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TRIZ的視点から見た解決困難さ(2/2)

(承前)

大津浪記念碑
高き住居(すまい)は 児孫(こまご)に和楽(わらく)
想へ(おもえ)惨禍(さんか)の 大津浪(おおつなみ)
此処(ここ)より下に 家を建てるな

明治29年にも昭和8年にも、津波がここに来襲して、部落が全滅し、生存者はわずかに数人しかいなかった。しかし三陸は田んぼや畑を作る場所が無いから、個々で居住していく限りは漁業関連業務で生活するしかしようが無い。そうすると、いつも海に降りていかないというのは事実。ただし海に行くのならその時にだけ降りていくということにするしかないというとで「家を作るな」と石碑を作った人がいる。津波が来たところの高さより上に家を建てていたのでは、朝に晩に行ったり来たりしなきゃいけなくなる。
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というわけで現在の宮古市などでは学者の指摘に賛同し、海の近くの集落を廃却し都市計画に基づき山のほうに移転した集落も出たのだが、そこでも山火事の類焼によるなどの問題(このころこういう事故があったらしい)とか、山津波(がけ崩れ)も生じる。(事実奥尻島の地震:北海道南西沖地震では津波から逃げようとしたら、山で崖崩れを起こして人が逃げてきてという状況で混乱したという。意味は違うが「海行かば」が頭を一瞬よぎって私はめいった。)しかしここでも、同じように生計の問題もかかわるために漁民の多くは海沿いに戻っていく。

確かに魚をとっているだけなら、船や資材を浜辺においておく倉庫だけが浜辺にあるだけである。だから徒歩での労力が問題になるといえばそれだけである。(それでも当時としては過大な負荷で、ドロップアウトを招いたことが想定できる。)ところが現在はこの魚を二次加工し、下処理し、冷凍しという段階で丘の上にこれらの設備を設けるということをしなければ市場は導入しない。これは日本だけでなく世界でも同じ事で、事実養殖の牡蠣なども水揚げするだけで出荷できるということはない。(衛生管理・梱包・評価など)そのなかで気仙沼がふかひれの独自の加工で対価を得ていたということを考えるといい。となると、結果的に丘の上で暮らす、この碑のいうことは空理空文でしかない項目を提示しており、それを守ることは既にこの職業・地域での生活基盤の形成を否定していることになる。
となると、「外に向かって空理空論を吐いていないか:馬場粂夫」 てのを思い出す。これは論じ尽くした結果を用いて、顧客に有益な提案をせよということに近いが、これは提案する内容がネガティブだが検討の結果というのもあるもかも。
参考:http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2007/02/3_39e6.htmlなお、畑村氏の失敗学の提唱とこの馬場氏の発言は大きく関係がある。
そして生活基盤の形成を達成できない人は、当地を既に離れているわけで、今から職業スキルを選べる人(要するに若年者)はこの地から多く出て行っていると考えるのである。というのは都市計画で山のほうに移住した人自体は海浜に戻るものもおおく、困ったといわれるが、これは少なくとも「安全のために」幸福追求(=収入の向上)が見られない労働を必然的に付与されていることで、その可能性や「余力」が損なわれており、今後の向上余地が低いとみなされるからである。同じ理由でこの丘の上に住んだものが、そのうち都市部や内陸に転居していたものは近世以降ははるかに大きいのである。
なお、このように丘の上で暮らすという場合、船舶に乗っている方の場合はいつもいつも毎日海に行き来するというと限らない(遠洋漁業の方は大体2ヶ月乗船、1月休暇というサイクルだったりすることもあり、あまり港に近いところにいる必要性も低い。このため今でも内陸に住んでいる人はおおいようだ)。そのため、問題は漁港における市場や物流・二次加工やサービス従事者が多いという場合、家計を維持することと津波を恐れて丘の上に住むことで生計を保つ先行きや可能性を閉ざしながら生きることという二律相反をもつなかで、家を建てるなという海浜地域にすむことを避けることはその地域で生計を立てることを放棄することに等しい場合もある。生きるための糧を得られない(しかも税率などが一緒である以上、国内の他の地域とそこまで差がない前提で)。
つまり、「便利さの前に、危なさを忘れて」という表現は同一国家内基準で付加価値の高い生活がすでにできている前提の下で言える言葉であって、けっして収入が多くない地域でのこの推論は、問題を矮小化した発言と私は考えるのである。しかも少なくとも水産物の商品性をあげる二次加工や輸送のほうが水産業の収益の多くを占める現実を考えると、丘の上にこれらを設けることは浄水の取得も課題だし。
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ではこのような安全と生計確保が相反関係にあることが、丘の上に住居を移しても解決されずより顕在化された場合、これらの町ではどうしたかというと、中庸に解決策を見出すしかなかった。それが
○長大堤防の設置(生計の確保には低地に拠点を置かないわけには行かないためこれを肯定し、それと災害の防止を並立させるには世界でも類を見ない大規模堤防が必要ということで、少ない地元の出資を捻出しながら国営の事業に移管するまですすめた)
○地震警報、避難警報システムの完備
○公共施設の高台の配置(これらは公共サービスは低地に配置する必要が特定業務以外はないということと、安全確保の施設であるが、これさえも今回被災していたり建物が大丈夫だが水に耐えられなかったのが多い)
○避難訓練など定期的な周知徹底・対応訓練(私もこの訓練に出会って驚いたことがある)
でである。
たとえば三陸鉄道の各線、気仙沼線の柳津-本吉間のようにチリ地震による津波などの経験を生かしてとんでもない高台に路線を設けた事例もある(そのほかの路線は、この考慮をする前の路線でその結果インフラを構築してきた後なので、新たに引き直すことはできない)。これらの路線は既存の町の利用者を想定したとしたら敷設側にも、ユーザーにも経済性を考慮したものとはいえない位置に線路を引いている。
そういえば、その昔志津川駅で乗降した時に駅の階段にお年寄りが苦労していた記憶がある。但し、この地域からの輸送量全体は、鉄道の輸送占有率が増加していたのに全体の交通輸送量が低下し、産業の衰退傾向は免れなくなっていた。つまり水産業とて自助努力をしていってもが海外市場に顧客が奪われていたともいえるらしいので、さらに街中の水産業の二次的作業にかかわる産業は重要性を高まめしかなく、結果的に人が港湾部に住み着く傾向は、生計を立てる前提では免れなくなっていたと考える。
気仙沼線は既存区間の海浜にあった気仙沼-本吉でも津波被害を受けているが、このような防災対策をした柳津-本吉間とて築堤損傷・落橋があり(トンネルは問題なかったようだ)ており、被害は免れなかった。同じことは三陸鉄道南リアス線も同じであろう。このように、その地域と相容れる段階での対策をしているのだが、それとて今回の津波・地震には無力であったわけである。
すくなくとも

「知識としては、危ないということを知っています。ですから、津波というのが危ないということは知っている。ところが、『自分が生きている間に、絶対津波が来る』というふうには思っていなくて、『あんまり考えるほどのこともないんじゃないか』 と思いながら、津波のことを考えないように、考えないようにして、そうして日々の生活を送っています。」
という言葉は忘却と無関心というよりも、自分たちの生活を維持することが、災害とかの配慮をする前に前提条件としておかなければ、生きるという究極の前提条件の中では意味がないと割り切ることがあるのではないか。其の中で、どうするのと住民に聞かれたら『いやー、たぶん、俺が生きているあいだは来ないよ。』という返事しか彼らが返せない戸惑いしかないわけで、既に求められている理想的な回答を先読みしてみんながこたえているのでは。そしてそのようなことが嫌悪の対象となる人の場合は、問い合わせに応えるはるか以前にこの地を離れる選択をしていると考える。
但し、だいたい30年ぐらい経つと、『ものすごく危なかった』という基礎的感覚は、消えていくというのは多少わかる。つまり伝説化の効果は免れないわけだ。それでも、『避難訓練など定期的な周知徹底・対応訓練』ということで、地域ではこれを伝説化させない考慮はしていることがわかる。わかるだけに・・・・
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思えば、作業標準などを工場内で設定して、製品の生産力・品質の最適化を図るための工夫を私はしていたことがある。しかし、一旦確立したものを製品事故の発生や、法規の急な変化、社会情勢の対応などの予測のできないことの発生で品質管理項目を増加したり、工程を増加したりすることでとりあえずの品質対応や、不良品撲滅などを図ることがある。そして私も其の場面である技術的評価指標が製品製造過程で欠落していることに気がつき、工程を追加して0.1%の不良品を0.01%にする品質安定をはかろうとしたことがあった。経営的判断(0.1%の不良品対策で膨大な経費と市場評価低落を生じさせていた)からこれは速やかに実施された。
しかし、この不良撲滅のための工程を挿入し、そのための評価設備まで立案した結果どうなったかというと、従業員の勤務時間増加と、工程内滞留時間が増加し、いい製品を作ったものの製品の原価が増加して赤字製品になってしまうのみならず、工程対応力(生産に対応した工程設計で従業員の勤務時間の適正化を計る)ことがうまくいかなくなってしまった。最後には人事問題とか一部従業員の業務忌避まで出だした。不良率が10分の1になると対策費は10倍に増えるという経験則にも似ているな。
つまりこれは、技術的には現実には「短期的・緊急避難的には正しい」対応だったわけだが、そのため製造工程を見出し、収支が取れない製品とさせてしまい、赤字体質はトータルではそうかわらないことを固定化させ、担当者の持つべき先行きを失わせてしまったのである。結果的に其のときは以前の設計仕様に製品群全体を戻すような設計に変更を、其の後行ったため設計仕様は全面更新するしかしなかった。つまり、これは「此処(ここ)より下に 家を建てるな」といった当時の状況としてでた、感覚的な失敗の評価に従うことでさえも、現実に合わず、最小限の生計をまかなうという最小限の要求に関しては、力がないということと同じである。どっちをとっても生きるのは障害となればどこを選ぶかということは、強力な政治的・宗教的・倫理的な「片寄せ」(前回参照)が否定される日本では、強制的な決定はされえない以上離散する。
要するに、達成に多大な困難が伴う目標が必要に伴って提示され、短期的にはその対策に勢いで従うようにさせても(まさに今の計画停電に似て(苦笑))、それが恒常化してしまった時には、継続させる労力がそれ以上にかさばり、さらに其の指示が有意であってもなくても得られることにより先行きの明るい目標を想起させる内容でなければ、モチベーションの低下、忌避や目標からの逃散、更には指示した相手に対する面従腹背と働き、結果、失敗に対するうらむべき特性「失敗は隠れたがる ・変わりたがる・ローカル化する・伝わりにくい・階層化する」をさらに加速させてしまうということになってしまう。そして失敗の分析とそこからの創造に代表されるこれらの提案に対して頭では知っていても、現実は違うんだよと対応しない人を増殖させる、知識蓄積への信頼失墜を促すトリガーにもなりうる。同じことは、たとえば耐震偽装事件以降の建基法不況でも同じモードがあったかも。
 
そう考えると、過去のノウハウを示すこの石碑は、事実から論理的判断に基づいた指摘をしているのかという見方が畑村氏の見方であるのだろうが、不祥私は、この石碑は一次情報を感覚的に明示させているというスタンスであると解釈している、ただそれのみの違いなのだろう。しかし得られた答えは全面的に異なるという悲劇である。
そして私もかつてこの石碑(複数)を三陸で見て、思わず凛とした一人でもあるだけに。

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