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リスク回避の一つかな

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忽那汐里&益若つばさ&IMALUが“ポッキーダンス”ではじける!  2009年9月11日 18時17分 (webザテレビジョン)
江崎グリコのチョコレート菓子「ポッキー」の新CM発表会見が7日、都内で行われ、「2009年ポッキープリンセス」に就任した忽那汐里、益若つばさ、IMALUが、新作の“ポッキーダンス”を披露した。
同商品のCMにはこれまで松田聖子、南野陽子、モーニング娘。、松浦亜弥、新垣結衣など、その時代を代表するアイドルや女優が出演してきた。昨年、忽那が第50代プリンセスに就任。引き続きポッキープリンセスを務める忽那が出演する「エビバデポッキー篇」は8日から放送されており、益若が出演する「エビバデポッキー つばさ篇」、IMALUが出演する「エビバデポッキー IMALU篇」は10月から放送される。
2年連続でプリンセスを務める忽那は、「去年からいろんなイベントに参加させてもらいましたが、いつも1人で“ポッキーダンス”を踊っていました。ことしは2人も仲間ができたので心強いです」とコメント。今回の撮影ではダンスの練習にあまり時間を掛けられなかったことも明かし、「前回は3カ月くらいじっくり練習できたんですけど、今回は2時間しかなかったんですよ。だから、かなり焦っちゃいましたね(笑)。でも、楽しいけれどシンプルなダンスなので、まねして踊ってほしいです」と話した。
また、一児の母としても知られる益若は、「だんなはCMを見て爆笑してましたけど、1歳半になる息子は一緒に踊ってくれてます」と満足気にコメント。CM初出演を果たしたIMALUも「母(大竹しのぶ)はまだCMは見ていないんですけど、撮影現場の様子を伝えたら、『初めてのCM撮影を楽しめたみたいで、よかったね!』って言ってくれました」とそれぞれ家族の反応を伝えた。(後略)
----------------終了
たのしいですねえ。ポッキー
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というか個人的には海老名の星(おい)である「いきものがかり」が曲担当ですが、こちらが好きですね。あれは忘れもしない、いつのことだったか(忘れとるやないの ©麺通団)本厚木の駅前(厚木の駅前ではない)ですごい人だかりをしていて、見ると中で歌ってる人がいるのを見たことがありますが、そのときの人だったのでしょうかね。今回は両A面「YELL/じょいふる」の「じょいふる」を使っており、「YELL」はNHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲でもあります。

ただねえ。企画意図としてこの3人の15秒バージョン、構成から服装までまったく同じものを使っていますが、何か意図があるんかなあと思います。比較してみると面白いし、各々の特性をわかるというところもありますが、いらぬ懸念をしてしまいました。
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この前から、覚せい剤の件で問題になっている、かの酒井法子氏。まあやったことが違法行為は当然ですが、逆に言うとリスクの連鎖で企業の取引先連鎖はあるわけで、その危険性を示したところはある。たとえば、コンプライアンスこそは“法令遵守を超えた収益向上に向けた企業倫理”であることを謳う事例もあります。セミナーなんかにも、 

□テーマ: コーポレートガバナンスに伴うリスク 〜企業統治を脅かす社員の犯罪、会社の不祥事
 ○酒井法子事件にみる企業の弱みとリスク
 ○警察、検察が持つ最強の切り札
 ☆今月のケーススタディ
  日常ありがちな社員の交通事故に関する謝罪ポイント
  医療系上場企業が犯したミスの連鎖

というのがあり、また所属していたサンミュージック社も違約金などを払っている。
もっとも、発注先にはこういうことに対してはきわめてきちんとチェックする政府系の案件もある(裁判員制度の広報映画)のだから、ほとんどの人は彼女の挙動にはそこまで問題視していなかったともいえる。これこそがリスクであるのだが、今回の場合は、どんなことをしても人間が相手で感情の所作である以上、人的依存ではリスクはゼロにできないという当たり前ではあるが、むごいことを示したともいえる。
もっとも、彼女の場合、余りめぐまれた家庭環境でないというのは知る人には知られており、それを克服してかつ事務所もフォローしていた(事務所はデビュー以来変わっていなかった)という側面があることを、好きな人は逆に評価していたという側面もあったわけである。
こうなると、商品を広報する素材に対してもサブの中身(ないしは同様なものをを複数)を作っておき、常時は複数種類使用し、事件でなくても当人の疾病など問題となることがあったなら差し替えられるようにしておくということなのかなと思う。定番商品で会社の顔となっているものだからなおさらである。

まあ、忽那汐里・益若つばさ・IMALUって、どれもそう問題となるイメージはない人たち(しかも活発なひとたち)ではあるのだが、羹に懲りて膾を吹き、さらに温度計測機器を上から照射するというような行為をしなければやけどをしたときに風評が吹きふさみ、存亡の問題に(発注元、発注先ともに)至るのは、雰囲気だけで議論する移り変わることに戸惑いのない時代である(随伴的風評で倒産などが頻発する)中で、確実性をもたさなければならないのかなと、うがった悩みをしちまうんですな。
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さて、まあ報道の普及しない時代には、落書きが報道の一種であったというのは洋の東西を問わない。まあ、その昔は手写しでやったため、ある意味トイレットペーパー騒動と同じ紙である「洛陽の紙価を高める」事件というのまで引き起こしたんですな。(誤爆。貧乏書生の左思はある日発奮し、十年かかって『三都賦』を完成させたが、無名の彼の作品は話題にならなかった。そこで彼は高名な文人に見せ序文を書いてもらったりしたら、人気が赤丸急上昇。当時紙は貴重で高価なものなのに、人々は争って写するための紙を買い求め、ただでさえ高い紙がさらに値上がりという、トイレットペーパーと似たようなことになった。)もっとも天皇も便所に入れば「かみ」に頼ってるなんてことを言って、問題になったのもありますが。
そのうちこのうわさを載せたものが商売となり、高級紙(新聞)・ゴシップ紙(イエロージャーナリズム) そして機関紙(特定の報道に偏ることを趣旨とするもの、政党や宗教が出す)となるのだろうが、それにしても「現代の落首(らくしゅ:人の集まりやすい辻や河原などに立て札を立て、世相を風刺した狂歌を匿名で公開する。平安時代から江戸時代は言論の自由は存在せず、政治批判は危険性の高いだが、匿名公開で読み書きができる者なら誰でも自由に言論活動を展開することができた。)や落書(らくしょ:政治風刺、政治批判、揶揄の目的で人々の目に触れる場に匿名掲示・配布される文書)」であるあの「2チャンネル」を見ると時間発生直後にこういうのがあって、事はともかくひざを打ってしまった。中身は興味本位しかないが、見事に対語になっている。(ほめてどーする・・・・)

お菓子が柿ピー
おかしいのがラリピー

食べると辛い(からい)のが柿ピー
捕まると辛い(つらい)のがラリピー

サケのつまみに出されるのが柿ピー
サツにつまみ出されるのがラリピー

病み付きになるのが柿ピー
病み付きになってるのがラリピー

カリっとするのが柿ピー
ラリってるのがラリピー

値段が安そう(やすそう)なのが柿ピー
旦那が高相(たかそう)なのがラリピー

菓子(かし)として売れたのが柿ピー
歌手(かしゅ)として売れたのがラリピー

商い(あきない)で売ってるのが柿ピー
飽きない(あきない)で打ってるのがラリピー

お酒に欠かせないのが柿ピー
クスリが欠かせないのがラリピー

ピーナツと一緒にパクッとされるのが柿ピー
旦那と一緒にパクられるのがラリピー

むしょうに食いたくなるのが柿ピー
ムショに行きたくないのがラリピー

食べやすいように小分け包装してあるのが柿ピー
逃げやすいように子別け逃走しているのがラリピー

新潟に工場があるのが柿ピー
逃げ方に定評があるのがラリピー

人気(にんき)があって愛され続けてるのが柿ピー
人気(ひとけ)のないところで逃げ続けたのがラリピー

しけるとマズイのが柿ピー
調べられるとマズイのがラリピー

みんなで食べるのが柿ピー
みんなで捜したのがラリピー

品質検査に頑固なまでにこだわるのが柿ピー
尿検査を断固として断るのがラリピー

あられが柿ピー
あられもないのがラリピー

秘密は黄金バランスなのが柿ピー
秘密の逃亡バカンスなのがラリピー

口がさみしくなるとつい食べたくなるのが柿ピー
口がさみしくなるとつい吸いたくなるのがラリピー


書いた人は見事風評ということの本質を格調高くしたつもりでいるかもしれないとはいえ、二条河原の落書(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E8%90%BD%E6%9B%B8)のほうがまだ心根ははるかに高いと考える。しかし、それでもこういう発想とて、私にまったくできないのが残念であった。

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コメント

こんにちは。
>二条河原の落書のほうがまだ心根ははるかに高いと考える。
2ちゃんねるには「才能の無駄遣い」としか思えないような書き込みが多いですね。私もとても思いつきません。
>もっとも天皇も便所に入れば「かみ」に頼ってるなんてことを言って、問題になったのもありますが。
現在タイに出張しています。この国の知識人の中には王室に対して批判的な意見を持つ人達もいますが、彼らは公言することはできません(タイ語ではなく日本語や英語で小声で教えてくれる)。日本には言論の自由があるからこそ、いろいろな面白い発想が生まれるのでしょうね。

投稿: kunihiko_ouchi | 2009年10月10日 (土曜日) 13時32分

>彼らは公言することはできません。日本には言論の自由があるからこそ、いろいろな面白い発想が生まれるのでしょうね。
日本でも菊タブーというものがあり(じつはこの「かみ」に頼ってるというのは当時は学生運動の頻発時期のため相当問題になりました)ますが、まだこのタブーというものはかなり違いますよね。その割には昨今の各種報道な人権侵害にかなりきわどいところもあるのですから。
本当は、知的所有権で国富を成り立たせる行為がなされる以上「才能の無駄遣い」としか思えるモノも維持しなければ全体の底上げは難しいとところがあるとおもっています。
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ところで、『二条河原の落書』にも記されている政治のの混乱は、建武の新政ですが、性急にすぎ複雑化した土地訴訟事案への対応が瓦解の遠因といいます。八ッ場ダム建設も土地の所有権問題がかかわっていることを考えると、このよのなかで鬱憤が出て、既存の情報インフラに乗らないところがこういう落首・書き込みという形になるんですかね。

投稿: デハボ1000 | 2009年10月10日 (土曜日) 22時04分

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