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地図に残る仕事、地図にしか残らない仕事

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http://blog.kohan-studio.com/archives/51700356.html#comments
がんばってゼロになる仕事が評価されるためには  2009年09月02日
何日か前(2009年8月31日)の日経の夕刊社会面に載ってた記事、脱官僚を掲げる民主党政権についての各省の反応という話の中で、国交省河川局幹部の人が、「・・・民主党は治水事業に詳しくない議員も多く、むちゃを言われないか」と困惑しているとあった。
んもう、そういうことをうっかり言うから、痛くもない腹を探られるというか、逆に勘ぐられるんじゃないか、と思ったのだが、考えてみたら今後大変になるぞというのは、今まで自民党議員に対してはさほど苦労なく予算が通っていた、とも取れるので、語るに落ちているとも言える。なにより国民が選んでしまった人たちが治水に詳しくないと言うことは、国民の大多数が治水に関心がないということであって、それって今までぜんぜん「説明」が足りてないってことじゃないか、という結論以外にはどこにも到達しない。
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わたしなどに偉そうに言われて迷惑かもしれないが、治水事業というのは、がんばってゼロになる仕事である。やらなければ大雨がくるたびに水びたし。治水をやってようやく、いつでも乾いた状態(ゼロ)を維持できる。そういう仕事を正当に評価するのって難しい。人は平時(ゼロ)にあって、災害時(マイナス)を忘れてしまうからだ。あのダムが、あの水門があったから今回の台風でも水が出なかった、とずっと思い続けることは難しいのだ。
治水の仕事をされているみなさんが大きなプライドを持って仕事をされていることについては、常に敬服しているし、あこがれすら感じる。日夜がんばって水を制御しているんだぞ、みたいなことは声高に喧伝するものではない、というようなダンディズムというか、男は黙って仕事する、みたいな価値観があるのではと思うが、その結果として国民の理解不足という構造を築いてしまったのであれば、ダンディなままでいいとは思えない。治水はやらんでいい、とまでは行かないにしても、無駄みたいだからとにかく何でも減らす、みたいな別次元の論理で予算カットされるようになる。というか、すでにそうなりかけているではないか。(中略)
政権が交代していろいろと風通しがよくなることもあるだろうし、効率の低下で山ほど問題が出てくることも予想される。それ自体は悪いことじゃない。変化が刺激となっていろいろなことが活性化することは歓迎されるべき事態だろう。しかし心配なのは、治水の知識がないけどやたらと声高に騒ぎ立てるのが好きな人たちが、尻馬に乗って再びピントのずれたキャンペーンを起こさないだろうか、ということだ。(中略)
本当に必要かどうか深いレベルで理解している人が、一人でも増えることこそが重要だよね。
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もともと、道路整備にせよ土木工事へ社会が投資するのは、恩恵が社会に公平性を持っている上に、出来てしまえば、直接的・間接的な多くの人々による自由な使用により、多様な社会的効用を長い期間にわたって生み続ける事ができるからである。福祉・教育は社会的に還元できるか強制できないところがあり、社会資本としては確実性が低いところもあり、堅い投資対象にはなりにくい。だからこそ教育と言うのは社会投資環境としては順位が低い側面があった。ただしこれは日本では幸いにもそうならなかっただけである。
確かに教育費さえも捻出できないという場合が実は、地域によっては日本で生じているのも事実であるし、一方アジアの新興国では経済的投資が近視眼的供給の最低限以上に回ることから、中等教育への志向を進めて、生産性をたかめるということがなされているのも事実である。そこで長期的社会の維持を狙うことで教育・・特に中等教育にことさら投資を充実させると言うことは、必要なことではあろう。ただこの状況が極めて偏在的に生じているのも事実であるが、お金のない地域ところにこそ支給しなければならないという社会政策的側面は、説明されにくいということもある。その結果均等に支給するしか、税金を出す立場としての国民には、支給への同意が得られないのである。
つまり、「コンクリートから人へ」というのは短期間に回収する投資をあきらめ、長期間の投資のみにするという方針転換である分けで、今までの手法が倫理にもとるわけではない。直接給付金・キャッシュバック政策と、政府が政策的・・・と言うより利益誘導で設定できる行為では、政府が投資するもの全体にかかわるもので、政府の公共サービス実施自体の一般的問題であり、本質はかわらないものである。
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なぜ、道路や橋梁トンネル等の建設インフラ投資を、「利権の温床」「無駄遣い」ということにしがちなのだろか。
予算規模が大きいうえに投資効果が明確になるため、人々とっては短期回収を得やすいことから、どうしてもくる人は多くなる。更に、公共投資自体が企業の経済的存立のほとんどと言うこと、更に「公益性」を持つと言う前提のため屋上屋を架すような(比喩なんだが・・・)予測の難しい評価内容を求めることかあるからである。そこを理解すると言うことは、予知できない災害を防ぐと言う前提があるため仮定を大いに含む技術的想定がある(安全率というものに当る)。つまり、本当に必要かどうか深いレベルで理解している人が増えることが望ましいが、それが推察できる人は、技術がおこなう推論の積み上げを全部把握する必要があるとなると、まず一人の人間の推論範囲をすでにオーバーフローしているのではないか。つまりその中身がそもそも見えないことに対し「説明責任」を果たすことが、お互いに徒労という経験があるのかもしれない。
公共投資において予算が民間に比べてとかく太ると言うのは言われることである。公共性ということの審査からこれを必要悪とすることは、求められなくなっている。しかし更に「説明責任」を果たすためにかなりのコストがかかるという現実は、無駄と言うべきかとなると、多分困るであろう。しかも八ッ場ダムでも、空港開発でもそうだが、設備を整えるために、その費用の10倍の周辺整備がかかわり、事実上都市・地域開発の側面が大きく伴うといなると言うことは、だます意図がなくても分かりにくいし、また目的の隠蔽にも使われるというのもあるかもしれない。
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大型ゴミ処理(焼却・圧縮)設備を設計・施工しているある会社の人に聞いた話に、技術者を継続雇用せず派遣社員を集中して従事させている(ごく少しの専門技術者は、実務にかかわっているものの肩書き上は他の部署の出向と言う形にしている)という企業があると言う。それは仕事がとても多いと言うことではあるが、その工数のほとんど、そして内容の90%が説明資料と、それに伴う修正、手続き変更、説得、そしてかなりの割合の工数は取り消しになることによるロスであり人件費であるからで、研究開発・設計と言う業務ではない。技術者を重点配置することではとてもやっていけないのだという。つまり、技術者の求められる内容があまりにもないと言うことである。
ただ、もう一つは、交渉案件に技術者を出すと離職者や神経的な障害で休職するということがあまりにも多いとか、地域によっては「技術者」を狙って種々の傷害事件に近い嫌がらせもあり、業務を行う上では専従業務者は雇用期限を切ってお願いするか、短期で他の部署とローテーションをかけるという労務対策を採るしかないというので、工数が膨張するというのである。つまり説明責任遂行は必要であるが、そのためにプラントの設計コストが倍に膨れ上がり、質も向上しにくいことを前提に、公共投資を侵食している事例もある。(もっとも雇用確保している側面はあるのだが)しかも、これらの業務を行っても「利権の温床」というみなされ方をすることで、企業のブランド評価も上がらず、業務の質さえ上がらないから、撤退も多いということも聞く。(いくらかは言い訳が混ざってはいるだろうが)
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無駄みたいだからとにかく何でも減らす次元の論理で予算カットされるというのは、民衆の視点、大衆の視点の策定(社会民主主義の基本的視点)ではある。そしてその前提を貫くことは、説得力と議員の地位の安定を近視眼的に得ることができる。かつての公共投資は基本的に国家大計のもとで作る前提があるから10年ぐらいの計画過程、10年の説得、10年の施工とあった。けど、そのような長いスパンを得ることさえも、社会の変化に対応できないと言う前提で「無駄遣い」とする傾向がある。そしてこの10年でできたものが、計画終了後には使いにくいものになることは良くあることである。

結果、各自の生活に近視眼的視点で関係ないものは、無駄と判断するしかないという視点に、陥ることが補正されないで行くしかないのは、税収というINPUTが国で縮減され、収入と言うINPUTが個人で縮減されているからである。税収増加のときは考えなかっただろうが、とはいえ税収増加の策もない。となると「おためごかし」の行為(表面はいかにも相手のためであるかのように偽って、実際は自分の利益をはかること。)が社会を牛耳ると言うことは、どうも免れない社会だと考える。その結果、「説明責任」が無制限に膨張することもある。
説明責任は必要であるが、そこだけが膨張することをバランスよく制御することは、だれが行えるのだろう。
かつて、「地図に残る仕事」をコピーにしていた企業があったが、「地図にしか残らない仕事」というネガティブ解釈を求める人たちもある現実は、価値観の差異以前の問題を感じる。説明が求められ、説明の説明が求められ、説明の説明の説明が求められ・・・・という膨張が回数が増えるに従い無駄と判断される視点があることがおきるから、種々の無駄がおきる場面が増加し、企業の不祥事の誘発も時に生じている見方が出てくるべきではあろうが。

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