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奈良・大和路(1/2)

しばらく近畿地区にいっておりました。親戚と言うより、子供から
「古いお寺に興味があるのだが、法隆寺を一度見てみたい」という声。
私にとってもまあいいだろうと思いました。そこで数日歩いてきたのですが、主なところが法隆寺・唐招提寺・薬師寺・平等院というわけである。
しかしねえ・・・これが熱い(もはや暑いでないなあ)と言うのと道路混雑がこまった。
いや観光客が多かったと言うことではない。もともと奈良は道路拡張をするとすぐ何らかの文化財の移動とか遺跡発掘にぶち当たると言うこともあり、新しい道の設置はともかく、旧来の道の拡充は一向に進まない。確かに観光ガイド本にレンタカーがお勧めとはあった。しかし、駐車場を探してうろうろするのはこれまた不得手であるし時間がもったいない。さらにお寺の多いところに駐車場が多いわけではない(法隆寺には駐車場があったが、唐招提寺・薬師寺・平等院の近くにはなかった。これらは駅の近くだったりもする。)
結果として困ったのは「バスが渋滞にはまって動けなくなることであるようで。
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奈良・大和路となると、海外の観光客が多いが、それでも唐招提寺・薬師寺は圧倒的に日本人が多い。薬師寺は復興整備ということもあって、お坊さんの説法(というかあれではプレゼンですな。写経のお勧めなんぞを見ると)なども熱心である。壮大な伽藍というのも整備する経緯もあってか、興味深い。

薬師寺124代管主高田好胤師(故人)は戦後荒れ果てた薬師寺の管主に就任し、かつて失われた金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。その際に檀家組織がなかった薬師寺では篤志の人々から写経納経の供養料を集める勧進を行った。さらに高田好胤はプレゼン能力に長けておりTV出演(人生相談に出ていた)や8000回におよぶ講演、書籍出版をおこなった。と言うわけで昭和になって再建された西塔と古くからある東塔 (国宝、奈良時代建立)を示して、法話で「千数百年のBeforeが西塔、Afterが東塔」と言われた日にはちょっと動揺した。
そういう意味では薬師寺はいまは一般受けする「宗教の普及に役立てる場所かつ、古美術の宝庫」なのだが、近所になる唐招提寺はその出自からして「唐招提寺を本拠として戒律研究に専念」という素地が差異としてあるのかきわめて荘厳である。もちろん、その昔は建屋の塗装は赤いわけで、朱(酸化鉄)ベースだったのだろうし、いまの状況はその朱が落ちたともいえる。
考えれば戒律をよく学習するということで、授戒の儀式は僧の技量を保障し、そして授戒したものは後続の僧を指導し、授戒を行うことであるから、「宗教学の博士課程も学位授与」のシステムに近く、薬師寺が医学・薬学を中心とした思想を根底に持ちながら仏法の普及に当るのであれば、唐招提寺を開いた中国からの渡来僧鑑真が、東大寺に戒壇を開いて日本で初めて戒律を授けた。つまりある意味で「宗教学博士」「文学博士」の称号に近いのではと思う。そして鑑真は唐招提寺を本拠として戒律研究に専念したということを考えると、ここはお寺と言うよりも「仏教理論研究施設」という存在に近かった可能性がある。
そう考えると、唐招提寺は古い大学の付属研究施設のたたずまいに似たような気もするのである。
(続く)

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