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Ochiru、Ochiru…

岸本加世子という演技派の役者がいますな。私と同年代である。
当初はアイドルタレントとして、テレビドラマ、映画、CMなど広い分野で活躍した。(こういうのを見ればわかる)そののち女優となり活躍した。最近、北野監督作品でいいキャラクターを演じている。かつて本音で話す、気のいい奔放な女優として有名だったが、今でもそういう感じはある。ミツカンのCMなんかそうだわな。
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一方、人柄がいいのか友人も多く、また創価学会で要職にあり、新潟県中越地震の被災者への社会奉仕活動を積極的に行ったることを評価する向きも有る。この関係で人的な縁もあるのか、公明党の強力な支持者で、今般の選挙でも公明党の重鎮、冬柴鉄三氏(兵庫8区 落選し引退)の応援演説をしていたそうな。普段はTVで政治の話をしないとわきまえているなら、これはこれで岸本加世子さんの個性として認めるべきと思っている。
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さて、怖いものなしの人というのはどこでもあるんですね。

上方落語の重鎮桂ざこば師匠は大阪の「毎日放送」のワイドショーに選挙直後に出ていた。そこで、公明党の有力議員が続々落選というニュースが入って来た。そこで、選挙の専門家が居並ぶなかで、コメンテータのざこば師匠がなにげなくいったこの発言である。

落ちるということは信心が足らんということですか?

http://www.youtube.com/watch?v=e6s6dO3l2Z0

番組で公明党の惨敗を伝えるなか、ざこばは突然発言。スタジオの空気は一気に凍りつき、解説者・司会者たちが次々に「それは関係ない」「関係ないでしょう」「政教分離ですから」などと否定する一幕が生放送された。番組はCMに突入。CM明けでアナウンサーが訂正コメントを出す事態となった。おろおろしながらも、「特定の政党と信仰心は一切関係がありません」とことわっている。(メインMCは同局のアナウンサーOBで、サブ役の局アナがが釈明)
ここで政教分離であるが、現代各国の政教分離は国によって程度が異なり、厳しい政教分離を規定する国もあれば、宗教と国家は強く結びついているところも有る。日本では政教分離を憲法で定め、アメリカ合衆国・フランス・トルコ・メキシコと同等に政教分離を厳しく規定している国である。社会風習に余りにもくっつきすぎ、また個人心情に関連することから、完全分離ができないという認識(政教条約という宗教との境界線を引くこと)も有るところもある。そういえばキリスト教民主党というのもありますな。
このように国によって考えがかなり違うところがある。したがって、政教分離の具体的内容とは
*特権付与の禁止
*宗教団体の「政治的権力」行使の禁止
*国の宗教的活動の禁止

になるのだが、一方、宗教者個人の政治参加としてはその状況が政治的な姿勢にかかわるから民主主義の観点では忌避できないところもある。日本においては、宗教者個人の政治参加までは否定されないのが、一般的な考え方であろう。そこで、このあたりで宗教団体は間接的に議員を支援するという形であるが、この点は公明党はたしかに議論が難しい存在である上に、宗教ベースの政党が非難されているのは海外のメディアからは、不思議に思われるようだ。もちろん、過去の日本は今で言う国教制度に近いが運用でかなりの問題が生じ弾圧につながったということを理解してもらうしかない。どっちにせよ国のコンセンサスまでかかわる、極めて高度な議論を要求されるものである。
但し、どーも桂ざこば師匠はきっちりした意志を持っていったというよりは、素朴な疑問を投げかけたという感じをこの場合はした。同席した人たちは専門家ばかりで、その人たちに日ごろの疑問点を単純に質問したということなのだろう。だから質問してから事の重大さに、それとなく気がついたようである。さすがに、「洒落でんがな、洒落」はいえなかったのだろう。

毎日新聞の資本影響下に有るこの放送局はネットの関係では東京放送の影響下にもあるが、番組編成に関しては一家言あり、他の在阪の放送局の中でも独自性を出す局の一つとして知られる。 江戸演芸番組の放送は控え、上方演芸を重視する姿勢も強い(実際、スポンサーや視聴率が取れない側面もある)し、エリアの社会が他地域と意見の相違を見せている場合は、断固として拒否するなどの行動に出る。そして、開業当時からの放送局の方針から、テレビでは創価学会と聖教新聞のテレビCMを流さない。、ラジオでもネット受けを独自に切るなどしている。(ラジオCMのみ2009年から限定して再開)
ここでも、「政教分離」ということもあるからか、公明党(国政選挙期間中のみ)及び創価大学のCMは流しているわけで、この話を考えると桂ざこば師匠は計算していなかったともいえるし計算していたとも言えるのである。けどこれ以降かれが出演を止めたという話はきかない。
直前に競合他局でやはり桂ざこば師匠はタブーな言葉をいって、現場を凍りつかせたという話もあるが、彼には米朝仕込の上方落語の至芸があるわけで、いざという段階では落語家に戻るとまでいっての行動で余りにも純粋な人でもある。(その意味、キワモノと見られがちな月亭可朝が、おぞましい人間の業の世界を語らせたら類がないというように、米朝一門は本芸がぴっちりしている側面がある)従って、それを知っているかなりの聴取者からはその心境をはかり「やれやれ。もっとやれ」という声も多いようだ。
だから、この動きを聞いたとき、「ニヤリ」としてしまったのである。

選挙に落ちるのは人気の問題であるから根拠には感情の所作、宗教的なものも含めた有権者の思考形態がないとはいえない。但し公明党が与党だったことから現実の生活の維持というものの査定の側面もあるわけで、今回の選挙ではそれが強く出ている。そうなると、信心という数量化できない個人的感情の所作と一応数字で出てくる定量的な選挙結果を、じつは意図せずに緻密にくっつけているところに、このざこば師匠の言い方のそこはかとなくブラックな意味がみえる。
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さて、岸本加世子さんにもどる。20のとき一流の作家による、かなり当時としては思い切ったレコードを出している。曲と言うより語りであるが、彼女の体当たりの覚悟、潜在的な芸の力を感じさせる。反面、珍盤という意見も多い。
ああ落ちるPART I(なかにし礼/都倉俊一)」(ポニーキャニオン)1980年5月 
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B32686

元は、「真夜中のヒーロー」というTVドラマのオープニング。いきなりこれである。(この後出演者のリストが流れる)当時で言う看護婦として働く美少女(主演:岸本加世子)が、全裸で牢屋に閉じ込められ『堕ちる…』と喘ぐオープニングから始まる。(そもそもドラマのもともとの題名は「ああ落ちる」だったとか)事実、その当時の鶴光のオールナイトニッポン「驚き桃の木ピンク話」のコーナーでかかっていた。

なおあゝ落ちるPARTⅡというのもあり、感じは同じである。

もしこのせりふを本当に聞いたことがあるなら、それは本当の修羅場であろう。

「真夜中のヒーロー」は今なら深夜時間帯でも躊躇するような、猟奇的な脚本だったらしい。20歳の彼女がよくOKしたなという印象が極めて強かった。良くも悪くもこの印象はいまだに残っている。
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それで彼女が冬柴鉄三氏の応援演説をしたことを思い出した。まさかこの歌を応援演説を聴いた人が想起したんではなかろうなあ。信心とも、過去の行動とも別個のところで。ええ、洒落でんがな、洒落。

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