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会社の英語公用語化(1/3)

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ユニクロ:幹部会議や文書、英語公用化--12年から  2010年6月24日 毎日新聞
 カジュアル衣料のユニクロを展開するファーストリテイリングは23日、12年3月から社内の公用語を英語にする方針を明らかにした。日本のオフィスも含めて、幹部による会議や文書は基本的に英語とする。海外展開を加速させており、言語の共通化が不可欠と判断した。
 柳井正会長兼社長は毎日新聞の取材に「日本の会社が世界企業として生き残るため」と語った。導入までに「海外で業務ができる最低限の水準」(柳井会長)として、国際英語能力テスト「TOEIC」で700点以上の取得を求める。幹部社員の賃金体系も世界で統一し、店長クラスの海外異動を日常化させる。新卒採用も外国人を増やし、11年入社は600人の半数を外国人にする計画だ。
 日本企業が英語を公用語にしたケースは、日産自動車、楽天など極めて限られている。【井出晋平】
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なるほどね。
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ある有名ブロガー・・・というよりは評論家であるがこういう指摘を書いていた。
http://blog.tatsuru.com/2010/06/24_1311.php

英語公用語化について  2010年06月24日
「ユニクロが公用語、英語に」という新聞の見出しを見て、(中略)
こんな時代にサラリーマンをしていなくてよかったなあ、と心底思う。英語が公用語という環境では、「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになる。英語が公用語になったある学部では、英語運用能力と、知的ランキングが同期してしまって、授業が困難になったという話を聴いたことがある。その学部では「ネイティヴスピーカー」が知的序列の最上位に来て、次に「帰国子女」が来て、最後に「日本育ちで、学校で英語を勉強した人間」が来る。

日本人教師たちのほとんどは最後のグループに属するので、教師が授業で何かを訥々と話しても、ネイティブが滑らかな英語でそれを遮り「あなたは間違っている」というと、クラスは一斉にネイティブに理ありとする雰囲気になってしまうのだそうである。教師はたまりません、とその学部の先生が涙目で言っていた。
これもある大学の話。
ネイティブの教員が教授会で、この大学の教員はバカばかりで、私に英語で話しかけてくる同僚がほとんどいないと(英語で)演説したことがあった。この人は「自分に誰も話しかけてこないこと」の理由をもっぱら同僚たちの英語運用能力の不足に求めていたが、「厭なやつには誰も話しかけない」という経験則を勘定に入れ忘れた彼女の知的不調の方がむしろコミュニケーション失調の主因のように思われる。
というように日本の組織で、英語を公用語化した場合には、いろいろな悲喜劇が展開することになる。
私自身は「リンガ・フランカ論」(注http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php)でも書いたように、国際共通語の習得は日本人に必須のものだと思っている。ただ、その習得プロセスにおいては、決して「言語運用能力」と「知的能力」を同一視してはならない、ということをルール化しなければ「植民地主義的」なマインドと「買弁資本的おべんちゃら野郎」を再生産するリスクが高いということは繰り返し強調しておかなければならない。
(中略)
真に実践的な精神は、料理をするときにトンカチを使い、糸鋸を使い、凧糸を使い、ホッチキスを使うことを厭わない。素材や調理法が要求するなら、どんな道具でも繰り出そうじゃないの、というのが真の料理人である。私はこの関孫六の包丁一本しか使わないという人は「刃物フェティッシュ」ではあっても料理人ではない。その順序を過つと(たぶん過つと思うが)、英語を公用語にした企業の未来はあまり明るくないであろう。
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最後えらく辛らつなことをいっている。
英語がいる業務と言うのは確かに多い。そして、「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになるというのは実感として分かる。私は英語ができるわけではない(ずーっと勉強に対する資本投資はしたし、企業勤務の際もしていたので延べ時間は相当長いものになるであろう。
しかし、過半をついやしたのに英文は読めるし、技術用語はわかるにもかかわらず、契約関係の話とかになるとやはりきついものがある。したがって英語の専門家は必ずいるのだがその通訳内容を修正したりすることをしないと、とんでもないことになると言うのはある(まったく違うことをいわれる場合もある)
この会社が期待しているのは、楽天社長の発言にもある。要約すると・・・

 日本人が英語をしゃべれるようになれば、海外の人も日本で働きやすくなる。日本人を使うとコストが高いし、労働力が足りなくなる以上海外から来てもらう。日本語だと日本語がしゃべれないとハンデになるが、英語になった瞬間に全員が平等になる。「英語だけしゃべれて仕事ができない奴がいっぱいいる」という人が必ずいるが、もう英語は必要条件。読み書きそろばんのそろばんと同じ。グローバルに展開していくんですから、業務進行上の支障があれば、降格せざるをえない。

つまり、この視点は、「仕事はできるが英語はできない」人間も「仕事はできないが英語ができる」も排除し、「仕事ができ、英語はできる」という人間を選定することでこの懸念はなくなるということである。つまり体のいい遠別なのである。
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ただし長年仕事をやっていると、「仕事ができ、英語はできる」と言う場合でも、仕事と言うもののなかの細分が全然異なっていると感じることは多い。
ます英語ができると言うことは逆にいうと、主張をし、自分の有用性を大きく訴求することが先である。結果の熟成度や作りこみに関しては、共同での仕事でないならきわめて荒い精度でも良いのだが、その苦情に対して、契約外とかいうことで押しとどめる行為が正当と評価される。お客様は対等な関係で契約であるから、契約外のことをすることは顧客満足度を高めると言う発想よりも不当な要求で最終的には企業の存立を脅かすものと言う発想になるのだろう。
この概念は、敬語という感覚がウラル-アルタイ語のうち古い時代の満州語、朝鮮語、日本語にしかないと言うことに分かるように他国では理解しにくいものである可能性がある。概念としてして公称の前提に相手の存立意義を確かめることが先に来るというのは、公称の前提に上下があると言うことになろう。(古い時代の満州語自体は今は消滅の危機に瀕する言語の中にある。ただしこの影響が本来ありにくいhずの中国語に多少残っている。また、他の語族圏でも痕跡が残ってる場合はあるようだ。)一方、語感としては敬語があるが、語彙としてない地域が関東にあるなど、このあたりは地域偏差はその社会の平坦さで多少差異があるようだ。
ところがこの知識前提で海外相手に日本風の交渉をすると、利潤を吸い取られるとか、ねだんをたたかれるとか不都合な事例があまりにも多いのであろう。逆に海外の営業マンがこの手法で交渉をすると、ほとんどの日本企業はあいてを拒絶するか、相手のいうことを聞くかというところになってしまう。日本国内にリテール営業をする企業は、たいがいここで逃げ帰るか、日本国内のパートナー企業を通じて営業するか、独自性の高い子会社を展開することで成り立たせるのであろう。特に最近であるが、製品を日本国内で販売(日本企業に販売ではない、再輸出は問題ないから)することを躊躇し、日本国内での販売を「リスクが大きいもの」として避ける企業が多くなり、対外投資を得られない企業が出ているようである。
このように、日本で仕事ができる人が海外で仕事ができると言うことは全然一致しないし、商圏が別な上に、海外の販売システムを用いたことで顧客が逃げると言うことはある。(相手が日本の商売体系を分かるところが商売できる)だから英語ができ、米国文化を知って実践していると言う人を雇うと国内では通用しないと言うのは分かる。わたしもそういう意味では内田氏と同じ見方をする。
ただし、英語ができ、米国文化を知って実践していると言う人を英国に特化したスタッフとして雇い、交渉専門家として尊重する上に、相互に互いの補完をすることなら、実はすごい仕事が出来上がると言う側面がある気がするし、3人力のしごともできると言うものだが、これ自体が他国の視点では競争する業界の中での力、アクションをそいでいるとみなされ、馬鹿にされ、評価を下げるもとになる。彼らにとって通訳を介する業務推進は無能と言う評価以外の何者でもないわけであり、仕事ができないと言う評価は、言葉で言いくるめてしまう社会では致命的であるが、それが世界で利をむさぼる人の基本的素養になってる以上、海外業務ではそういうひとを尊重しなければならない。ウラルアルタイ語族自体で世界のビジネス活躍をしているのは日本と韓国であるが、この言葉構成が英語などとのマッチングが悪いと言うのもまた事実であって、どうも欧州のように隣接の3ヶ国語を話すと言うことができないというのである。(逆に韓国語はそのきになれば日本人には学習しやすいし、旧満州でも歴史的経緯以外にも現地の満州語を使っていた人が日本語を学ぶのは割りとらくだたたらしいと言う知見があると聞く)
決して自分がレベルが高いなんて思ったことはないが、営業マンと接していくと、印象が清楚で弁説鮮やかだが論旨がおかしいという外国人(欧米・中国のうち現地の人で華僑ではないですね)にあうことがある。こういう人に周辺知識を聞いても、「私は売り専門であって」と言われ、j技術情報のキーマンにさえあわせてもらうことはない。また職分を守りこむため、応用動作をしないという人もいる。
一方、少しではあるが日本人にあわせようと、日本人好みの営業活動で地べたを這うような営業活動をしていく人もたまにはおり、意外と日本の顧客はそちらを好むのであるが、私が接した後者のような、相互理解ができると思われる営業担当はまず契約が成就しないというか、本国に帰らされたり、雇用がきられたりしてしまうのである。つまり、感情よりも金銭的利潤を前提にしてその元でサービスなどを構築していくという考えでないと、業務の説得や評価がされない思想があり、それを熟成している一つにヒエラルキーが強い表現を前提にして構築される英語が前提にあるのだろう。
言語の構成からして思考が英語的に出ると、日本での営業活動はなりたたないということである。ところが、着眼点を代えると、この日本の商慣習や交渉を含めた風習を維持する限り、商業においては日本とばしをされ始めていると言う視点も、実は感じている。技術標準などでもそのために日本の技術標準だからこそ扱わないとか、日本市場への販売は品質保証になっても利潤も上がらず人件費も係り市場飽和だから、あえて販売ルートを作らないという知見さえ出ているようなのである。いや日本企業とて国内の販売利益が頭打ちである以上、日本の風習を踏まえた独自のマーケット構築は、資本投下に見合わないと言うも方もあるのではないか。つまり日本語が障壁(世界の共通言語ということでなく、それを母国語にすることで比較的楽に頂点に立てているという認識(・・・一面そうだが、その分英語が母国語同士の人物同士の競争はすざましいので、楽とは言い切れない・・・))があるため、もっと利を得る姿勢を得るためには、日本語と日本語の持つロジックを捨ててほしいと言うことかもしれない。(続く)

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コメント

こんにちは。示唆に富んだ内容だと思いました。工学系の研究発表などでは、日本語で書いて有名な日本の学会に投稿したら通らず、同じ内容を英語で書いてマイナーな国際学会に投稿すれば通るということはかなりあるようです。英語で書くのは当然という流れもありますが、英語で書いた物は山ほどあるというのも現状でですから、少なくとも日本語で書いたものが認められて、それをその学会の国際ジャーナルに掲載されるというのが少なくとも内容のチェックにつながるように思います。ただ、どちらも論文のインパクトは同じようなので、自分の業績にとどめるだけでしたら、ほとんど変わらないようにも思います。

>「TOEIC」で700点以上…
ぎりぎりクリアしていますが、やはり残りの相当の部分は会話の中身と人間性だと思います。ねじの話を英語でできることで、国際的な大手ねじ商社を経営されている社長さんもいますので…。

投稿: KADOTA | 2010年7月17日 (土曜日) 07時49分

>工学系の研究発表などでは、日本語で書いて有名な日本の学会に投稿したら通らず、同じ内容を英語で書いてマイナーな国際学会に投稿すれば通るということはかなりあるようです。
もちろん言語以外に問題がある(たとえばジャーナルの査読者の問題)のが隠れてるかもしれません。
後で述べますが、米国系の企業のお付き合いをしていると、英語論文の必要性が高いのですが、私の場合のように製造ライン研究などの論文って英語であまり出てないんです。考えるとこのような議論はアメリカには「経営工学」的見地に入ってしまうようで、工学的なアプローチにならないともいえるようです。この手の差異が文化圏の差でいっぱいあるので、それをどっちのスタンダードにするかではないかと思いますな。

投稿: デハボ1000 | 2010年7月17日 (土曜日) 11時27分

こんばんは。
トヨタ自動車のブラジル工場の方から聞いた話なのですが、トヨタの海外工場で最も不良率が低いのはトルコ工場、次いでブラジル工場なのだそうです。理由を聞くと、日本のものづくりを日本語でそのまま教えられるから、とのことでした。ブラジルには日本語を理解する日系人の方がたくさんいます。そしてトルコ語は日本語と同じウラル・アルタイ語系の言語であり、トルコ人にとっては非常に習得しやすい言語です(文字を覚えるのはきついでしょうけれど)。このため、トヨタのトルコ人のマネージャークラスは全員流暢な日本語を話すのだそうです。
このトヨタのエピソードについては、外国語が苦手な日本人は日本のものづくりをうまく翻訳できないため、日本語が通じる国では丁寧に教えることができ、外国語で教えなければならない国では細かいニュアンスが相手に伝わらないだけの話かもしれません。しかし、それでもやはりものづくりについては無理に英語化しないほうが良いのではないかと感じます。

投稿: kunihiko_ouchi | 2010年7月18日 (日曜日) 00時01分

今回話題になっている企業は、製造業と言うよりは販売に重きを置いている企業ですよね。この後述べていきますが、思想性をもつこと自体を求めない場合どころか、「どこの国かを明確化することが忌避の対象になる」企業運営もあるのでしょう。見事にこの皮肉を言っている企業経営者もある(後述)のには笑いました。

投稿: デハボ1000 | 2010年7月18日 (日曜日) 00時59分

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