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第二芸術論とTwitter

ツイッターは、個々のユーザーがつぶやき」を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービスであり、広い意味でのSNSの1つ。各ユーザーは自分専用のサイトを持ち、「いまどうしてる?」の質問に対して140文字以内でつぶやきを投稿する。
ホームには自分のつぶやき以外に、フォローしたユーザーのつぶやきもほぼリアルタイムに表示される。また、リアルタイム検索や、流行のトピックにより、「今」何がつぶやかれているのかを知ることができる。
このため、2月から「ニフティクリップ」とツイッターへの窓口がココログに新設されているのであるが、私は消すことにした。もちろんそれはそれで意味のあることとは思うが、ハードWebユーザーだけの意見に偏るのではという危惧があるのだか。
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ツイッターの利点と欠点は、短い140字という制限(ともあれ日本語や中国語でも140字となるとそれなりにはかけるとはいえるが)と、有名筆者に追従するフォローという一種の著名の存在を私は懸念するからこそあると思う。
140字というのであっても、このようなショートメール形式のものはmixiの「今、なにしてる」というのにあるんで、そのユーザーを診ながら思うのだが、イメージはこれを意図している。
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さて、短いもので巨大な世界を描くものとしては俳句というものがある。これについては、有名な桑原武夫の「第二芸術論」も、他の手法をそのまま転用していると指摘されているものもある。
 「第二芸術」での論旨は、まとめ方によってはこういう解釈があろう。
<俳句と作者>
 ・大家と言われる人の俳句が必ずしもいい俳句ではない
 ・俳句をやっている仲間しか分らない(作者=鑑賞者)。 解説が必要
 ・俳句の一人歩きを許している。
<俳句の矛盾>
 ・離俗脱俗と俗談平語の大衆芸術という矛盾
 ・芭蕉崇拝のあまり形を守って沈滞している
 ・人生は詠みこめない
大家も駄作をいっぱい詠む。だから句で選ばなければならないはずだが、雑誌や新聞にはどうしても大家の名が出るのでそれがバイアスになる。また、大家のなかには世俗的な力に力を注いだから売れる句もある。
また、俳句は精説できず、読者にかなり自由な解釈を任せるから、一人歩きの解釈も出てくる。もちろん、芸実全般に見る人の解釈に委ねるところはある。
もっともこのほかには言いがかりのような意見も混ざるところもあって全部が全部肯定されるとはとてもいえない論旨もある。しかし、このトレンドが、結社・家元制度類似のようになりつつあるというのはもちろん問題があることは内部でも言われていることだが、全面的に否定はできない恨みである。
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もちろん、簡単にかけることが身近な創作意識を促す側面もあるため、花鳥風月を語る上ではこのような形式の統制(5・7・5+季語)は必要であるとは考える。しかし、このようなものでの拡張性にはその作者の志向を知らなければならないという問題もある。そして、作者を知るとプラスにせよマイナスにせよそれをよしとして、利権のあるところについていく人々がどわーと出てくることから、真の評価軸で指摘されやすい芸術(大家でも駄作は駄作、普通の人でも傑作は傑作という是々非々の評価)とは異なったもので、名前があるからこそ全うな評価のまな板に乗るということになりそうである。
ネットの上の話にもっていく。本当なら直接民主主義に等しい、平板な存在で同一土俵で評価されるのがネットの特徴であったはず。そこで立場を気にする人が、匿名などで隠れてUPするというのがあってもそれは発言者の意思として、読む側でもそこを信憑性を割り引いて評価していくはずであった。ところが、発言者をおっかける「フォロー」というシステムが、特定の意見に追従者を作っていくというところが大衆迎合主義をいっそう強めることになるかなとう懸念を持つのである。
だからといって2chのようになんでもありというが、罵倒合戦になることから非常にレベルの低い議論に収斂するというのもまたあるので、得失は言いにくいところである。(もちろん2cHでも技術的なノウハウが乗っていて助かったこともあるんで、画一的判断はしたくないですが)

ある企業に訪問した際にこういうのを見た。
「誰が言ったではなく何を言ったである」
皮肉を言うと、ここでも同じことを若い人が言っても評価のまな板に乗らないのに、同じことを幹部がいうと追従者がぞろぞろ出てくるというところが、この企業の会議の活性化や社内の活性化を阻んでいる弊害があるんだろう。多分技術的なブレインストームでも同じことがあるんだろうとは考える。そしてその志向が「第二芸術論」ならぬ「第二技術論」と同じ視点のような気がする。
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HPやBLOGが街頭で展示会をしている主張をする人間の発露なのに対して、ツイッターはそれさえ言いにくい民衆の声ということで差別化をすることができるともいえるらしい。だからその存在を否定することはまずすることではない。しかしそのためにはかなりの体力が維持に対して必要だとは思うし、UCC社が広報ツールに使おうとして顰蹙を買った事例もあるので、私自身は今すぐは参画せず、しばらくはこの新しいコミニティーツールをじっくり観察していく姿勢をとってみたい。

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