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TRIZ的視点から見た解決困難さ(1/2)

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Betelgeuse's Diary:三陸の津波後に建てられる石碑類について、NHKの2006年番組から聞き書き
どのようにして、三陸沿岸の住民は津波後に石碑を建て、そしてそれが忘れられてゆくかという講義。

語り:広瀬久美子(元NHK)

”失敗は伝わらない”
その例は、東北三陸海岸で起こった、大津波にみることができます。
明治29年(1896)、高さ38メートルの津波が、20,000人以上の命を奪いました。それから37年後の昭和8年(1933)、津波はふたたびこの地を襲います。明治の大津波の後も、同じ場所に暮らしてきた人々。津波はふたたび3,000人以上の命を奪いました。37年前の失敗が、また繰り返されてしまったのです。

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解説:工学院大学教授(元東京大学教授) 畑村洋太郎

今日は、『失敗は伝わらない』について話そうと思います。
後ろの写真を見てください。この写真は、三陸海岸に行って撮ってきた、津波のことを書いた碑の写真です。で、この中身を見ると、こんなことが書いてあります。
大津浪記念碑
高き住居(すまい)は 児孫(こまご)に和楽(わらく)
想へ(おもえ)惨禍(さんか)の 大津浪(おおつなみ)
此処(ここ)より下に 家を建てるな

明治29年にも昭和8年にも、津波がここに来襲して、部落が全滅し、生存者はわずかに数人しかいない、ということが書いてあります。
で、何でこんな石碑がここに建っているかっていうと。結局、『みんな伝えたいことがあるのに伝わらないで、 また同じことを繰り返して人が死んでいく。 で、そういうことが分っているから、 せめて、石碑を建てて、次の人に伝えたい。』と、思って、こういう石碑ができています。それで、実際に三陸の海岸に行ってみると、あっちにもこっちにもたーくさんのこういう津波のことを書いた石碑があります。
ところが、とても皮肉なことに、その石碑が建っているところより下に、人家がたくさん建っています。どうしてこんなことになるか、というと。
三陸というのは田んぼや畑を作る、そういう場所が無くて、山がストンと海に落ちているから、みんな漁業で生活するしかしようが無い。
そうすると、いつも海に降りていかないといけないんだから、この、津波が来たところの高さより上に家を建てていたのでは、朝に晩に行ったり来たりしなきゃいけなくなる。で、そうすると、それは『すごく大変だ。』 ということを経験しているうちに、だんだん『道具だけは下に置いておこう』『船は引き上げることができない』 といっているうちに、作業小屋を下に建てて、で、いつの間にか。だんだん、便利さの前に、危なさを忘れて、それで、住まいが海のほうに降りていく。っていうことが起こります。
ここに住んでいる人たちは、知識としては、危ないということを知っています。ですから、津波というのが危ないということは知っている。ところが、『自分が生きている間に、絶対津波が来る』というふうには思っていなくて、『あんまり考えるほどのこともないんじゃないか』 と思いながら、津波のことを考えないように、考えないようにして、そうして日々の生活を送っています。
知っているの?と聞いたら『知っている』 と言います。
じゃあどうするの?と言うと、『いやー、たぶん、俺が生きているあいだは来ないよ。』って、そういう返事が返ってきます。その、失敗って、ほんとに起こったときはみんながとっても注意するし、そのことに関心が集まります。しかし、時間が過ぎるほどに、そのことに関心を払わなくなって、そして忘れていきます。
で、もうひとつあります。増えていくものがあります。
これは(失敗に対する)無関心と、それから『そういうこと(対策を)やんなくたっていいんだよ』っていうごう慢さとが増えていくんです。そうして多くの場合、だいたい30年ぐらい経つと、『ものすごく危なかった』ということは、ほぼ消えていきます。

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失敗情報については畑村さんはこういう項目を提示をされている。
1: 失敗は伝わりにくく、人から人に伝わる中で時間が経つと減衰する。(上記の例)
2: 失敗は隠れたがる(列車脱線事故の再発の例など。問題が責任問題から、個々人の生計問題になるため表に出ない)
3: 失敗は単純化したがる(一般の知的バックグラウンドのない人に伝えなければならぬ必要性があるがその段階で、実施のみが伝わることを余儀なくされるため、趣旨まで伝わらずいざ事に及ぶと応用動作までできない)
4: 失敗は変わりたがる(失敗情報が伝わると生計に困る人、中間利害関係に悩む人などの階層性が絡む。また、過去事例と同じ失敗ではないことが後で見ると同じ事象であるということもあり、更には今まで起きた失敗を並べてレビューしたら、要するにどんな手法でも失敗が起こっており、一定のリスクを担保するしかないということもある)
5: 失敗は神話化しやすい(前提条件・制約条件の変化があって過去の知識だけでは無意味。一般の知的バックグラウンドのない人に伝える必要性を優先するとなかくて、一面的な見方に偏っていくともいえる)
6: 失敗はローカル化しやすい(情報は他の場所には伝わらないとも。階層性と社員間・社内間・企業間・国家間の競争)
7: 失敗は客観的情報では役にたたない。(一人称で語られる生々しい、しかし反面主観的視点由来な話のみ生き残るため、本質が捕らえられず偏って伝えられる)
8: 失敗は知識化しなければ伝わらない(記録のあとに知識化し伝達する機構を作る。人の責任を追及すると知識化しない。しかし人の責任を問わないと失敗が伝わりもしない組織もある)
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企業での作業工程など業務の中においては、失敗を温かく見守る社風とリーダーの役割が重要になるが、同時に失敗を起こしても問題とならない蓄積財務の十分な蓄積と、風評などで変動しない確固たる内部留保がある。モチベーーションとしての社風とリーダーの役割があっても、実際には機能しない状況になるのは、以前は失敗を起こすことを認めない経営陣という視点がつよかった。しかし、最近は利潤獲得のなかにこのような失敗を容認することを盛り込んだ企業は、企業間競争の中でちょっとでも運がいい(というか失敗の出現率は大まかには予想されないところもあるので)ところに食われて寡占化が進むということもあるため、経営指標に基づいて投資した人たち(失敗の発生を損失と考えざるを得ない人たち)から排除されることになる。

失敗の原因は10項目に大別できるのだが、その回避をすべて行うと企業の存立は図られるが無限大の投資額になる。但し一部だけを実施しても、問題は迂回して顕在化する。
(1)無知・・・・・・・・・・・教育実績のある人材の育成と投入・・・教育費と直接人件費の単価増大・間接人材の増加による人件費増大。また対策として得た知が、正鵠かという保障は短期間でも長期間(時代背景の変化)でも価値を保つかは疑問であるため、リスクがある行為である。)
(2)不注意・・・・・・・・・システム中にポカよけという機構の組み込み。これ自体のコストよりそのプランを計画する人件費の増大(工数増大)
(3)手順の不順守・・・人材の育成もあろうが、手順を守らせるためには機械化のほうが確実な場合も多く、事故予防の投資となる。ただしこれは近視眼的には利潤を生まない。
(4)誤判断・・・・・・・・・人材の育成もあろうが、手順を守らせるためには機械化ということも大きい
(5)調査検討の不足・これは人材ということもあるが、予測できない(人知が及ばない)というものは残り、これについては資金的内部留保により事後対策をできる緊急人材や資材の維持保全活動ということになるのでは。
(6)制約条件の変化・・社会の求める内容が変わっているということなら、至近蓄積と人材確保・育成になろう。しかし、これは企業の存立をなしにする部門撤退という選択肢がじつは残っている。
(7)企画不良・・・・・・・人材や知的財産の蓄積(結果的にはこれも人材の維持になる)
(8)価値観不良・・・・・経営者の知識の向上となろうか。きわめて定量化しにくい。
(9)組織運営不良・・・経営者の知識の向上となろうかきわめて定量化しにくい。
(10)未知・・・・・・・・・・ってこれどう対策すればいいのという項目だな・・・
これらの原因をしっかり分析しておかないと、誤った対策が行われてしまうのだが、そこで問題なのは資本が確実に維持されていなければ成り立たないということになる。つまり必ず企業を維持するには無限大の資本蓄積が図られるということになる。
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人材による知恵の蓄積が失敗を再度起こさないようにするということを突き詰めて考えると、すでに社会生活に相当な余裕がある社会でないと、成り立たないといえる気もする。
つまり相反条件をどう中庸に着地するかというところでしか、現実的な運用はなされないわけで、たとえば宗教や経済的指針・政治的指針では相反条件の片方を抹殺・片寄せすることで、この解決を一応されたようにできる場合はじつはあるのだ。(その場合公益確保ということで人権が阻害されることは容認される)しかし、それが自由主義社会を前提で動いている社会や個人の人権が保たれている場合にはこのような手法は、反対に社会不安を招くか、思考を停止した社会の維持に関して非協力的な人を増産する(これは一時の東ドイツのように)ことになる。また片寄せした手法が決して現実に即応した手法でない場合、結果的に社会の崩壊を招いたということになる。片寄せの悪い方向への結果はたとえば「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」の大寨(中華人民共和国山西省昔陽県大寨郷)が結果的に農業地域としては地域の荒廃を招き、その後寒村に戻り農業から工業(セメント工業)によって成り立ち農業を事実上あきらめることでしか地域住民510万人の生計を成り立たなかったことを考えるといいと思う。
よって、上のように確かに「此処(ここ)より下に 家を建てるな」ということと「各個人の最低限の生計の維持」でどういう相反的事項が生じ、その解決策はどうなのかと考える必要がある。この相反事項が物事の変革を求められる事象の時には必ず生じ、そのなかで解決策を求めるのがここで述べるTRIZ的視点と言い換えようか。(続く)

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