« 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(2/4) | トップページ | 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(4/4) »

「卑劣」きわまる行為なんだそうな(3/4)

------------------------引用
「ドブス守る会」動画問題で首都大生2人退学処分に  6月24日17時42分配信 産経新聞
 首都大学東京(東京都日野市)の学生が路上の女性に「ドブス写真集を作る」などと声をかけて無断で動画を撮影し、動画投稿サイトに投稿していた問題で、大学側は24日、システムデザイン学部4年の男子学生2人=(22)と(23)=を退学処分に、動画の音楽制作を担当した同研究科の博士前期課程の男子院生(22)を停学処分(1カ月)にした。
 大学などによると、動画投稿サイト「YouTube」に投稿された問題の動画は今月12日、東京都立川市のJR立川駅で撮影したものなど4本に上り、通行中の女性に「ドブス写真集を作ろうと思っています」などと声をかけ、女性がいやがって逃げる様子などが撮られている。
 学生たちは「不道徳なものから生じるおかしみを表現したかった」などと説明しているという。
 首都大の原島文雄学長は「本学学生の悪質な行為により、映像を公開された方々におわびする。元の安寧な学修環境を取り戻せるよう取り組んでいく」とコメント。大学側は今後、撮影された女性らへ直接謝罪することなどを検討するという。
----------------------終了
一応「東京都立大学ってこの程度・・・」ということを目にするがこの場合、併合した別の都立大学なんだが。
ブログランキング・にほんブログ村へ

それはともかく、
○社会的に大学と言うものがどうあるべきと考えるか
○芸術が社会に対しどういうスタンスを保つべきものか
○そもそも倫理に反すると言うことはどういうことなのか
を分離して考えなければならない。問題の分離不足とと混在が理解を妨げているのではと考える。いか長くなるが、考えることを述べる。
------------
(1)社会的に大学と言うものがどうあるべき?
大学には知の社会への還元(現場で実務を担う人材育成という場合と、大学教員による実務支援という場合)と、知的資源の創出(先駆者として他の社会人を牽引する人材の創出・・育成でなくピックアップするだけ・・・という場合と、全世界に対する知的アドバンテージの提案という場合)である。これ相容れないよね。狙ってるところはさほど変わっていないのに、全部できるのにバラエティに味を出した大橋未歩アナと、報道・情報が得意なのにその姿勢のままバラエティもこなせる大江麻理子アナほど差があるよね。(おい)
この大学と言うのは東京都立大時代においては知的資源の創出をどちらかといえばメインにしていたと思われるのだが、改組の際に知の社会への還元にシフトし、先に述べたとおりかなりの軋轢を生じた経緯がある(既報)。

その昔多くの学生が学生運動に没頭していた時代、社会の大学に対する要望は、「先駆者として他の社会人を牽引する人材の創出と、全世界に対する知的アドバンテージの提案」であり、若者は社会のするべき内容として権力に対し問題提起をしていた。その手法が正鵠かは異論があるのだが。
では今回の相手はというと、「自分たちより弱い存在」であるのだろうが、実はこれを価値として適用するとはいえ判断するのは実は、「自分たちより弱い存在」と同レベルの人による判断を得ようとしていたのではないか。これは微妙なところがあって、弱いものいじめから生じる快感がそもそも「自分たちより弱い存在」同士では興味の対象になりうる(その割合は低いが)そして、時に自分より強大な組織にさえ「突撃」することさえある潜在意識がある。
というのは、学生運動の闘士は概して企業への就職がかなわずということになったようである。それらの中には政治家になった人もいるが、日陰の生活を送ると言う場合と、さらに潜行してしまうむしろ付和雷同したほうはそこまで阻害されなかった。つまりこれを外見だけで見ると、「先駆者として他の社会人を牽引する人材」を認めるかというのは、周辺の環境と言う側面がないか。そしてその行為を行う発言者のリスクが伴うことを指導教官とても指摘していなかったのではないか。
これは現在の日本では微妙である。社会がフラットなため、先駆者として他の社会人を牽引する人材をあらかじめ設定固定することはかなわず(欧米諸国にとってはエリート層が固定化することをあらかじめ前提とし、庶民が諦めを持って肯定しているのが多い。田中角栄氏や村山富市氏に限らず、庶民がそれなりの学校をでたり、社会運動をしたりする形で中枢を握る事例は異様でむしろ世襲のほうがわかりいいという見方もあったようだ)そのため、大学がどのように生徒を意識付けしていくのかが固定できないと思う。
首都大学東京への改組はリベラル・アーツ・カレッジという、知の社会への還元への学校内でのシフトを強引に進めた経緯があるのだが、それまでの経緯と、採用する教員にとってこのクラスの大学に採用される先生は専門教育型の教育を進めている「知的資源の創出と趣旨とする」大学出身の大学からしかこないという立ち位置の問題、それでいて私立大学ではないから思想までの統一性と不自由さは否定される側面がある。要するにこのような姿勢では、目的意識の分散化をしてしまうのであろう。
かつて原爆被災者慰霊のための広島平和公園の千羽鶴に放火し逮捕された学生を、ある大学では学長が平和公園と広島市を訪れて大学まで持ってきた千羽鶴を持参し謝罪し、大学は無期停学処分にとどめ、個別の平和教育を施したという。(もちろんこの事件は何回かあり、生徒を退学にした大学もある)このため、「不良品」をラインの外に放り出すしかしないのかと言う意見もあり、反対にそもそもいそのような資質の生徒を大学に入れたこと自体が非難の対象であるということにしている意見もある。
つまり、大学の目的が、「考える、学ぶ、究める、問う、疑う、という行為」を資質に必要とする、専門教育志向の大学では、社会の意見を喚起するための行為として、問題を認識してもらい、新たな価値の創出に寄与する活動を行うのであるが、大学の目的が「社会に対する既存知識の普及と奉仕」と言う目的性を示しているなら、この手法はそれなりにまとまっている。相対的に日本では私立大学は「知の社会還元」の側面が高いと言えるのだが、旧制大学に相当する帝国大学においては、旧7帝大・東京商大(一橋)・神戸商大(現神戸大の一部)、東京工大、大阪工大(現:阪大の一部)、そして台湾帝大・京城帝大・旅順工大(直接は後継なし) というところで聞くとまあ大学での行動は良くも悪くも野放図で、学問の自由とかいう側面で「考える・学ぶ・究める・問う・疑う行為」が与えられていたのであるが、ほぼ旧制大学卒とみなされた、東京高等師範(現:筑波大学の大部分)、広島高等師範(現:広島大学の一部)、東京女子高等師範(現:御茶ノ水女子大)、奈良高等師範(現:奈良女子大)、そして、軍関係の士官学校は、社会と言うものがどういうことか(国なのか、教育なのかは目的が違うが)はともかく、「考える、学ぶ、究める、問う、疑う、という行為」は学ぶの偏在し、(時に政治にて否定され)知識の習得とそれを実務に還元するところにメインが置かれたため、ほぼ旧制大学卒業同等としてもその考えが異なっていた。(人によっては教条主義・テキスト主義という視点があるという。旧制師範学校に対しての傾向としていうことが多いのだが。)
確かにこの区分は不幸な側面を持つのだが、その痕跡として、「学内」でのことではあるが、毎年毎年「折田先生像」という「器物損壊」「人権蹂躙」を理解したり西部講堂の存在を一つの個性にする京大とか、寮祭が2Fからのダイビングであるとかいうのは荒っぽいがあちこちにあるのが、国立・公立では困ったことに旧7帝大系統ばかりになっているところが教育の二面性を持つことを感じる。なおこの事例は海外の大学でも結構あるようだ。

その意味で私は、本当は大学として世論や今後の生徒の質低下(実際世論だけだとこういうのは起きる)の懸念から、譴責処分にすることは当然であろう。無期限休学もあると思う。というのは場合によっては大学も含め、盗撮、人権侵害、肖像権侵害など東京都迷惑防止条例違反という対象に成りうる可能性があるからである。ただし、退学にするというのは、ただ放逐しておしまいという無責任を感じるのだが、多分とことん人間をつぶすべきと言うことで、人を踏みつけないと自分が生きながらえない現実から推論した意見が「知を還元するべき社会」から出てる以上、この大学の現段階のスタンスでは免れないと思う。過去、政治の面で当時異端となった行為をとったために、卒業生リストから抹消する行為はちょくちょくあり、その後政治社会で有力になってから、あわてて復活させた事例も多いことも思い出すべきである。
ただし、一応考えるべきは、除籍でなく既存単位を持った上での退学である。ここの可能性を考えるべきである。(続く)

|

« 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(2/4) | トップページ | 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(4/4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/48726644

この記事へのトラックバック一覧です: 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(3/4):

« 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(2/4) | トップページ | 「卑劣」きわまる行為なんだそうな(4/4) »