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唐様で書く(2/2)

(承前)
売り家と唐様で書く三代目:初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの。
先に述べたとおり、目的意識が確かに、顧客がほしい情報以外の情報で付加価値をつけても、評価されにくいということではあるな。となると、断片的情報を積み重ね、形に整えるだけでも評価されることはある。
その過程で本当にほしい「目的」を間違えると、表向けはそれらしくなっていても中はぼろぼろとなるし、分かりにくいが独自の視点を持っているのが分かりにくくなって、後で第三者が後悔することもあろう。見せ金なら唐様で書くのも許されるのもどうもありかもしれない。
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卒論をケータイで書いてしまう「86世代」   2010年5月12日(水)0時19分配信 WEB 本の雑誌
 「76世代」という言葉を耳にしたことがありますか? 読み方は「ナナロク世代」。1976年に生まれた人たちを指し、彼らは「デジタルネイティブ」に相当するニュージェネレーションと呼ばれています。76世代は価値観・意識・行動様式・メディアリテラシーから信念や仕事観にいたるまで、それまでの世代と違うのが特徴です。IT起業家を思い出せばわかる方も多いかもしれません。PCのネットリテラシーが高く、PCベースで縦横無尽に情報収集し、コミュニケーション活動を行っています。
 また、同様に「86世代」というのもあります。彼らもまた、76世代とは違った価値観や行動様式を持つ世代です。近年ますます激しさを増すメディア環境の変化に対し、過去のどの世代よりもいち早く柔軟に対応しています。ケータイのネットリテラシーが非常に高く、ケータイをメインに情報収集し、コミュニケーションを行います。
 ネットリテラシーはどちらの世代も高いのですが、違いは彼らが使用するデバイスにあります。
 76世代は文章を書くときに、通常はPCを使います。ネットに接続して何かを書き込みたい時も同様です。つまり、PCで「書き」、ケータイで「読む」のです。しかし、86 世代は逆。彼らはケータイで「書き」、PCで「読む」のです。大学の教授から話を聞くと、授業で出された宿題をケータイで打ち込み、教授のメールアドレスに送ってくる学生が増えているそうです。それよりマシなケースとして、ケータイで宿題を書き上げ、一度自分のPCへ転送し、レイアウトだけは確認してから教授のメールアドレスへ転送する場合もあるそうです。 
 76世代までは、PCで書いて教授のアドレスに送る、あるいはワープロソフトで文章を作成し、メールに添付して送るのが通常の光景でした。ところが、86世代はケータイでものすごい量の文章を瞬く間に書いて直接送るのです。卒論までケータイで書き上げてしまう学生が、実際に登場しているのですから。
 86世代は、ケータイのテンキーを驚くべき速さで打つ一方、PCのキーボードはほとんど打てない世代ともいえます。彼らのすごいところは、テンキーを直接、目でみなくても文章を作成できる点。先生に隠れて机の下で、ケータイメールを友達と打ちあうなども、日常の光景だといえます。中には、「日記を両手で書くとなんか違う気がする」と感じる若者もいるそうです。石野純也氏の書籍『ケータイチルドレン』によれば、彼らは「日ごろの気持ちや感想をつづるためだけにキーボードで文字を入力するのは、あまりに本格的すぎて抵抗がある」というのです。
 86世代のこれらの価値観は、76世代にとっては理解しがたいことかもしれません。高いネットリテラシーを持つ若者たちの間でも、世代によって、ネットや情報に対する行動や意識は驚くほど異なるのです。そして、今後は96世代という「ネオ・デジタルネイティブ」の誕生も考えられるのです。
 誕生しつつある"非常識"な若者の謎。書籍『ネオ・デジタルネイティブの誕生 日本独自の進化を遂げるネット世代』で、東大教授と電通マンが、若者の意識と行動を解き明かしています。
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「86世代」なんて書いてあると、8086(Intel 8086:インテル開発16ビットCPU 1978年発表。日本電気PC-9801などに使用)とかx86・ Intel 80286・80386とか思ったのですが、違うようですな。

手書きで文章を書くことができないという人が増加している。短文はともかく、全体構成ができない。これは、差し込んだり、加えたり除いたりという推敲方法がまったく異なるからだろう。
ここで、まず、かなりの指導者は、文章にしない文章は、評価に参加・参画できないという、高年齢層であろう。公と私を混合させることを良しとしないのは旧来の人の考えでもある。だから、同一のものでも、文章にするのと、ベタうちの会話形式と整理されたものとでは視覚的にどう異なり、感覚的に考える人にとってはどう見え、論理的に見える人にはどう見えるかの差を感じることは、若年層には難しいかもしれない。
感覚的に訴える行動を企業に始まり研究所においてでも求めるのは、以前はツールのことを考えるとそう機会はないし、またそれは「広告宣伝」「営業活動」「研究発表」「企業運営」とでは手法がまったく共通化されていなかった。目的も違うなのに手法が一定のものしか選択肢がない。このことから経緯を知らないと意味となってしまう。
ところがあるときからこれが共通化されることになる。目的も違うものがツールまで共通化されていくのであるから、判断基準がことなるものには使い分けをする必要があるのだが、その必要性は読者が感じてくれろ言うことを求める場合がある。
企業で報告書面を書くという行為は、基本的に自分の思考を人に伝えるということもあるのだが、整理し、コンパイルして、練り上げる過程にあるわけで、その場の思いつきでないことを示しているということはあると私は考えている。
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ただし、その文章の製作過程でメモをとり、気がついたことを即座に記録するという側面で、携帯電話がツールになるということは事実であろう。つまりメモツールとしては革新的である。
恥ずかしながら私はメモをこまめにつけることが苦手であった。もちろん顧客との打ち合わせなどや、講義のノートのようなものは、場数を踏むことで習熟したのであるが、それでもこまめなメモは使えないし、また、あわてて「メモ・メモφ」なんてやっているところで、書き損じることは良くあった。日程監理なども手書きメモで行うのとは大違いである。そこは助かっている。(というか非常にレベルが上がった)
ある企業で、OUTLOOKで役員全部の日程を監理する(つまりホスト監理に使っている)ことで、取締役・理事におのおのつけていた秘書を廃止し、専務付けの秘書室長とその交代要員を兼ねる秘書業務者が、出張日程や社有車や切符の監理をするという形をとっているところもあると聞いている。
『彼らのすごいところは、テンキーを直接、目でみなくても文章を作成できる点。』ということは現場でのドキュメント把握に非常に好適で、しかも写真が取れることも有効に働くのだろう。手書きで「ペンないのか」と悩むのを考えるとこれはいい。
つまり上記の筆者は『それよりマシなケースとして、ケータイで宿題を書き上げ、一度自分のPCへ転送し、レイアウトだけは確認してから教授のメールアドレスへ転送する』と批判しているが、「PCへ転送し、レイアウトだけは確認」というよりは、論理構成の最終確認というところができれば、これはこれで「知的創造過程の一つの展開事例」になると思っている。
問題は「論理構成の最終確認」と情報スキルの年代差の認識に収斂されるのではないかと。
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「唐様で書いた三代目」は、他人に対する配慮や、情報の訴求する必要性のコアを分からずに「やっちまった」という、商売・業務・人間関係に必要なスキルが欠けていたということも見方によってはいえるのかもしれない。ええ、ツールが多くなるとそうなりがちで、携帯電話の所持者にもあると思う。

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