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瞬時で判断しなければならない現実(2/2)

(承前)
今般の行政刷新会議仕分け作業時に蓮舫氏は「(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」とディベートの中であるが発言して、物議をかもした(もちろん技術者としての私も耳を疑った)が、そこまで目的意識(これは予算を縮減することが国の再構築に必要で、それがあってこそ、その次に産業振興という見方であろう)があるということは私はある意味純粋な意志を持っているのだろうと思うし、そのリスクをおって仕事をしている感じもする。
ただ逆に彼女の発言は特に厳しい場面では、まったく引き返し代がない。どこにも「回転所・転向所」がなく、大きな道路で無理して長尺のバスが折り返してるところで角のコンクリートの塀に後方をぶつけてしまう姿が見えるのである。そしてこのような緩和代がない判断を行なうのは、じつは感性がしっかりしているときはいいのだが、少し間違ったことを意図せずしてしまうと、取り返しをできないようにするベンチャー企業の創業者社長にあるどツボのトラップが見えるのである。
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すくなくとも、即断をして、よしんば「『お前をそんな子に育てた覚えはない!』ガチャッ」という電話をしたとしても、間違いと認めたときにあとくされがなく、戻れるような志向や動機付けが、人間という腐りやすいモノに対して与えられるように、優れた論客である蓮舫議員にこそ、もってほしいなあと思うのである。
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研究開発における、ロードマップ・工程表を引くことは大きい仕事である。研究開発は

基礎研究・前期開発・後期開発・商品化開発
というようなわけかたをする。大概は前からすすむのだが、一部の学問(生物学・医学など)は習慣的に行なわれている事実に対して検証を加えることから逆流することはある。(清酒酵母の選別と最適化に関する研究とか)

基礎研究は、理論や知識の進展が目的で、本来研究成果を何かの役に立てることが目指されているわけではない。むしろ、前期開発の誘導体として用いるものだから、仮想的には成果の見極め値が出されていても確度は極めて乏しい。それどころか基礎研究の結果自体が20・30年という長い期間かかるものであるから、結果の投資回収が確定しない。今般の「仕分け作業」も「基礎研究」に国税を投入することが「ムダ」かどうかという議論だ

純粋な基礎研究で儲けることはもともとできない以上、資金提供してくれる場が必要なのに現在の日本には存在しないのも事実である。もちろん、じつは海外においてはすでに、国からは基礎研究の金を出す事例が少なくなっているという指摘もある。これはどういうことかというと、基礎研究自体を国という仕組みで指示されて有効に使うこと自体におのずから、管理監督側の能力に無理があるということと、基本的には民間からの寄付という形で研究をするのが研究内容の公共性から見て望ましいということである。所が、元々民間からの寄付という概念が日本の社会に存在しない(同じことはアジア全体に言える)ということが問題なのであろう。
もともと、基礎研究なしに応用研究は普通はない。所が応用研究・商品化研究が自分たちの社会の中に生かされているのが「前提」である以上、基礎研究というのは社会民主主義や社会資本主義という民主党の立脚する生活者の視線には入らないし、入ってもらってもこまることもある。じつは、今回の厳しい査定には、民間からの寄付や民間の自主的シンクタンク(企業の場合には一部に縮小しながらもそういう研究所があるのだが、研究だけで食える独立した研究所はほとんどない)に移行すべきという国策があるのかなとまで思う。

蓮舫議員の発言に「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンをもらえないと納得できません」という言葉があった。納税者へのリターンが見えるようにする前提を求めているのだろうし、理想的にはそうだろうとは思う。所が基礎研究の目的が「理論や知識の進展」という短期的資金回収にはならない以上経済的な評価がしにくいし、したところで作文と解するとそれでおしまいである。更に言うと、基礎研究が一般納税者がその仕組みを理解できるようなら、すでに基礎研究に値しないという矛盾を持っているのである。短期的にも役に立たない学問に、現在投入している税金は市民に還元できないという前提なら、将来の日本以前に現在の日本がつぶれるとそれは空論であると認識し、基礎研究を止めてしまえというなら、日本の科学技術は海外の基礎研究を中間加工していく形しかのこらない。まさに日本の食糧事情と似たような問題になる。
研究費のムダを省く努力をし、研究費を有効に資金を供給する工夫は確かに必要であるが、じつはこれは後の時代が知る側面があって、もし先読みできるなら基礎研究にならない。そして更に問題なのは技術が優れているかは、後期開発ぐらいになると、周囲の環境(社会が政策的に補助金をつけたりする)だけで、優位さが簡単にひっくり返るということから、生活者の視点にこびるだけで、技術のでき不出来が変わり出すことが多くなっている。
ただし生活者の視線に立ってみると、優秀な研究者育成も、社会のコンセンサスなしに単純にエリートを作るだけという解釈になってしまうと、生活者の視点で技術が成り立たなくなるとか死者累々となるという兆候が出ている。そして不幸にして達成した基礎研究も、形を変えて再生して他の研究に間接データとして有効利用する行為ってじつは多いのだが、その蓄積が他に生かされていたり、人材育成に役立ったという側面は数字では出ないどころか、マイナスに台帳上では査定されていることを、どう見ているのであろう。

基礎研究というものに限れば、科学者の基礎科学に対するアピールが足りないし、プレゼン能力が不足しているということは事実であろう。今回、プレゼンにおいてちぐはぐな返答をした事例もある(スパコンなんかはそれが露骨である)これなんかは、そのようなストーリーを立てる(その分研究者としての資質が落ちることを覚悟の上)人材が必要なのだろうと思うしかない。もちろん科学者は倫理的には公益のために活動するのは前提としても、説明できないこと(説明しても理解してもらうことが、それこそ科学の理論構成からになるため)と、説明行為自体が公益(この公益は日本国に対して)に反する場合(つまり公開することで他国に着想を察知せられる)もあるし、志向している行為が公益性があると考えても公益性の定義が異なる(つまり公益を日本人とするか、全世界とするか)とどうしようもない。
つまり、きわめて短時間のプレゼンで示すのはイメージで、厳密な成立性を議論する場所としては、いくら誠意ある人々が査定しても、雰囲気や勢いで解釈されることはある。しかも応用研究のようにターゲットが決まっているものではともかく、科学者の基礎科学に対するアピールをしてもこれを理解させるような説明がされても、上の桜塚やっくんみたいにあらぬ理解をされているところになるのでは。
今回の問題で、基礎研究の意義について研究者が改めて議論を行なっているのを見た。これはボトムベースでおきたものであり、評価できる。ただしその中にこのような受益者となる市民(国民ではない)が参加できるのかというと、研究のストーリーは論理的な構成にのっとるが、そのものの数理的推論すること自体が、最近の理科教育にのっとったロジカルシンキング自体ができない場合も多いのか、ほとんどの人間が「分からない世界」と突き放し、生暖かく見つめるのもまたあるようなのだ。

もちろん、プレゼンできることが技術者・研究者の社会的使命という視点が、本邦では今まで少なかったとは思う。その意味でこのような技術者が増えることが必要では在る。ただし私の付き合いをしている中では、本当にいい研究者は自分の研究する内容に対し熱意を持っている場合が多く、そこにモチベーションを強引に持っていくところがあるから成り立つ側面もあって、概していいプレゼンができる人と、いい研究をする人とは並立しないと感じている。以前から、英米人の技術発表を聞く機会もあるが、多少専門家の指導を受けてることから慣れている側面はあるとはいえ、彼らの中では取りまとめ者が発表しているため場数だけ踏んでいる上に「化粧」されていることもあって、現場の研究者には会えないのがつらいところであり分からない。
研究者が税金を使う基礎研究の大事さを国民にアピールして行くのは当然必要と考える。しかし理解しようとすること自体が困難であることで、誤解を起こすことが頻繁である現実を考えると、スタンドプレーがうまく、耳当たりのいい、すぐ儲かる技術のみがクローズアップされ近視眼的にうけ、資金が集まることに結果的にはなっていくと考える。プレゼンがいいものが悪い研究ではまったくないが、埋もれた研究が増えるとも思える。

もっとも、これらは判断基準の問題であって、公益が近視眼的に『明日の幸せよりも目の前のゼニ』(by 笑福亭鶴光)と考えたらその意図に沿うのが、友愛のなかでともに歩む民主社会主義の手法に近い側面もあり、受け付けやすい、開発投資が明確なものに対しては、意外と存在を意識しているものもある。また事業仕分けという「大衆受けする」形で、スタンドプレーの意義で問題意識を分かりやすく(誤解をまねく可能性を覚悟して言えば「馬鹿分かり」とかいうらしい)を喚起したこと自体は、高く評価できるのだ。ただし運用が難しいのである。だからこうなる。
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事業仕分け:ノーベル賞受賞者の田中耕一さんが傍聴  毎日新聞 2009年11月17日 21時47分
 17日の事業仕分けには、ノーベル賞受賞者の田中耕一・島津製作所フェローも訪れ、技術顧問を務める文部科学省の「計測分析機器の産学官連携開発事業」の審議を、傍聴席の最前列から見つめた。
 事業は、研究用分析装置の大半を海外製に頼る現状を改善するのが狙い。たんぱく質などの質量分析技術に関する田中さんの受賞を機に02年に創設された。概算要求55億円に対し、仕分け人は他の補助金との重複を避けることなどによる「1~2割削減」を求めた。
 田中さんは「削る場と思っていたが、装置開発という裏方の仕事が重要との意見もあり、うれしかった」。一方、製品化など成果への質問が多かったことに対し「人材育成が一番大切。国内で開発が進めば、若手の意欲が導ける」と語った。

仕分け、科学技術にはなじまない…緊急提言   11月19日21時25分配信 読売新聞
 政府の総合科学技術会議(議長・鳩山首相)の有識者議員は19日、行政刷新会議が行った「事業仕分け」で科学技術分野でも廃止や大幅縮減が相次いだことについて、「短期的な費用対効果のみを求める議論は、長期的視点から推進すべき科学技術にはなじまない」とする緊急提言を発表した。(後略)
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となると、基礎研究にも投資効率(しかも空論に近いもの)が求められることにより、結果的に「バカでも分かるようにごまかした」プレゼン合戦になってしまうことで、本質的な研究費用、そして人件費がふんだんにプレゼンに割かれることになるのだろう。
いつまで続くのだろうか。

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コメント

nosmoking 事業仕分けは必要であるが、その成果は仕分け人の能力に依存している。
次世代スーパーコンピューターやロケットなどの科学技術関連予算が事業仕分け(税金10億円投入)で見送られるようでは、民主党政権には夢も希望もない。
民主党の蓮舫や枝野のような科学技術に無知で、日本の将来に無関心な人物が仕分け人では、致し方ないこと。
毎年2.5兆円の税金を使う高速道路無料化は、無駄な予算であるから、事業仕分けによって廃止してもらいたい。
民主党には成長戦略が無く、成長のための投資と無駄を区別する能力も無いことが見えてきた。
蓮舫が世界一になる必要があるのかと言ったスーパーコンピューターの現在の性能順位は、1~3位は米国、4位はドイツ、5位は中国、6~10位は米国そして日本は30位以下。
民主党を衰退させなければ、日本が衰退することとなりそうだ。

投稿: 夢も希望も無い民主党 | 2009年11月22日 (日曜日) 09時22分

ご意見があるようですが、元々成長を期待するのか、現状維持を期待するかという考えとて根本的に考えが違うのが在るでしょう。

この件については別途述べましょう。

投稿: デハボ1000 | 2009年11月22日 (日曜日) 13時49分

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