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共存共栄(1/2)

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「飢えて死にます」――「黒執事」作者、ファンからの「海外動画サイトで見た」メールに苦言  2010年8月17日(火)15時20分配信 ITmediaニュース
 「冗談じゃなく、飢えて死にます」――アニメ化もされている人気漫画「黒執事」作者の枢やなさんが、違法に配信・コピーされたとみられるアニメ動画や漫画を見たとメールを送ってくるファンに、ブログで苦言を呈している。
 ブログによると、枢さんに「海外動画サイトで全部探して見ました!」「友達からROMで借りて読みましたwww」といった内容のメールや手紙が「かなりひんぱんに」送られてくるという。
 ネットではニコニコ動画内の公式サイト「黒執事チャンネル」で一部無料配信されているが、「海外動画サイト」や「ROM」はほとんどが違法な配信・コピーとみられる。
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 こうした行為に対し、枢さんは「万引きや無銭飲食と一緒」「ワタシたちクリエーターや声優さんたちはご飯が食べられず、冗談じゃなく飢えて死にます」と憤る。それをメールに記して原作者に送るという無邪気さにも「背筋がぞっとします」とコメント。「『黒執事がすごく好きです!でも、中の人達は無収入にして飢え死にさせたいです★』ってメールを送ってきてるのと一緒」「猟奇的にも程がありますぞ…」と落胆している。

 DVDやBlu-ray Discを買うお金がなければ、有料配信やレンタルなどで見てほしいと訴える。「面白かった、続きが見たい、と思って下さったら、DVD、レンタル、公式グッズ、CD、なんでもかまいません。たった1個だけでもいいのです。是非気に入った作品の関連商品を買ってやってください。それが、作品の未来、ひいてはアニメ業界や漫画業界の未来に繋がります」と呼び掛けている。【ITmedia】
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関連がないように一見見える話である。
ダイエーは1964年、松下電器産業とテレビの値引き販売をめぐってもめた。俗に『ダイエー・松下戦争』という。
販売価格は一般的には購買価格まで遡及される。(つまり販売店が単独で低価格や値引きするほど、販売店の利ざやがない場合が多いのである。ただし流通在庫購買・・・在庫品を買う現金取引をのぞく) 開発コストまで削減することになると技術力を維持する企業の維持率にかかわるわけである。(電器店チェーン維持の問題や、企業ブランドの維持、全体的収益の確保もある。特に電器店チェーンとの関係はこの少し前、廉価販売との競合対応でこじれており、腐心してやっと立て直した経緯もある。このとき松下幸之助氏は自社チェーンストールに対し色紙を配ったという。それが、「共存共栄」である。まちがっても「きょーぞん だいえー」ではない(苦笑)。)
仕入れ先の締め付けで、ダイエーへの商品供給ルートの停止を行ったでダイエーに対抗した。30年後の1994年に最後は松下電器が折れる形で完全和解となった。ただし、その間三洋電機製品は取り扱いをしていたわけで、電器店チェーンを持たない企業で、かつ廉価ライン引いていたほうに対応をさせたともいえる。(というのは、ダイエーで買った三洋電機製の家電品を故障で修理に出したら、製品番号ではなくその最後のサフィックスを聞いた後、ダイエー向けなのでと言ってメーカーが修理を拒否し、ダイエーの責任でダイエーの修理工場でやってくれと言われたことがあるのである)
しかしこの後、消費者意識が安くは当然としてその上での「品質重視」に進化していった上に、家電量販店などの専門家に対抗できないこと、さらに薄利多売による内部留保蓄積の不足で、本社所在地の意図しない災害、つまり神戸淡路大震災の被害が直接影響を及ぼしてしまった。そこで購買仕様のの簡素化を進めたため売り場での選択肢が狭くなり、結果顧客から、「ダイエーには何でもある。でも、欲しいものは何もない」とまでいわれた。
そこでも中内氏はこういったという。「松下幸之助さんを経営者として非常に尊敬している。しかし価格決定権に対する考え方や、お客様の利益についての考え方は、私とは根本的に違っている」

ところが、このダイエー型の経営問題は意外と今でも中小のスーパーでは起きている問題である。(人材育成や、企業の体力維持をするための)内部留保を取らないから販売価格が安価になるからこそ企業の存立価値がある。一方品質問題は販売側の選択能力であるが、実務上は製造業者にある場合が多い上に、内部留保を取れない以上、製造業者に依存するしかないが、現実は製造業者の選別と市場からの退場促進で進む。このため商社の価値は保管配送機能と代行収受とみなす形になる。大手のディスカウント販売業者が瞬間的に変わる社会環境によって、すぐ廃業する(ダイクマがいい例かも)廃業するという事例は、(人材育成や、企業の体力維持をするための)内部留保がないからというもできるが、品質問題を無視したりしてさえ内部留保を獲得しようとする事自体がビジネスモデルとして成り立たないことでもある。
また、顧客から見たスーパーの社会的存在価値が脆弱と言う視点もある。というのは、不要なら買わないし、競合相手に鞍替えすることで事足りるし(幸いにもプレーヤー=販売業者が過剰気味である)、もしそこで草一本生えない状況になったら、その段階で買えるところに異動する「だけ」でいいのである。松下幸之助氏が唱えた「共存共栄」という言葉さえも成り立たない。
ダイエー・松下ともに、お客様の利益との共存共栄というものが前提であるとして、そのなかで利益をいかに配分していくかと言う陣取り合戦をしていたのであるが、そもそもお客様との共存共栄ということが成り立たないという市場が支配したと言うことになっていたのでそこに埋没しかかったともいえよう。幸いにも松下はのこったが、廉価ブランドの構築を作らなければならず、利潤のとれない製品の廃止と、三洋を再度吸収することを考える(それだけでもないのだが)というのもあるかもしれない。
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「『黒執事がすごく好きです!でも、中の人達は無収入にして飢え死にさせたいです★』ってメールを送ってきてるのと一緒」「猟奇的にも程がありますぞ…」と落胆している枢さんであるが、そもそも「黒執事」人気のかなりの部分は広報戦略で無料開示した、スーパーでの試食コーナーと同じはずだったのに、顧客の認識は無料だからこそ顧客が接しかつ応援しているという内部矛盾があると考える。というのは、「ニコニコ動画内の公式サイト「黒執事チャンネル」で一部無料配信されている」段階ですでに流通コスト(本・DVDなどにしたことで実経費や中間工数・販売店コスト・流通工数)がなく、作者への販売対価を必要としないと認識させていることになるのがあるからだ。IT技術がでて、この中間工程・コストが無意味な出費になったと後先関係なく意識した顧客が無視できないほど多くいたといえる。さらに、日本では民間放送がCM放映を代償にしているが表向け無償であり、(スポンサーの意向という暗黙知的問題が隠蔽されていても)CMを見ないようにする個々人の意思(CMを見ないようにする段階で、すでに共存共栄になっていない。)を持って、「無償」相当で価値のあるものを取得するというのは、その前からあったわけだ。
そもそもお客様との共存共栄ということが成り立たないという市場が支配したところでは、中の人達は無収入にして飢え死し、草一本生えない状況がおきても、新たなプレーヤーが出てきて去っていく繰り返し行為に今度は価値を見出す。では、この漫画がなくなったら困るのは顧客でないのか・・・と言う意見もあろう。しかし、その段階で次のものに価値を置き換え移行するのが顧客であると認識できないだろうか。特に嗜好品であるもの(演劇・文芸はそうとられやすい。いや科学でも同じである)はなければ市場自体が消えることが顕著である。
IT出現以前でも緩慢にせよ、このようにして多くの新規の「文化」は過去に痕跡のみを残して、特殊な庇護者・篤志家を得ない限り消えていったのである。それがIT出現以降さらに加速し迅速になったに過ぎない。アニメ業界や漫画業界の未来を考える、共存共栄を無償サービスがらこそ商業ベースに拡大させた「大量の顧客」に期待する事自体が自己矛盾ではないか。
共存共栄は今までは欧米でも、日本でも社会倫理の上で値付けが行われ、資本の原理では共存共栄を否定し、一人がちをしているのが短時間では理想である。長時間では入れ替わりがあるとは言えるが、それを種々の倫理で押さえ込んでいるのが実情であった。災害が起きたときに略奪が起きない国はごく少数である(それが日本でもある。極めつけはダイエーは震災のときに社会貢献を実施したことが、その後の経営の停滞を招いたと言う外資の意見さえもあったと聞く。「万引きや無銭飲食」とて、共存共栄を否定し、デジタル万引きにのように直接的実態資産を伴わない場合は、規範的な判断基準はきわどいともいえる。
そして社会倫理の上で共存共栄への値付けの概念が意味を持たず、過去の歴史の中から共存共栄と言う行為に損失経験しかないという国も、今はプレーヤーとして社会に入ってきた。今では大題目として、概念としては残っているが、プレーヤーが近隣だけでなく、国の外まで競争相手として食い合いをすることが経済原理で正当化され、共存共栄を守ると先行きが見えない社会では、漫画に限らず創作物は「残り香」だけの存在で消耗品としてただ処理することに価値があるというのかもしれず。また、このような創作物の償却年限が極めて少なくなっていると言える。
このことは、技術などの知的所有権・商慣習まで含む全体の問題である。共存共栄では糧が得られない場合の微小な糧の再配分で、どう本邦が「文化立国」をするかは、仙人のように霞を食う人間を開発に供するという幻影的な手法(ないしは危険な行為であるが、文化開発のの政府による直営・囲い込み)まで考えなければならないのだが、妙策はまだ私にも見えない。(続く)

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