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ローコストなコモディティ製品にシフト(1/2)

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TOTO、ヤマトが示した 「ガラパゴス」こそ日本のチャンス 早稲田大学ビジネススクール教授 遠藤 功   (2010.09.13)ダイアモンドオンライン
ガラパゴス化」は本当に悪いことなのか
 ここ数年、「ガラパゴス化する日本」という論調がよく聞かれる。外界から遮断され、独自の生態系を維持したがために、世界の進化からは取り残されてしまった孤島になぞらえて、日本製品の国際競争力のなさが揶揄されている。
 よく引き合いに出されるのは、携帯電話である。日本の携帯電話は世界でも類がないほどの高機能だが、世界の標準から見れば、きわめて特殊なカスタム品で、国際競争力に著しく欠ける。日本では売れても、世界ではさっぱり売れない典型的な「ガラパゴス製品」と言われている。
 他にも、液晶TV、DVDレコーダー、カーナビなど多くのエレクトロニクス製品が、「ガラパゴス化」していると言われる。確かに、現象面だけを見れば、高機能、高付加価値ではあるが、世界のスタンダードから取り残され、国際競争力に欠けている製品は数多く存在する。
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 こうした中で、日本企業も「ガラパゴス」から脱し、新興国市場で受け入れられるような世界標準の、ローコストなコモディティ製品にシフトすべきであるという指摘をよく見かけるが、それはきわめて短絡的、かつ戦略性に欠ける議論だと言わざるをえない。 卓越した技術力を基盤とした製品の高機能化、高付加価値化は日本の競争力の源泉であり、それを捨てるような処方箋はありえない。韓国企業や台湾企業の成長が著しいからといって、その後追いをすべきという発想自体が安易であり、ナンセンスである。

 そもそも経営とは「際立つ」ことである。競合企業が生み出しえないような独自の価値を究めることが経営の目的である。その意味では、「ガラパゴス化」という言葉が適切かどうかは別にして、独自の進化を遂げ、独自の価値を生み出している今の状況を、悲観的に見過ぎるのは好ましいことではない。
実際、日本の携帯電話が世界で普及しない最大の理由は、通信事業者(NTTドコモ)が定めた通信インフラの「標準」(3G方式)が世界に普及していないためである。携帯電話そのものの機能性やコスト競争力以前の問題であることを、きちんと認識しなくてはならない。
「ガラパゴス」で世界に打って出る
 日本独特の進化を遂げた独自性の高い製品やサービスを「ガラパゴス」と呼ぶのであれば、日本には山ほど「ガラパゴス」は存在する。そして、その「ガラパゴス」という日本独自の価値を売りにして、世界に打って出ようとする企業は多い。
 たとえば、便器などの衛生陶器において、日本はまさに「ガラパゴス」である。世界を見ても、日本製品ほど最先端の技術を使い、きめ細かい機能性に配慮し、品質の高い衛生陶器を生み出している国は存在しない。日本は間違いなく「トイレに一番うるさい」国である。 そのトップメーカーであるTOTOは、今や中国の庶民にとって、あこがれのブランドになっている。中国で今後大きな成長が見込まれる高級衛生陶器市場で、既にトップシェアを獲得している。
 もちろん、ここまで来るには長い時間を要している。(中略)
「ガラパゴス」はけっして製造業だけではない。日本のサービス業も、その独自の「ガラパゴス」で勝負しようとしている。たとえば、日本が誇る宅配便。時間帯指定配達、冷蔵冷凍配送、代金回収サービスなど日本独自のきめ細かいサービスを展開する宅配便は、「ガラパゴス」の代表例と言える。日本人にとって「当たり前」の宅配便サービスは、世界標準から見れば、明らかに「ガラパゴス」である。そして、その最大手であるヤマトホールディングスは、2010年から中国・上海、シンガポールで日本とまったく同様のサービスを開始した。上海では今後100億円を投じて集配拠点を設置し、3000人以上の現地従業員を採用する。
 今後、中国の他都市やマレーシア、インドネシア、タイなどのアジア諸国にも事業を広げ、10年後にはアジアでの取り扱い個数を、国内並みの年12億個にまで広げる計画である。アジアを「ガラパゴス化」しようと企てている。
 こうした取り組みを見て分かるように、日本にとっては、「ガラパゴス」にこそ大きな価値、可能性がある。「ガラパゴス」を否定することは、日本の優位性を否定することにほかならない。 
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日本で設計する場合企業間の競争が他国以上に厳しいということがあるという。いやおなじことは中国においてもあるようである。この共通点は「欧州以上に業務担当者を海外に商機を得る前に大方の企業はダウンしているというのはどうもあるようだ。問題なのは、その独自性を得る前に死者累々となることではないかといわれる。市場が新規の製品を求めないか、求めてもきわめて短い時期に需要が生じこれに対応するとあとが続かないなどという問題点であろうか。
ただし、困ったことにこの独自性が製品評価の対象になっている場合も多い。

独自性のあるものを受け入れることは、日本では一発で大きくということは難しいようである。じんわりじんわりと変質をしていくことで違和感なく変化が達成されるというものが、どうも定着しやすいようだが、それは逆に言うと定着するまででの経費が異常に膨れ上がることを示している。となると、初期資本投資の膨大化が前提になるわけでこれを回避するのは、微小な変化を積み重ねて結果最初とはまったくちがうものを作ってしまうというビジネスモデルに帰結してしまうようだ。
私がやってきた製品でも結果的に、世界において最先端で類がなく・・・という類のものだが、海外販路は開拓できず(現地商社はかなり反応したのだが)極めて限られているという製品になったものがある。それはニーズがなくというもの(低騒音を売りにしたのだがそのニーズは敷地に余裕がある市場では高い評価にならなかったし、どうしてもというものに限って海外輸出があったが、その市場は大きくなかった。ただし国内ではそれなりに売れたのだが・・・。
つまり、後追いでない製品を出そうとし、そして海外の企業がこれに追従しないこと(それは品質基準などの問題など、法規的な問題に絡めるなどもある。たとえばコンニャクゼリーはかなりの国で流通を実施禁止されている)で、結果的にガラパゴス化になることがある。
したがってここで考えるべきは
市場に導入されるために支持を得てあまねく普及することしか、資本投下を得る手法はない(特段強いスポンサーが居れば別だが、そのような場合はスポンサーが企業経営者でない場合以外は、支援企業による販路を活用することもあり結果、企業内の取り込みが有利であるからこれまた少ない事例になる)。
そうなると現在居るものを少しずつ変化させていくことで、既存製品のイメージを引き継いだ製品開発や販路開拓を行うということになるわけだが、革新的製品は市場に認められず敗北し、既存製品のカイゼン手法を援用したもの、ないしは既存製品となんらかの類推ができるものに限られてしまう。
更に厄介なものは、その企業だけが独自性製品を販売してもそれが独占的市場を持つかというと、こと日本国内市場は競合性をもった企業ができないと市場拡大ができず、すくなくともこの2社が競争することで市場拡大ができるというところがある。
下世話な話であるが、たとえばソーププレイなんかは、どう考えても法律の定めるところの回避策としてとられていた経緯もあるのだが、これがあろうごとか海外の一部では(たとえばマッサージパーラー)普及しちまったところもある。同じことは日本のAVが海外とは独自の発展を遂げてしまったことは感じるのであろう。そしてこれがそれこそ東京都知事の憂慮のまでいたるものかもしれないが、日本の独自な文化として生暖かいめで注目を浴びているわけなのだろう。
このようなものも「既存のもののカイゼン」という視点でいうと、法規遵守を伴うためのカイゼンという形が独自の姿勢に変化していったのではないか。このような思考過程で製品バリエーションを広げる行為を行う以上、ガラパゴス化することは製品の開発においては必然の利であって、むしろ製品バリエーションを極端に広げて確率論で議論することが基本であるのではないか。そこを経営効率という指標に当てはめると利益相反をおこすとことかもしれぬ。(続く)

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