を時にはつまんで流しやがった。お言葉は陛下ご自身が練りに練られたものと拝察できる。それをバラエティのタレントの馬鹿喋りのように「編集」したのである。 」
というのは、放送局によってこれをきった所、きらなかった所があるということである。つまりこの天皇の発言VTRが緊急性を持ち、コンセンサスが得られるかを勘案するかというと、その放送局があればそれだけ考えることは違うはずである。緊急性があるとかんがえるなら、全部ノーカットで流すという視点もあるが、忙しい人にもあまねく存在を知らせるというなら、私は簡単な編集をすることは必要であるという視点はあるとおもう。これはその昔放送する手法がNHKのみという時代なら確かに問題なのだが、今は各放送局の視点がことなるということが前提である。全部流すことに価値があるというならその放送局を見ればよろしい。見ても意味が無いと判断する(それは優先順位が低いこととみなすか、むしろその発言自体に意味が無いとか、発言をすること自体に大所高所の視点を感じ不快というのがあるかもしれない)人は、無視すればよろしいという、統制をとった思想の存在が問題になる、現在の自由主義と多くの「くそ」という判断があっても一応は考えることをする、複数の放送局がある意義ではないかと。
お言葉は陛下ご自身が練りに練り、また復興に対しきわめて配慮をしたものであると認識するが、その存在を否定する人、存在を否定はしないが市井の人にとってはかかわることに本質的意味は無いと考える人には、じつは国賊といわれても耳にするこの天皇の言葉とて一切意味をもたない。
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「見たいか見たくないかを判断するのは視聴者である。おまえたち(放送局の職員)のない脳味噌で勝手に判断するのは、これは検閲にほかならない。」というのは報道する側のおごりであると私は考える。直接1次ニュースソースを求めることが個人レベルでは不可能であるが、そのなかで複合的に複数のニュースソースをつかって段々と「真実に近い」現在の問題点を彫塑のように形作ることを各自がしているならば、それはすでに放送局は限られた経営資源(この場合は放送時間であろうか)のなかで情報も流すし、へしゃげた人たちの慰安の役目もあるともいえるし(意外と無視できないとおもう)、既に一局が報道を纏めて「報じて導く」絶対神のような位置ではない。そのようなことを考えると「見たいか見たくないかを判断するのは視聴者である。勝谷氏の脳味噌で勝手に判断するのも、検閲や情報の偏在にほかならない。」とそのまま言い換えられることである。そしてヒリヒリする映像は問題点の感覚的指摘には役立つが、永続性のある論理的視点には悪影響をもってしまい、感覚に偏在した至近的対策しか生じないということもあるが。
ちなみに、今回の天皇のビデオ出演はその考え、意思、そして今回の皇室の行動を考えると時宣を得たものとは考えるが、少なくとも2分位にした「簡単に編集する必要のない」、しかし繰り返しあちこちで取り上げられるものにするべきだったのかもと私は結果論であるがおもった。(終戦の詔勅と今回のVTRは5分でほぼ同じではある)

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