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スーパー不動明王シリーズ

東急目黒線 不動前駅近くのお知り合いのところに行く機会があった。会社員時代(まだ目黒線といわず目蒲線という時代である)顧客に日参したこともありよく使った駅でもある。
駅名でもわかるが通称:目黒不動尊の瀧泉寺というお寺が近くにある。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来するとする説もある。江戸五色不動の一つで1624年徳川家光によって再建され、以後徳川幕府の庇護を受け繁栄した。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれる。毎月8日、18日、28日が縁日とされ、特に不動明王の縁日28日が露天が出て最も賑やかな縁日となる。
渋谷・恵比寿・五反田駅から東急バス・渋72系統というのがある。このバスは境内を通過するが不動尊の入口付近は特に狭いため終日誘導員が配置される。(境内はバス専用道という扱いになっている)、昔から中型車両で運行され、境内にはバスのみ乗り入れが認められる。毎月28日「渋谷駅東口 - 林試の森入口」「不動尊門前 - 五反田駅」の分離運転で、林試の森入口と不動尊門前間は徒歩連絡。利用する乗客には、林試の森入口・不動尊門前にて降車する際に乗継券が配布され(往時よりは減便され、日中20分毎)時々切符マニアに珍重される。
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そういえば五色不動というものがある。五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称や伝説を持つ不動尊を指し示す総称で不動尊の目に彩色を施した。東京(江戸)のものが特に有名である。東京の五色不動は、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動尊の総称である。目黒と目白は山手線の駅名ともなり、目黒は区名となっている。(ただし地名が先か、仏閣が先かが不明)元来密教の仏像で、

不動明王は煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救う
ために、忿怒の姿をしている。
* 目黒不動:瀧泉寺(目黒区下目黒)
* 目白不動:金乗院(豊島区高田) 江戸時代は現在の文京区関口江戸川公園付近にあった
* 目赤不動:南谷寺(文京区本駒込)伊賀国の赤目(現在の名張市)の霊場に由来する。なお当地には 不動滝という滝が参拝対象になっていた。
* 目青不動:教学院最勝寺(世田谷区太子堂) 以前は青山にあり、「青山の閻魔様」と言われたこの仏像は近所の廃寺から引き継いだものである。
* 目黄不動:永久寺(台東区三ノ輪)/ 最勝寺(江戸川区平井)

この場合、五色は東・西・南・北・中央を表しているという。伝承では、三代将軍徳川家光が天海大僧正の具申をうけ江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、江戸市中の周囲五つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされる説が有名である。ただし明治以降、廃寺、統合などで不動尊が移動している上に、目青や目黄を除く三不動が普通の人に知られたということもいわれている。このため、明治以降、複数の目黄不動が乱立したとか種々の検証がある。だから、昭島市の駅で「目黄不動」駅から数分という看板を見て???と思ったこともある。(現在上以外に4つかあるらしい)
とというわけで、五色不動は「帝都物語」とか「落語天女おゆい」とか「サクラ大戦シリーズ」に載っているのであるが、あくまで民間信仰ベースであるともいえよう。
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ただ私は「戦隊モノ」との発想の近いところを考えたい。
日本の特撮テレビドラマシリーズとして、日本の特撮番組を代表し海外でも放映されている。怪人と戦うのがドラマの基本コンセプト。「戦隊シリーズ」「戦隊もの」という略称で呼ばれることも多いが、逆に「特撮ヒーロー作品」=「戦隊もの」ではないという。(ただし、「戦隊」という語は、バンダイにより商標登録済み)また、東映は類似したものとしてメタルヒーローシリーズというのをやっており広義ではこれも途中から「集団ヒーロー物」に移行する。
たとえば、各メンバーはそれぞれ以下の役割を分担すると設定され、服装がおのおの設定されている。
* 赤…リーダー(主人公)
* 青…サブリーダー(ライバル、サポート)
* 黄…ムードメーカー(パワー)
* 桃…女性(ヒロイン)
* 緑…少年(子供)

考えれば確かにこういう仮定はあるが、「ライバル」とはいっても協調性のあるサブリーダーであったり、「力持ち」の場合も『精神力の強さ』や『力強いイメージ』であって必ずしも怪力の持ち主ではなかったりすることも多い。戦隊を構成する各メンバーが、それぞれ自分に与えられた役割分担をこなすことによってチームワークが維持されるという構図自体はベースである。
これらの発想は、『仮面ライダー』時のボツ企画、『スパイ大作戦』にならった複数の専門家集団案、カラーテレビの普及でできた色別に分ける『仮面の忍者赤影』と同様の手法、仮面ライダーの原作者でもある石森章太郎のデザインのコラボではあるという。とはいえ35年間続けば立派な文化である。これを見る以上偶然の一致なのかもしれない。
ここが欧米の英雄の考え方とはかなり異なる側面があるようだ。けど最終的な目標は、「煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救う」というところにあるというのがなんとなく相似性がある。しかも不動明王が戦隊を組んで首都を守るという発想・・・なんとなくわかる気もする。
読売新聞の鈴木美潮は「白浪五人男は戦隊物のルーツ!」と言っている。http://www.yomiuri.co.jp/donna/do_080509.htm
 白浪五人男は戦隊シリーズのモデルで、稲瀬川の場面で、5人が派手な着物にわざわざ着替えて、雨も降ってないのにでっかく「白浪」と書いた傘をもって、頼まれてもいないのに、名乗りを上げるシーン。これが、戦隊もので、「アカレンジャー」「アオレンジャー」「五人そろってゴレンジャー」と名乗りをあげる場面の元ネタ
なんだとか。(爆笑)もっとも白浪五人男は盗賊(義賊でもない)であるのだが。
また相対する悪者という存在が大体トップ中心の独裁的な存在ということで対比ができるのもあるようだ。余談であるが「メタルヒーローシリーズ」重甲ビーファイター(平成7年2月~平成8年2月)は阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件等でその悪者が
あらゆる次元を侵略し続ける異次元の戦闘集団ジャマール。首領ガオーム
だ。

一方「スーパー戦隊シリーズ」の超力戦隊オーレンジャー(平成7年3月~平成8年2月)では、ハードなシリアス路線では問題になることが懸念され、ストーリーを差し替えたり作風の路線変更を迫られたという。(ちなみにこのときに「オーピンク」役で有名になったのがさとう珠緒である)

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日本人は一人のリーダーシップを出されるときわめて反発するという意味では、カリスマ擁立がかなわないという側面があるのではという説が言われる。では天皇が・・・というのであるが、結果的にはカリスマ性が薄れ集団体制に移行する。そして王政復古しても代替わりで集団体制に戻る振幅を繰り返すことで集団体制に収斂するのが日本である。王政にちかいトップマネージメント体制を恒久的に短期間に更新することで活性化を図り、過去からの連続性を断ち切るように仕向けるアメリカの大統領制があるが、それとは間反対なのかもしれない。
宗教指導者でもそうなることは多い、平山みき亡き後集団体制に移行する天理教もそうだし、八百万の価値観が前提で価値観の数だけ神様がいる神道においてはその志向が固定化したものと考える。反対の立場になったのがカルト教団・オウム真理教ともいえるし、公明党でさえこの視点で論じる人がいる。この過度な一極集中主義が、日本人にはなじめない人がいたものでもあるし、反対に戦隊モノにも影響を与えている。だからトップマネージメントをとる行動は、即断を許さずという意味で日本では不満の種になる。一時の小泉首相を「日帝」といってあざける側面や小沢氏を黒幕といって嫌がる側面は、ここに起源を見る可能性もあろう。
そういう意味だと集団体制をとって解決し「煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救う集団体制」ということで、日本人の技術開発姿勢や思考の改革の限界線は、実は集団体制への思考への信頼というところであるのでは。QCサークルの前提やTPM活動にもその普及のやりやすさに影響しているともいえる。
海外の独裁的な即断姿勢が社会に同意されず成り立たないことを前提で、技術開発体制を構築するしかないというのが、戦隊ものを見ながら考える、技術開発の手法選定構築の本邦での縛りであると考える。逆にカリスマがない以上成り立たないのが欧米であるのかな。

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