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もぐらたたきと類推性解釈(4/4)

(承前)

話は露骨な方向性に行きません。

「一を聞いて十を知る」という言葉がある。物事の一端を聞いただけで、そのすべてを知ってしまう事。一般的には聡明である事を言う。
孔子と弟子の子貢との次のような対話が論語の中にある。
「子、子貢に問いて曰く、汝と回と孰れか愈れる。対えて曰く、賜や、何ぞ敢て回を望まん。回や、一を聞いて十を知る、賜や、一を聞いて以て二を知る。子曰く、如かざるなり、吾と汝と如かざるなり。」

孔子が子貢に問いかけました。「お前と顔回とでは、どちらが優れているか。」
子貢は答えました。「わたしはとうてい回の足元にも及びません。回は一を聞いて十を知る事が出来ます。私は一を聞いてもニしか知り得ません。」
すると、孔子が言いました。「その通りだ。私もお前と同じで顔回には及ばない。」

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「顔回(がんかい)」という人は「一を聞いて十を知る」人だったらしい。孔子が最も愛し、尊敬した人物で孔子の一番弟子だが、若くして亡くなってしまい、顔回が亡くなった時の落胆はひどかったらしい。他にも孔子が顔回を褒めた言葉がある。
つまり極めて理解が早く、洞察力が鋭い。但しそれは基礎知識と推論技術が十分あるため、一つの事項から関連する事柄に展開できるからある。基礎知識があり、推論技術に習熟している人は、命題の解釈を作れるため、「一を聞いて十を知る」ように見える。
じつは本当に一を聞いただけで十を知ることをしたら、最近はまずい。一を聞いたというニュースソース自体にどれ位の推論に値する化というのを判断する必要があるわけで、「十を聞いて一を知る」というのでも最近はおかしくはないとさえ言いたくなる。
まあそこまでいかなくても「雑多な事実や意見の中から本質的な法則を発見するか」ということ、すなわち「情報の収集」とその「分析」という行為は帰納法といえよう。現代でもこの情報の収集数を多くする作業を怠って、都合の良い事実のみを集めた推論だけで誤った結論を導き出している例も多くある。それを、ないがしろにすると、「一を知って二を知らず」と言う言葉になってしまう。これは、事物の一方だけを知って他方を知らないことから知識や見識が狭く応用力が弱いたとえなんだそうな。これもさけたい。

ところで、電通には現在は使われていない仕事をする上で示唆に富んだ名言があるという。戦後直後の社長である吉田秀雄氏が作ったとされる。(Wikipediaより)確かに言葉はふるそうだが・・・

<責任三カ条>
1. 命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまではこれをなした者の責任である。その限度内に於ける責任は断じて回避出来ない。
2. 一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あって一利ない。正に組織活動の癌である。削除せらるべきである。
3. 我々にとっては、形式的な責任論はもはや一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。

おお。 一を聞いて十を知る才能がないというか、これをもつものはかなりばくちを行なうものと、バイアスのない情報源が「現場・現実・現物」とて分析しにくく隠蔽されるがごとくあつ、今のわたし立ちの社会ではあるのだが、まだ、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感というところに一つの修練策を見いだしているのは、有る意味この文章は「ビジネスマン」としては納得いくものである。
但し、電通の今の事業である広告代理店としての企画事業って、一を聞いて十を知る才能を育成する環境を(意図せずにではあろうが)つぶすことによって事業が成り立ってるともいえると、わたしはうがった見方をしてしまった。
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さて、4代目社長吉田秀雄氏にて1951年につくられた電通社員、通称「電通マン」の行動規範とも言える「鬼十則」と呼ばれる非常に有名な言葉があるという。もちろん、これはその前に下記の項目をなかなか実行できない環境にあるともいえることの裏返しともいえるのかな。
まあ、標語を企業にいくと張ってあるものだが、裏返しに読むと実態がわかることがある。「納期厳守」と書いてあれば・・・ははあ、そこの実行に苦しんでいるのかな…・とか、「対話の有る明るい企業」と書いてあると…お局さんがいるのか、管理職に巌窟者がいるのか…とか。そこで(括弧)にわたしなりのコメントを少し入れてみた。
とはいえこれは元ネタがあるわけで、優れたオリジナルがある(参考:http://www.nozomu.net/profile/bro-j.html
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。(つぶされることもあるんだろうな)。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。(働きかけて疲れても見返りはあるの
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。(己に責任ばかりふりかかりつぶされる
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。(成し遂げようとしたらつぶされる)。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。(火傷をするぞ
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。(ひきずり回すうちに、皆の鼻つまみ者に
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。(怒り・苛立ちと、そして空しい失望・倦怠
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。(自信を持つと煙たがられ嫌がられ相手にされなくなる
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。(八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなもの
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。(摩擦はトラブルの母、減点の肥料

うーむ。覚えあってやがて悲しい。つまり類推性を否定するともぐらたたきの具にされるのがまさにこの「鬼十則」の裏返し。現実の日本の社会にある場面なのではないかな。一を聞いて十を知ることは現在の社会では、現物を吟味することで苦労することでなされることで、一般的には目標としては「一を聞いて十を知る」はあるが、一を聞いて一を知ることを貫徹を極めるすることで十分といえる。沢山 「顔回(がんかい)」がいるようなら孔子も嘆かないはずだよね。

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コメント

鬼十則、以前勤めていた会社に掲げてあって唱和させられましたね。懐かしいなぁ。
その会社にいるとき、静岡県富士宮にある管理者養成学校13日間地獄の特訓へ行かされたことがありますが、そこでは箇条書きのスローガンを一字一句暗記させられ大声で唱える「素読」と呼ばれる訓練項目がありました。ありったけの大声を上げることで脳に刻み込もうという意図のようでした。
夜中になると「裏素読」という替え歌バージョンのようなやつが回ってきて、これが笑えるというか、最初にこっちを覚えてしまいましたね。
150人程度が一度に訓練していましたが、ここで成績10以内で卒業すると、五年以内に会社を辞めるというジンクスがあると裏情報で聞きました。私は7番か8番でしたが、ジンクス通り辞めました。モグラがモグラの穴を飛び出した、ということでしょうね。

投稿: SUBAL | 2009年9月23日 (水曜日) 17時08分

>静岡県富士宮にある管理者養成学校13日間地獄の特訓
あらあ。あの有名な!これは貴重な経験をされましたねえ。
>「裏素読」という替え歌バージョンのようなやつ
やっぱりあるんですなあ。逆に言うと、この使い分けをするということを暗に示唆しているのかもしれません。


投稿: デハボ1000 | 2009年9月24日 (木曜日) 07時43分

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