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悲しみを癒やす間もなく

2月13日のこと、朝から生放送のワイドショーに船越英一郎がでて、にこにこしながらお気に入りの料理の話とドラマ番組宣伝をしていた。船越英一郎は2時間ドラマへの出演が有名で、「2時間ドラマの帝王」・「サスペンスドラマの帝王」・「ミスター2時間ドラマ」などの異名を持つ人・・・とはいえ気丈ですなあ。
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船越英一郎、気丈にお別れ…妹・平野洋子さん告別式  2月12日8時0分配信 スポーツ報知
 俳優・船越英一郎(49)の妹、平野洋子さん(享年47歳)の葬儀・告別式が11日、神奈川・熱海市(誤記です。下記注)の保善院で営まれた。平野さんは湯河原温泉の旅館「旅荘船越」(注:(湯河原町宮上388))の元女将。うつ病を患い治療を受けていたが、7日朝に同旅館の離れで首をつっているのを家族が発見した。遺書は見つかっていないが、自殺とみられている。
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 平野さんは俳優の父・船越英二さんと母・長谷川裕見子さんが営んでいた同旅館を継ぎ、1990年に経営者兼女将に就任した。湯河原温泉おかみの会会長や社団法人湯河原温泉観光協会理事を務めたが、重労働がたたりパニック障害とうつ病を発症。06年に自身の闘病経験を基にした著書「梅一夜」を出版し、第5回湯河原文学賞最優秀賞を受賞した。
 しかし、その後、病状が悪化し、昨年10月に旅館を閉館。自身のブログで「万が一にも自分から命を絶つような愚かな行為に走らないために決断致しました。病気を治すための前向きな廃業です」と説明していた。近所の住民によると、昨秋にうつ病をテーマにした講演会を開催。「昨日まで起きられなかった」とあいさつしたが、講演ではよどみなく話していたという。
 告別式には船越と、妻で女優の松居一代(52)をはじめ、神奈川県観光審議会を通じて親交のあった松沢成文・神奈川県知事(51)ら約150人が参列した。船越夫妻は悲痛な表情を浮かべながらも、参列者には気丈に応対。出棺の際に遺影を持った船越は、喪主を務めた平野さんの夫の「彼女の人生は幸せでした」というあいさつに大きくうなずいていたという。告別式終了後は悲しみをこらえ京都でのテレビ収録に向かったが、そのショックは計り知れない。
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注:保善院 静岡県熱海市泉にある。神奈川県内ではないのだが、湯河原の町とは川(県境)を挟んで対岸であり、最寄も町内のバス停徒歩3分とかなっており、熱海市からは、一度、湯河原町内から入るところになっているので間違えやすいかもしれない。電話も湯河原の扱いであるため、NTT東日本は静岡県のエリアを少しだけもっているのもこのため。著名な画家が隠遁したこともあり観光地になっているのだが、これは一般的には湯河原の観光地とされている。(分けている場合は伊豆湯河原温泉という。伊豆湯河原温泉は熱海市ながら熱海市街からは程遠く、最寄駅もJR湯河原駅のため、雑誌などでも湯河原温泉として扱われていることが多い。)
実はこのお寺の脇も箱根登山バスが走っていた画像をTVで流していたので???と思ったのである。
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船越英一郎、悲しみ耐え妹の遺影抱える 2010年2月12日(金)10時14分配信 日刊スポーツ
 7日に自殺した俳優船越英一郎(49)の妹、平野洋子さん(享年47)の葬儀・告別式が11日、静岡県熱海市の保善院で営まれ、平野さんと親交があった松沢成文神奈川県知事ら約150人が参列した。
 船越は妻で女優の松居一代とともに参列客に応対し、気丈にふるまった。喪主を務めた平野さんの夫が「彼女の人生は幸せでした」とあいさつすると、船越は遺影を持ちながら何度も大きくうなずいた。「妹を静かに送りたい」として取材に応じることはなかったが、出棺時も妹の遺影をしっかりと抱えたまま、車中から取材陣に頭を下げた。葬儀終了後は悲しみを癒やす間もなく、仕事先の京都へと向かった。
 平野さんは俳優で父の故船越英二さんと母親が神奈川県湯河原町で営んだ旅館「旅荘船越」を継ぎ、経営者兼おかみとして腕をふるっていたが、うつ病を発症。1度は克服し、闘病生活を基にした著書「梅一夜」が話題になり、テレビなどにも出演していた。しかし、同病が再発したことから、昨年10月末に旅館を閉鎖し、治療に専念していた。
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私も、一時期体を壊して、10日休暇をもらい湯河原町のある宿屋さんで治癒に励んだことがある。私がとまっていた近所にあったのだ。病院の脇(湯河原町宮上388)の少し高台にあった。この宿は「理想郷」という宿屋の開業や別荘のために開拓された地域のなかにあり、バス停もある。ここは6部屋のみの小さな旅館であったが、特筆すべきはお掃除にこだわって磨き上げられていること、きれいな庭園があることだそうだ。客室は中庭を囲むように配置され、大浴場まで歩くのがつらいシルバー世代をターゲットにして全ての客室に源泉を引き込み、古代檜造りの浴室と浴槽にかけ流しの温泉を設置していた。
当時から高級な湯治宿として、こまかい心使いで有名であったが、きわめて少ない客室とそこそこのお値段(1泊2食24300~48450円 とはいえ、それなりのいいサービス)というので格が違うというイメージであった。ただし、このことはきわめて少ない人員で仕事を回していたということになる。しかも責任感の強い人という話は私が泊まっている宿屋のおかみさんも言っていた。(同年代でもある)
自分の経験を考えると「万が一にも自分から命を絶つような愚かな行為に走らないために決断致しました。病気を治すための前向きな廃業です」という責任感のあるまじめな態度が、彼女をみんなが立場を押し上げるという側面があったのだろうと思う。ただしその生真面目さがそのものの発言でもある。姿勢が結果的に彼女を追い込んだと言う側面はあったのかもしれない。死んだということも彼女の責任感(しかも旅館を閉じたということで一段落したから)としたら、あるいみ悲しいけれども責任感のきわめて強い彼女の特性の発露である。かくて、「彼女の人生は幸せでした」というのは、わかるべきでないはずだがわかってしまう自分がある。
もっとも、同居していなかったとはいえ、この旅館は船越英一郎がすんでいたところでもある。この町には彼の高校時期には高校がなかった(その後県立高校ができたが近年閉鎖)からか、彼は三島(東海道線で25分ぐらい)の日大付属まで通っていたようで、その後日大に進んだようである。いま多忙を極める彼なりに思いがあるだろうなあ。

休業後もバス停脇の「理想郷の旅館のご案内」という電照看板には「旅荘船越」の表記がある。そしてたまたまみた不動産屋さんの店頭には、1億3500万円の売値がついたこの旅館の販売のビラが張ってあった。(よく見ないときがつかない)住居以外の旅館部分を販売しているのだとはほかからも聞いていたのだが。もっともこの地域も旅館の閉鎖が相次いでおり、登録遺産に指定された伝統あるものまで転売されたりしているのもある。
合掌。

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