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自分のハンドルネームが・・・・

ドサクサしていたら、自分のハンドルネームがフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に載っていたのに気がついた。ええ私ではなく元ネタです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E3%83%87%E3%83%8F%E3%83%9C1000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
デハボ1000形電車は、奈良電気鉄道(現:近鉄京都線)が保有した電車。
1928年の部分開業の際、日本車輌で製造。川崎造船所(現・川崎重工業)製車両の設計(俗に川造型。全鋼製ウィンドシル・ヘッダー付。阪神急行電鉄・目黒蒲田電鉄・長野電気鉄道・豊川鉄道・西武鉄道・長野電鉄などに新製導入)の設計をマネした半鋼製車体。台枠側面に柱を組み付けリベットで組み立てた木造車工法で作った結果重量級設計である。台枠中梁を下方に膨らませたいまのわたしと同じ魚腹式台枠を採用した。確かに私が前屈できないのと同じく曲げには強いだろうが重くなる。
通風器はお椀型を搭載し、扇風機はなし、両端に全室式の運転台を置き、座席は全てロングシート。
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特徴は、ギリシア神殿を思わせる優美な装飾を施した柱頭部に代表される豪奢な造りの木製内装にあった。凝った装飾は鉄道会社が創業するときにやる細工であり(近鉄には外装に飾り窓を設け、内部に飾り柱たモ5620形・・・デロ20型というのもある。これは飾りを撤去されたが高松琴平電気鉄道20形電車(3代)となっている。このほかに最初の半鋼製車として、伊勢電気鉄道モハニ201形・・・近鉄モニ6200形~モニ5200形もそうであった)飾り柱はこの車両においては最晩年まで維持された。そしてこの木工は広告枠の仕付まで及んでいた。ただし広告枠の寸法が他の車とあわせなくなっていたのか、和漢の胃腸薬「三光丸」の横長の黄色いCMばかりが目に付いた。
これ以降は戦時体制ということあってか、新車が出るたびに段々ひどい内装になってしまった。(戦時中の車には、設計は前衛的だが木工細工がひどいものもあった。これとて40年は使っていた。)
奈良電気鉄道は近畿日本鉄道と京阪電気鉄道の合弁会社(であるが独自行動で五私鉄疑獄事件に絡むなど結構無茶をしている。ちなみにこの疑獄事件は 立憲政友会主導である田中内閣の倒閣後、民政党主導で浜口内閣が成立、両党の対立が激化した1929年8月頃疑獄事件が出てきたという、どこかで聞いたような情勢である)ということもあって、車両設計の影響を強く受けていた。そのため主要機器は電装品が京阪との資本関係のある東洋電機製造製、台車が住友金属工業製という京阪の標準的な組み合わせだ。(このため、京阪線の乗り入れによく使われていた)
約40年にわたり奈良電鉄線→近畿日本鉄道京都線の主力車として重用され、京都-西大寺-奈良 京阪三條-丹波橋(乗り入れ)でよく見られた(このほかにも橿原線・天理線にも頻繁に入線)。ただし、近鉄では東洋電機製造の制御装置などはパンタグラフ以外はメンテナンス体制に対して、どうも適しないということもあるらしく、伊勢電気鉄道でも使われたものはよっぽど共通設計にされていない限り淘汰される傾向がある。また機構的に繊細な設計であるとも言えたそうで、そのため最終時は電装の保守にかなり苦労していたようだ。(戦時下においては同じ問題を阪和電鉄でも抱え、戦中国鉄に買収された後、国鉄型の機器にかなり入れ替わっている)
客用扉の自動化、一部の廃車(更新車への機器供出)したのち、車体が木造電動貨車であったモワ2830形2831・2832へ転用され、電動貨車に格下げされたものもあったが、残りは1969年に電圧の昇圧に絡んだ淘汰で廃車となっている。
なお、昇圧後も残された電動貨車モワ61は昇圧改造工事が実施され、電装(そして塗装)は逐次変更されたが、定期運用を持つ荷物電車(社内の備品と新聞輸送。西大寺駅に専用のホームを持っていた。)の後、救援車になって廃車される。床下に搭載し切れなかった機器の一部は車内に搭載され、側窓がアルミサッシ化されたが、それ以外の車体外観については概ね原型を保ち続け、1971年にモワ87形87と改番された後、台車と主電動機をそれぞれ600系廃車発生品の住友金属工業KS-33Lと三菱電機MB-213AFに交換して1985年まで西大寺車庫常駐の救援車として在籍した。毎朝貨物側線にいた記憶がある。機器流用車であるモト75形75 - 78も機器の換装を実施し(一部は廃車)しているため車体は現存しない。
http://www.kintetsu.jp/kouhou/Train/B41.html
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初期鋼製車の見本のような電車で、鋼体が丈夫であったことはいわれているのだが、保存するにも半鋼製車は維持管理は大変で、動いているからこそ何とかなっていた電車が、動かなくなると突然朽ち果てるがごとくなることを考えると、保存を強く言うべきとはいえないと思っている。
実は産業遺産の保存という中で、関西の私鉄はきわめて車両保存事例が少ないという。当然JR系は博物館を立ち上げているし、(中古電車を引き取った結果、意図せず博物館になってしまった事例はとにかくとして)東急・東京地下鉄・東武・西武は大小なれども保存施設を持つし、東急車輛がメーカーとして苦労しながらも保管を試みていることは注目していい。京王・京成・相鉄は車庫併設に近い存在で小規模であるが、それもやっている。もちろん保管についてはそれなりの専門的ノウハウや費用がかかることから、それなりの経営資源が必要である。
阪神・阪急はそれなりの活動をしているものの、京阪・南海・近鉄は最低限の車両の保存管理をするまでで、基本的には消耗品と考え熱心でないようで、専門家の対応でもそういう所感が出ていると聞く。どちらかといえば、地方私鉄への転用の後に保存とか動態保存になっているものは多い。むしろ自社ではデータの保存とか公開とか、そして何よりも長くつかうこと(40年程度使うのが普通である)ことが一つの考え方と思っている。その意味では丁寧に修理して電車を使っているとはいえる。
産業遺産の研究者にとっては確かに、このあたりの問題は結構問題になるのであるが、保存という行為が資本形成の上では安易に行なうことができないという考え方は、社会のなかで保存すべき機械をどう使っていくという志向が、社会あっての保存行為なのか、企業があってこそ社会かとかいう議論のもっていき方で変わってくるのかなあと悩んでいる。

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コメント

こんにちは。昨年末、神戸に行ったときに、カワサキワールドという博物館で、いろいろ見てきました。これほど大きな会社だとは知らなかったので、いろいろと勉強になりました。

http://www.khi.co.jp/kawasakiworld/

投稿: KADOTA | 2010年1月 8日 (金曜日) 18時30分

川崎重工さんはいろいろお知り合いもいたりしますので。
何とか言っても日本の重工業のベースを積み上げた会社ですからねえ。

投稿: デハボ1000 | 2010年1月 8日 (金曜日) 23時29分

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