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能力と年齢の相関関係がないのか

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終身雇用と年功序列は労働集約型産業の中間管理職以下には一定程度有効だと思いますが、知識労働者や経営者にはまったく不適です。能力と年齢の相関関係がないから。日本企業の悲劇は取締役にまで終身雇用と年功序列を適用したこと。いかに早くこれを改革できるかにニッポンの未来はかかってます。
6:58 PM Dec 15th 夏野 剛 Takeshi Natsun
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夏野氏は、元NTTドコモの執行役員でiモードを立ち上げたメンバーの一人。ベンチャーたち上げをしたもの会社が倒産してしまう。そこでNTTドコモが彼を引っ張ってiモードを立ち上げた。現在はいろんな会社の経営にかかわっている。これはツイッターに彼が書いたものらしい。確かに彼が似たことをほかのところで語ってる。

「最大の原因はマネジメントにあると思っている。つまり、内側志向で長い間に同じ会社にいて、そういう人が経営者になっていく。すごい技術だけを持っている会社はたくさんある。そういった技術、コンテンツを世界に向けて発信できる仕事をしたい。そこに業種は関係ないと思っている」

どうしても私はIT系の技術者さんとはなしていると感じる。
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機械屋さんの私には、知識労働者の着想というものが既存のものの否定とか、既存もものの動向研究とか、今までの科学技術の蓄積からのセレクションという視点であるなら「能力と年齢の相関関係がない」というのは、間接的相関性があるという見方をする言い方をすると否定をされるのである。これは具体的モノを作るというよりは、コンテンツという作品を作るという特性の違いなのかとおもった。

けどこれは、機械の技術史でもかつて同じことがあった。
産業革命が起きたころの機械技術の勃興は、まさに能力と年齢の相関性が薄いということが多少はあったという気がする。そこで、当時の設計は結果ありきから帰納した設計過程が多くあったわけである。
たとえばニューコメンの蒸気機関というものと前後して、種々の蒸気機関が想定されていたのだが、このころのものは着想に基づくものを具現化したものであり、成り立つか否かはいくらかの論理的構成がされていても、多分に「ばくち」の要素があったきもする。同じことは、時期がずれているが飛行機でもあったし、初期の気動車にも今から考えれば豪快な設計(軸に直接エンジンをつりかけたとか、よく考えればこんな設計したなあと驚く。ちなみにこの気動車はすぐ破損した)があって、その改造・失敗の歴史もあった。そこで今の情報通信のなかでソフトコンテンツ開発はまさにまさに、勃興期なのではと思う。この時期の着想に依存する技術構築においては「能力と年齢の相関関係がない」と思うのだが、そのうち携帯アプリ系のコンテンツにおいては少なくともそのうちに、既存情報量が技術者に多く知られ、更にユーザーにも使い勝手とかユーザー側の意見を・・・ということになると、年齢というか経験年数と知識は一意に依存する傾向が出てくると考える。
ただしここには極めて幅広いばらつきがあるとはいえる。年齢とともに、業務に対する意欲や心がけ、関連する人たちへの受けるもらう支援という要素が、きわめてばらつくパラメータであろうから、統計をよしんばとっても相当ばらつきのあるものしか出てこない。ばらつきと見るか、そもそもの素質で差があると見るか、これは主義主張の差になってしまう。
したがって、まだ現段階の技術の勃興レベルでは知識労働者の流動性が高いというのは、じつはIT技術の発達に必要な要件ではと思う。しかし、ここの技術蓄積や社会のその技術の潜在的な依存度合い(顕在的な段階ではまだ、だれが開発したものだからという技術に対する属人性があるのだが、それがあまりいわれなくなった時代)が増加すると、知識労働者は、技術に対する社会・社会性との取り合いに神経が行き、知識労働者単独では進歩が止まってしまう。アメリカにおいて、一般機械での製品の発達・伸びがある時期から意味頭打ちになったのは知識労働者に対する囲い込みができなかったのではとも思う。
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同じことは経営者にとっても言えるのではないか。これは企業内にいて・・・ということではなく、経験を積んでということになるとおもうが、たとえば小さな企業を経営したり(まさに夏野さんがそうである)という場数を経験するのも大きいのであるが、このような場合経営手法がどうしてもトップダウンで、独断に陥りやすい傾向が出てしまう(ベンチャーの創業者タイプで、成功したら事業継承を第三者にさせないと、気がついたら全部がイエスマンになる形である)。だから、本当はあくまで終身雇用と年功序列のエリアの人に指示し、そしてここが大切なのであるが「終身雇用と年功序列のエリアの人から経営情報を獲得し」て経営に反映させなければならないところで、経営者が情報過疎(不穏当な言葉で言えば「つんぼさじき」)にされるということはあろう。小さな町で助役から市長になる場合と、そうでない場合とで、まったく支持する環境や、できることが異なるのはここにあるとも思っている。
つまり経営者が内向きになるのは中から上がってきてしまった人材だからからというのは至極そのとおりであろうが、外部から来た経営者が企業の構成者と目指すものをずらしてしまうと、今度は企業体自体の劣化(考え方が継承されないし、継承されるものと継承されないもの・・・今度の経営者が目指すものとの差異が理解できる人材って、経営者が思うほどにいないものである)がおき、モラール低下で内部瓦解することも多いようである。それを人を切ることで排除するというのもあるが、その段階で終身雇用と年功序列とは相反する。つまり、半ば宗教性に近い形で誘導することしか外部経営者が全部を掌握するのは難しく、結果やっぱりついぞ内部から上がった経営者のほうが企業の継続的な維持には向きである。
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IT技術の場合も銀行の電算機システムのように積み重ねた形で仕事を進める場合は、知識労働者はそれ自体より周囲に理解を求めて構築することが求められるから、終身雇用と年功序列をある程度まででも形を整えなければ、中間管理職以下の人材が追従しなかたtり、単にいわれたまま動くというボトムアップ的問題点抽出が出なくなる。ただしこれがコンテンツ系だと、周囲に理解を求めするステージは出来上がってからであるから、むしろ他人が考えない「とっぴ」というか「着想豊か」な存在が必要であるというのだろう。しかしこれらはあくまでその産業が社会のなかでどのような位置を占めているかの差であると考える。つまりこれを何に使うか凡人や既存知識のなかで考える段階の社会的存在の技術であればこそ成り立つのが、夏野氏の意見が通用する前提と考える。したがって知識労働者を終身雇用の中で生かすことは、ある程度汎用性の
また経営者の場合は、じつは夏野氏のような見方もひとつだが、社会性のある企業という(ある意味日本特有の)CSR基盤を持っている場合、そうでない企業の中で積み上げた人材を横に必ずパートナーとしておかないと、企業の創業も早いがそのままでは瓦解するのも早いという企業や技術になる。
もっとも、上級部長以上は確かに年俸制だとか、外部へのスピンアウト&で戻りを選定できるのが閉塞感を払拭するというのは、ひとつの手法である。また、招聘される経営者でも一時は終身雇用と年功序列での経験を持たないと、その人材に伴うノウハウ継承の重さと差別化の必要性が見えないと考える。改善をするのはいいが、根無し草になるまで改革すると今までのベースまで簡単に喪失するというきわどい議論もありうるし、そうなると技術自体の雲散が一発でおきると私は感じている。
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その意味では今の夏野 剛さんはことITコンテンツの分野に多少偏るかもわからないが、複眼的な視点を持つ日本の考えかたに端緒を持ち、かつグローバルな視点で次の20年を戦おうとしている経営者・技術移転のキーマンになりうるとおもう。しかし私は思う。コンテンツならこの手法であと20年はいける。しかし技術ではかなりの割合で巻いた種が腐っていくのを目のあたりにするのではと。

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