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合意形成

http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20100329-01.html

日本の夜明けは勘違いだった  フィナンシャル・タイムズ社説 2010年3月28日初出 翻訳・加藤祐子 gooニュース
日本国民が昨年8月の選挙で自民党を政権の座から追い出した時、その主な目的は、50年間にわたる自民党の権力独占を終わらせ、民主党にチャンスを与えることだった。国をぬかるみから引っ張り出してもらうため、有権者は民主党にチャンスを与えたのだ。
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しかし、日本の有権者には実はもう一つ別の思惑があるのではないか。内外のアナリストたちは揃ってそう勘ぐっていた。もうひとつの思惑とはつまり二大政党制の誕生だ。これまで受け身に徹していた有権者に、政治思想的に競い合う政党のどちらかを選ぶという、本物のチャンスを与える仕組み。期待以下の働きしかしない政権を(半世紀よりも短い周期で)追い出す機会を、有権者に与える仕組み。そういう仕組みの誕生を、有権者は期待していたのではないか。当時はそう思われていたのだ。

しかし本当にそれが狙いだったなら、どうもうまく行っていないようだ。権力という接着剤を失った自民党が分裂の危機に直面していることが、期待外れな展開の最大原因だ。一つのまとまった政治思想のもとに集結するどころか、自民党はかつてないほど細分化の度合いを深めている。
この3月、自民党内で最も金持ちだと言われる鳩山邦夫氏(鳩山由紀夫首相の弟でもある)が、離党した。政策通の重鎮で元財務相の与謝野馨氏も、新党結成の意向を示している。お茶の間の誰もが知っている舛添要一氏も、自ら「Lousy Dumb Party(お粗末で馬鹿な党)」と呼ぶ自民党を離党するぞと圧力をかけている。離党をほのめかす彼らが全員離党したら、自民党は一番金持ちな党員と一番頭のいい党員と一番人気のある党員を立て続けに失うことになる。
おまけに与党・民主党も相変わらず、政治思想的にごたまぜの寄せ集め状態で、それが混乱に拍車をかけている。権力を手にしても、民主党内の政策見解に一体感が生まれることはなかった。米軍再編や郵政民営化の撤回などといった重要案件についても、民主党は公然と党内で言い争ってきた。新時代の幕開けにしては、何ともはっきりしないヨロヨロしたスタートだった。
政治思想がくっきり鮮明化することを期待する人もいたが、それは日本には不向きなことなのかもしれない。文化が違うからだなどという説明の仕方は要注意だ。しかし、日本がほかの民主国家と比べて人種や宗教の分断、ひいては階級の分断さえ少ない、合意重視型の国であることは間違いない。日本において政党は、社会福祉 vs 健全財政、近隣諸国との友好 vs 強固な日米同盟――などといった明確な政治思想の違いをもとに成り立っているというよりは、個人的な人間関係や、力と金の取り引きをもとに成り立っているのだ。それはそれでいいだろう。しかし日本の経済力が心許ないことになりつつある時、とりわけ台頭する中国などの大勢力に打撃を受けている時、そうした政党の在り方は、断固とした決断力あふれる行動をとるには不向きだ。
この状況を簡単に解決する手軽な方法などない。しかしもし自民党がここでシャンとするならば、民主党も否応なくしっかりするかもしれない。そうすればせめてもの出発点にはなる。
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少し前の話であるがその後どうも変わっていない。
日本がほかの民主国家と比べて人種や宗教の分断、ひいては階級の分断さえ少ない、合意重視型の国であることは間違いない。ただ、合意形成というのが別に日本特有かというとそうでもない気もする。概してアジアの各国の文化(タイもそうだろうしフィリピンなど)でもこういう国自体は少なくはない。ただし階級の分断ということは割りと特有かもしれない。それでも判断基準が政治に関しては合理的というよりも個人的な人間関係や、力と金の取り引きをもとに成り立っているというのが骨子と言えよう。しかも打撃を受けている時、決断力あふれる行動をとることは合意形成に対する問題にかかわりそうである。
政治の問題だけではない。いろんな事業で日本は同じレベルの資本があるプレーヤーが多過ぎると、業界団体幹部は危ぶむ。投資戦略で後れをとり、蓄積した技術いを大量の投資と低価格の人件費で極端な場合札束で顔をひっぱたくことで、競争力を失ったと言う企業も多すぎるのである。そこで技術力を高める以前に低価格戦略で勝つと言う手法もあるが、実は基礎的な企業運営コストが高いと言うことがあるからか、日本の場合概して成り立たないけことになる手法と言うのがどうもあるようだ。
同業との合併協業がこまかいところではあっても、企業の根幹部分で統合できないと言うのが日本の企業であるという。その意味で日本語、日本人の情緒から支配を離れると言う企業が出てくることは否定できない。その意味ではその縛りを排除することが世界的企業になる前提と言う指摘もあるんだが。
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にたような見方をすると、政治家の国民に対する説明責任に大しても、最後には同意をもとめるところまで説明を求めると言うことを日本人は求めてそうでなければ許さないし、また根源的な思想の違いを前提にすることをさせない説明の遂行を求め、主義主張の厳密な合意がなければ業務が進まないと言う厳密性があるのかもしれない。そうなると欧米の概念である説明責任遂行を日本で行うと、まとまりがまずできないと言うことがある。この結果決断力あふれる行動を行えば行うほど合意形成ができにくくなるということになるのでは。つまり説明責任を履行することで、つかれきって仕事がうまくいかなくなる現状を見るのと、さらに説明責任を強く要求し、それに対して同意を前提としない状況を作ることでということで、事実上業務遂行をしないことがいいことになる世界が出来上がっているかもしれない。

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