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ともかくやろうというのは簡単

http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20100614-01.html?pageIndex=1
「Just Do It」と唱えるだけでは日本には効かない  (フィナンシャル・タイムズ 2010年6月9日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング
何をすべきなのかはみんな分かっている。あとは、実行できるだけのガッツあるリーダーさえいればいいのだ——と、日本についてはよくこう言われる。しかしこの言い分には見るべき点がほとんどない。
20年間で16人目の総理大臣となった菅直人氏は、もっぱら短命で終わった一連の前任者とほとんど同じ諸問題に直面している。経済はデフレで停滞し、公的債務は増大、人口の高齢化は進み、戦後60年以上たつというのに日本はいまだに世界における自らの立場をはっきりさせられずにいる。
総理大臣の職をゾロゾロと出入りした顔ぶれはいずれも、実力不足だから諸問題に取り組めなかったのではない(実際に実力不足ではあったが)。馬鹿だから出来なかったわけでもない(馬鹿者もいたかもしれないが)。歴代総理が日本の諸問題に断固として取り組めずにきたのは、関連し合う二つの理由のせいだ。
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多くの問題は言われるほど深刻ではないというのが、理由の一つだ。確かに日本は経済の成熟に伴って厳しい困難を経験してきた。1990年にバブルがはじけて以来、デフレからなかなか脱却できず、安定した名目成長に戻れないでいる。低い失業率や平和憲法、そして比較的均質で平等な社会など、日本の長所とされるものを手放したくないあまり、日本は新しいものへの挑戦を避けてきたのだ。停滞したまま漂うのは、悪いことばかりでもない。生活水準と社会の一体性を、日本はそれなりに維持してきた。1990年代の実質成長率は計15%で、失業率は4%未満で保たれていた。世界一の実績とは言えないが、言われているような「失われた10年」というほどのものでもなかったのだ。
日本の問題は言われているほど簡単に解決できるものではないというのが、日本の総理大臣が対策をとらずにきた二つ目の理由だ。政治家は時に危ういほど、色々な政策処方箋の間をゆらゆらと揺れ動いてきた。なぜかというと、魔法の杖などないからだ。ナイキのCMコピー「Just do it(ともかくやろう)」の実践を推奨する人々に言わせると、日本国民は早く政治に特効薬を使ってもらいたいとやきもきしているということになる。しかし国民は実のところ、何が問題でどうすれば解決できるのかについてかなり迷い続けている。
--------------以下要約
国民は問題と解決策かについてかなり迷い続けている。問題と解決方法を具体的に見ると、「ともかくやろう」では済まないのだと、はっきりしてくる。
○公的債務残高大幅削減は誰も同意見。しかし削減できる歳出はなく、緊縮財政は景気悪化の引き金になりかねない。
○名目GDPが停滞するのは主にデフレのせいだが、解決策はインフレターゲット以外実施済で効果がなかった。
○デフレ対策も日銀以外では必要という。しかし日銀は量的緩和をすでに試したが、ほとんど効果もなかった。
○消費税を歳入拡大の手段にするにも難しい。1997年に3%から5%から引き上げると景気後退に陥り、小売売上高は7年間下がり続けた。
○市場資本主義を受け入れるべきかどうかで、大きく割れている。自民党敗北の理由には、市場資本主義の反発も含まれていた。国民は未だに、アメリカ並みの税金でスウェーデン並みの福祉を求めている。
○国際的な安全保障に貢献してもらいたいアメリカと、アメリカ由来の平和憲法が今でも大事だという日本人のこの自己矛盾がある。更に日本の外交政策は、中国とどう付き合うべきかで意見が割れている。
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日本の指導者たちは、厳しい選択を避けてきた。それにそもそも日本の制度は、強いリーダーを生むようには出来ていない。しかし、答えは決まり切っているなどと言うのは間違いだ。菅氏がまだそれを知らないとしたら、すぐに気づくことになるだろう。
----------------------------終了
強いリーダーシップを用いることで、社会全体が成り立つならそれは一つの考え方である。ところが社会全体のリーダーシップを望む意見がきわめて薄い上に、リーダーシップを発揮するとお互いにつぶしに罹ると言うのが多いのではないか。
実は短期的に成長する企業と言うのは、経営陣トップが強いリーダーシップを持つころである程度までは成長できる。ところが、ある程度まで行くと、今度はリーダーシップを期待しない、意識の低い人と特定派閥の塊になって引きずりおろしを図るということを図る。
もともと、近代日本ではリーダーシップを期待する場合、ことごとくその後に破綻が待っていたと言う経緯がある。大東亜戦争に対しても、そういう意見が後年どうしても主流になっており、このことから、リーダーシップをうたう人がいても面従腹背というのは普通である。だから、戦前でもヒットラーの第三帝国に対し、違和感を感じていた人間が極めて多いという。
それにそもそも日本の制度は、強いリーダーを生むようには出来ていないが、それ以前に強いリーダーを生むことで、社会のバランスを崩し悔いを残してきた歴史がある。強いリーダーをだせば出すほど社会が反発を招く、共産主義的社会感覚を持つ社会になっているのではなかろうか。大体相違をなくして総意を固める段階で、強いリーダーと言う評価とともに反発を招き、利得を一手に受けるという意見が出る。そしてまた政治と一線を画した「経済活動」のようなボトムアップ活動のほうが、支援され、「成功」したのも、その考えを支援する。
地域で政策を提示してでてきた地方政権でも、ポピュリズム型の民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場がある。たしかに、民意を離れて民主主義は運用できないとしても、民衆全体の利益を安易に想定するということは、ありうる。ただし、実際壊滅的な環境にいたった場合にまできても、強いリーダーを出す環境が育たないことから地域が壊滅するのは、古代のギリシャ都市国家の例を出すまでもなくたくさんある。地域の壊滅が、人の生死までかかわることは、移動の自由がある前提では現代では必ずしも同意とはいえないが。
そもそも解決をする行為自体が、自己矛盾で、強いリーダーを選定するのが社会でどのみち嫌がられている以上限界であろうと思う。穏やかな滅却というのも、合理的な解法ではあると考える場合もある。過去の独裁者ならぬとも強いリーダーに対し、その効果を積極的に評価すると言うのは少ない。必ず10%の人が批判的な意見を出すとそれが総意となって伝わることもまたあって、たとえばリーダーが変わって、批判者が納得いく社会になっても、他の10%が批判的な意見を出すことで結果的には、崩れるのである。
これはどうも韓国でも同じことがあるようだ。強いリーダーがいて統制が取れた社会の無残さが、隣で展開され見ることから、反面教師にせざるを得ないためかもしれない。

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