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設備は固定費であり固定概念である(3/3)

(承前)
さて上述のBLOGの記載にこういう表現があった。
「台湾と韓国の最新産業事情 ザブテック 安田亀代司社長に聞く」(「プレス成形加工」2010年2月号)の引用である。実はこの雑誌の存在は知らなかった。

多分、機械メーカーと市場ニーズがミスマッチをしているのではないでしょうか。特に工作機械には如実に現れていまして、機能面でのトップには0.1μ制御の5軸加工機がありますが、多くのメーカがこの仕様の機種を作っています。加工全体をみたときに、0.1μ制御の5軸加工機で行う仕事というのは5%ぐらいしかないのではないでしょうか。5軸加工への要望の多くが、3軸プラス付加軸での加工か、あるいは加工後の切粉を掃くために旋回軸を付けるというような要求なのですね。0.1μの仕様は必要ではなく、1μの精度で十分なのです。ところが日本の工作機械メーカは1μの制御は主流ではありません。しかし台湾メーカでは1ミクロン精度の5軸加工機を開発しているところもあります。10μから15μとかいう加工精度では、0.1μというようなハイエンドの機械ではなくて1μ制御の機械で十分間に合います。

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実は、本当は5軸全部が0.1μの精度を必要とはしないのである。3軸だけ0.1μの仕様としてもいいのである。ところが、顧客の事情によってはこの3軸がいろいろである。このためにニーズの会わない顧客を「相手にせず」ということにすると、風評で結果的に全体の販路をふさぐことにもなるし、その結果閉鎖した事業所には工作機業界には、事例を事欠かない。
もう一つは、保守内容などで高度な機能を求める場合、部品共通化を求めることがある。細かいことは省くが、制御素子にしても、共用化した機械部品にせよ精度を混用するということは、コスト低下にならずかえってコストが上がることさえある。(意識的に一部をダウンサイジングするという手法もあって、最近ではHDDの低容量モデルを既存のマシン組込用に供給するにしても、実質高容量モデルに対し一部にしか使えないようにすることで、低容量モデルに見せかけるのが多く、かえって高かったり、あえて利益を抑えて販売するという事例さえもある)つまり、この段階で原価低減はできるが、精度まで見直した商品開発というのは、事実上新規開発と同じ技術内容になる。しかも海外仕様の逆輸入だ日本国内でハードユーズに耐えられず、クレームを起こして旧来の国内向けハイエンド製品が売れなくなるという問題さえ出てくる。(このあたりは、第二ブランド立ち上げとかいう形にするのだが、最近はそれが意味を成さなくなっている)
ただし、機械メーカーと市場ニーズがミスマッチをしているというのではなかったと思う。まず、工作機械全般に言えることなのだが、ローコストで、ちょっと前の仕様の機械のみを入れようとするには、それなりの中古機械を入れたり、オーバーホール済の機械(しかもそれがしやすく設計されているのが、工作機械メーカーが必ずメンテナンスに関与するために、設計までのフイードバックが図れる日本企業製でもある)したがって、市場ニーズはそもそも既存市場に高精度以外の製品を求めず、むしろメンテナンスを含めた幅広い「サービスエンジニアリング」を求めていると考える。そこまで行くと、製品自体の価格の比較のようで実は全体の価格設定というところは、価格比較に注意を必要とする。
けど、とはいえ、顧客ニーズのエキセントリック案を取り込むことを考えた挙句、本来は「商品」を作るべきところを、気がついたら芸術的な「作品」を作ることは、市場内の競争が厳しく、顧客を囲い込むことに就寝することにマーケティングが向かっている以上逃れられないとも思う。つまりターゲットとしていたマーケットが突如なくなってしまったというのが今回の問題ではないだろうか。
性能も一流、耐久性も一流、安定性も一流、サービスも一流というビジネスモデル全部が否定されたわけでないのだが、この全部がそろっているからこそ、なしえたという開発を行っている前提であるため、全部を維持するというビジネスモデルで対外的な販売を保つことは、企業統合などの問題を伴う。高度な技術を保つための技術者の雇用維持が前提になっていると、このようなマーケットニーズに即したマザーマシンを開発し売っていかなければ商売として成り立ちにくいものの、開発すれば既存市場を食い荒らし、固有技術を維持する収益性を維持できなくなる。だから、台湾よりもむしろ中国などとの泥沼のコスト競争に入ることはすでに技術競争力をなくすという前提で入るしかない。
操作性は良く安定性も抜群で、長持ちし、サービスもきめ細かい、という日本製品ならではの良さ自体、対外市場で商売として生きていくことに内部相反した内容であると私は思っている。商品として儲かる商品をを開発すると、操作性・安定性・長持ち・サービスもきめ細かをどれか欠かさないことにはできないということに、設計者時代相当悩んだのであるが、そこを「企業倫理にそむかず」「社会的に問題ない(高次に求める日本社会の要求に耐える)」ためには、実は人件費を減少させることしかないということになってしまうのである。つまりこれまで積んできたノウハウ(品質も・信頼性など)を価格に転化する事自体が、評価されない市場になっているのなら。
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日本の工作機械産業の生産額世界一の座を中国に譲り、ドイツにも抜かれて第三位に転落してしまたという。
中国に対しては、賃金格差だけが価格差になっている現実もある。(加工法のうまさや合理化進捗度合いでは日本のほうが一日の長があるかもしれないが、その分アフターサービスなどの未成熟もあるため「いって来い」であろうと考えている。)むしろ同一の市場でなく、マザーマシンのマザーマシンに特化するのは一つの手法である。

ドイツのビジネスモデルが日本の今までの蓄積に近いかもしれない。
しかし、ドイツの製品は製品寿命が高く堅実な設計をしているが、言い方を変えれば従来製品からの変更が効かないようではある。その分使いやすいし、保守サービスがそこまで付加価値を生み出さない国には使いやすいとは言える。
ただしドイツの中ではこれらの機械は最終組み立て調整と全体設計のみ残り、製造的なテクニックは旧東欧諸国の人件費の安価な地域にほとんどシフトしているのも事実で、私が以前買った工作機械が不良品を出したときに調査書面を業者に出させたところ、構成部品が全部東欧諸国+イタリアの工場に分散されていて(ドイツ語圏としてはスイス製の精密部品があったが、射出成型の材料だけがドイツ製であった)最終組み立てだけ残したというのが、巧妙である。
マーケットニーズがぜんぜん既存知識とは会わなくなってきた時代の流れがある以上、あくまで日本の高い人件費と蓄積した知識を込められる「作品」に存在価値を見出だすのも戦略であろう。「商品」を開発していくなら、別ブランド以上に、別会社として営業姿勢や責任のとり方を分け(第二ブランドという存在をより鮮明にし)ないと、マーケットニーズが、技術を育てるような企業を排除し、安価にベクトルを持っていることから、推進ができないと考える。

(PS)
少なくとも、この状況は アイワ株式会社の最後につながると感じる。
同社は 1951 年創立、カセットテープレコーダー・ラジカセ・高級オーディオ・放送機器として、ハイスペック機器も製造し、他社との差別化を図った。しかし、、アナログ商品主体だったアイワ単独の生き残り策は描ききれなかった上、デジタル技術者を育成できず、ソニーへの合併に至った。その後はローエンド製品に特化していたが、品質まで低下してしまい(ソニーの廉価版ブランドとしていく手法では、利益なき繁忙にいたったようである)ブランドとしては、終焉を迎えた。
私は、この段階で第二ブランドということをより鮮明にできなかったことが、限界でもあるし、とはいえビジネスモデルに翻弄されたのだとおもう。同じ業界だったオンキヨーが、なんとPCメーカーに化けて、デジタル音響機器+PCというところに行き着いたというのと、どれぐらい差があったのかというと「運」というところしか見えないのだが。

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