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こんなに「自己啓発」「心身改造」に躍起になる(2/3)

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技術者に対して社会が求めていることに「説明責任(Accountability)の履行」の話である。
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なぜ日本人はこんなに「自己啓発」「心身改造」に躍起になるのか  (SAPIO) 2009年12月21日(月)配信 斎藤環(精神科医)
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コミュニケーション至上主義と表裏一体なのが、ポジティブシンキング礼賛の風潮である。何事にも前向きにスキルアップに取り組むべきとする自己啓発本の流行はその典型である。ポジティブ信仰の成立を考えるうえでエポックとなる出来事は、「心理主義」の台頭だ。90年代、人間の認知システムを理解すれば他人を操作できるという考えが全世界を席巻した。(中略)日本でも95年の阪神・淡路大震災をきっかけにしてPTSDの概念が定着した。同時に「〝心〟は自分という人間を構成するモジュールの一つであり、人間全体を象徴するものではない」という即物的な見方が広がっていった。心は単なる構造物として可視化され、操作可能な物質として認識されていった。ところが、2000年に入ると精神医学や心理学が当てにならないことがわかってくる。替わって登場したのが「脳科学」で、これも「自己啓発」と結びつき大ブームとなった。(中略)
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分かりやすさが前提である。理念がどうこうといっても、それが分かりにくい以上賛同者がいられないならそれでおしまいである。その意味でポジティブシンキングの人には、先に伸びる・・・つまり「投資に値する」人材という判断になってしまうのである。投資回収を考える資本家や、投資の結果を確定させたい社会的要求がこうさせるのである。確かに海外の人と話をしても、このような前提で話をするからこそ、可能性があり、可能性のない投資を排除すると見える。
つまり、勝間氏の発想は経済性という主軸ですべて語る以上、まことに統制が取れているのである。しかもその限界を感じながら、文章に微細に調整を加えていると考えると、倫理観の軸の違いとなるわけで、その軸に従った「自己啓発」「心身改造」に躍起になることを求めているともいえるのではないか。

考えれば「自己啓発」「心身改造」という本を本屋さんで見にいっても、企業でのスキル向上の文献ばかりというすり替えが行われているようである。自己啓発は、自己をより高い段階へ上昇させ高い能力、大きい成功、充実した生き方、高い人格などの獲得を目指すはずなのだが、結果的には統制が取れない、ノウハウの山に埋もれがちというのも現実である
これは成功者を無性にあがめるアメリカのように自己啓発セミナーの評価が高い地域とそうでない地域でかなり変わってくるだろう。この場合でも、ニューソート(宗教運動の一。気持ちを明るく保つことで運命が開けるという考え方)の流れを汲んだ積極的思考の思想などがいえる。ところが、このように宗教的な視点が元になっていることもあって、日本では新宗教との結合が生じ、本筋の自己啓発が主義主張の選択的な押し付けになるということにどうしてもなりがちである。
となると、「自己啓発」「心身改造」に躍起になるのは金銭的成功が社会の成功であり、幸福を得る「一つの筋道が明確な」という、ある意味今の時代の状況を観察してそれが当面変化しないとした対応であり、リスクを負うことが社会的抹殺を意味することに近い、経済至上主義のストーリーにのっとった行動であるのではないか。もっともこの人たちのかなりの人は、この前提が崩れたとき(つまり「自己啓発」「心身改造」に体が拒否反応をし示した時の答えを持っていないのだろうが。
(続く)

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