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ポーランドだからといって日本で起きないのか(2/2)

(承前)こちらは欧州全体の傾向のようである。
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ヨーロッパに忍び寄るネオ排外主義  ニューズウィーク日本版5月27日(木) 12時34分配信
 ヨーロッパに新たな分断が生まれている。かつての鉄のカーテンとは違って、今回の「壁」は異質なものに対する強い拒否反応。西ヨーロッパではイスラム教徒、東ヨーロッパではユダヤ人とロマ人、同性愛者が標的になっている。
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 オランダでは3月3日の地方選で、イスラム教徒排斥を唱える極右の自由党が主要都市で躍進。続いて4月11日にはハンガリーで国会議員選挙の第1回投票が行われ、「ユダヤ資本」が「世界をむさぼり食おうとしている」と攻撃するフィデス・ハンガリー市民連盟が、過半数の票を獲得した。
 フィデスよりもあからさまに反ユダヤ主義を掲げる極右政党ヨッビクも、今回初めて26議席を獲得し、従来の政権与党である社会党と2議席差に迫った。初の国会進出を果たしたヨッビクの幹部たちは、ネオナチ風の制服を着て登院したいと考えている。
 最近の政治学者はこうした勢力を「反ユダヤ主義」ではなく「急進的ポピュリズム」と表現したがる。だがヨーロッパの歴史を学んだことのある人なら、政治的にユダヤ人が迫害された時代との共通点は無視できないはずだ。
■「悪いのはユダヤ資本」
 世界的な不況のあおりを受けて有権者が失業や所得減に苦しむなか、スケープゴートを求める風潮がかつてと同じ有害な政治を生み出している。
 フィデスのオルバン・ビクトル党首は、ハンガリーが共産主義から脱却した頃は熱心な市場経済論者だった。しかし今はナショナリズム色の濃い主張を展開している。
 ユーロ圏諸国に(今のところ)救済してもらっているギリシャと違い、通貨フォリントが下がり続けているハンガリーは孤立無援だ。市民は景気の良かった頃に組んだユーロ建ての住宅ローンや自動車ローンの返済に苦しんでいる。
 悪いのは社会党政権やグローバル化、国際資本だとする声はよく聞く。しかしフィデスは、さらに踏み込んだ主張を展開。同党のモルナール・オスカル議員は「グローバル資本やユダヤ資本ではなく、ハンガリーの利益を最重視すべき時だ」と訴えた。
 ヨッビクはハンガリーで15%近い支持率を獲得。一方、チェコではミレク・トポラーネク前首相が、ユダヤ人や同性愛者に対する差別的な発言を連発したせいで、5月の選挙を前に市民民主党の党首辞任に追い込まれた。
■多様性と民主主義への嫌悪
 ポーランドの政治学者ラファル・パンコウスキは新著『ポーランドにおけるポピュリスト急進右派』で、こう指摘している。「反ユダヤ主義はポーランドの右派ポピュリストにとって重要な要素だ。現在ユダヤ人の人口は歴史上最も少ない水準にあるが、反ユダヤ主義は多様性と自由民主主義に対する嫌悪感を暗示している」
 4月10日に政府専用機の墜落事故で死亡したレフ・カチンスキ大統領ら政府要職者を悼む間は、ポーランドでの偏見論争も「休戦状態」が続くだろう。だがカチンスキが党首を務めていた政党「法と正義」の中に、不快な言動を繰り返す議員がいるのは確かだ。
 ポーランド選出の欧州議会議員ミハウ・カミンスキは、チリの独裁者だった故アウグスト・ピノチェトを公然と称賛し、欧州議会で急進的な会派を組織。同性愛者を口汚く罵り、第二次大戦中にポーランドで起きたユダヤ人虐殺については、「ユダヤ人がポーランド人を殺したことを謝罪するなら」謝罪してもいいと言い放った。
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「反ユダヤ主義」ではなく「急進的ポピュリズム」と表現したがるというところは、トリガーとして、経済的な問題が必ず絡んでいるからである。不況で有権者が失業や所得減、インフレに苦しむ状況は多いが、そのなかでスケープゴートを求める風潮はどうも逃れられない。
そういえば米騒動もそういう傾向がある。

(1) 1890 年1月の富山県富山市をトリガーとして騒動が発生した。
(2)  1897 年5月の富山県魚津町での騒動をきっかけとして始まった騒動
(3)  1918 年7月の富山県魚津町の騒動から全国規模の民衆暴動へ発展。

(3)のが一番有名である。(よくみると3つとも富山由来ですねえ)
米の価格高騰の影響を一番受けるのは、貧困層である。エンゲル係数が高く、食料費の高騰の影響を受けやすいからである。「米を買う長い行列」、「米泥棒多発」、「米の代わりにイモを食べるよう指導」というのもあるし、最後の米騒動の場合は外米緊急輸入もあった。(このときも米の品種の違いの上に、当時の運輸技術上劣化が免れないらしくまずいと不評だったようだ)
米価格が高騰すると米を米穀投機へまわすようになる。(これは現在の世界的な市場でもまったく変わらない)売り惜しみや買い占めが発生し、禁止しても効果はなかった。これをするのが商社であるのだが、(とはいえ一方政策指示で外米を輸入したのも商社で、一律に分離できないのも課題である)これらに対する憎悪が出てくる。抑圧と生活に喘ぐ一般庶民の怒りの矛先は、次第に高所得者、とくに商人に向けられるようになっていった。
ところがこの場合特定の民族が集中していると憎悪が民族間の問題と結合される側面がある。グローバル化、国際資本を悪者にするというのが現実的な解にならないともいえ、そこで懐柔する手法として「国益重視」という論旨は説得力がある。では日本で国益の議論をしても、国益と個人の利益と関連性を薄く感じ、トップダウン的指示が成り立たない世論があるなら、これは成り立たないだろうが。
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どこでもあることと思う。特にポーランドは農業国(牧畜なども多いため同じとはいいにくいが)として国が成り立って来た時代が長い。
そういえば日本の話になるが、以前ある調査(地理学)のアルバイトをしたときに、町から離れた極めて閑散として離村者が多い地域に行った。前もってはがきなどで行くことを伝えてあり、交通手段もないため苦労したのだが、その地区に行った人は町から来た人ということでどういう話をするのかという感じでなく、決まっていわれたのは「もうきないでください」と方言で。(複数回)
この地域の中心街や開けた農村にも同じように人がいったがそこではおきない現象だった。(ちなみに事業の幅はいろいろ)。同じ地域でもきわめて限定的にそういう環境が生じたのは、私の考えでは、外部との接触を必要としない商慣習前提で社会がなっているところが多いようだ。閉鎖的な地域というのはどうしても免れないし、それが不満な人は外に出て行き戻っていくことはよっぽどのことでない限りないという。このような場合代替わりしても、繰り返し閉塞感のある人が外に出て、成功者が戻らないという繰り返しがあり、とどまる人は結果的にはきわめて保守的閉鎖的に「純化」していくことが、どうも弊害として出ているという意見もある。人口が減っていても、働く場所が減っていても、そして若年者が生活できなくなっていても、自分たちのアイデンディティーが確固になっていくことで、改善が難しくなっているが、かといえ人権的見地からは維持をしないわけにも行かない。極端な場合は廃村にいたる。
どうも縮小再生産に近い形でうちに閉じるという世界は、貧困とともないうるのが実はあるのかもしれない。純化というのが排他と類似した概念であると考えるとなんとなく理解されるであろう。

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