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続・日本型ものつくりの限界論議(1/2)

日本の開発体制では「すりあわせの製品開発」というのが話題になる。これは完全な分業ではなくいわゆるコンカレント性をもつ。組織・マネジメントががシームレスだ。
製品エンジニアと生産エンジニアが協力し合い金型などを共同開発することは自動車技術ではよくあることで、この旨い下手で開発設計がうまくいくかが結構決まる。まさに私がやってきたことでも有る。、生産エンジニアが試作初期段階で設計についてテストし問題をフィードバックするなどさまざまある。製品開発を多かれ少なかれ「すりあわせ型」方式でやっているところが、大方の日本の自動車メーカーの強みでもある。
ただし、一部の日本の自動車企業では其の歴史から、すり合わせ方でない開発を中心にしているもののある。国内の部署ではすりあわせ型なのだが、国外の開発部隊では(軽度の開発に限っているが)すり合わせ型にしていない企業もあるようだ。
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この前提で金型設計と製造が動いているのだが、金型の開発工程で日本と海外で異なるのは、日本が納入保障だったり、仮検収で納入後チューニングする仕方なのに対し、海外は売り切り、買いきりなのである。当然後者のほうが価格が安く納期も短くできるのだが、金型が納入されてから使えないということが多発した経緯で、一部のものは国内に戻ったり、逆に日系企業向けには金型工場を日本資本が現地に作ることですりあわせ開発を行なうことになっている。

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さて、「すりあわせ型」の製品開発では「プロダクト・マネジャー」が必要である。これは設計から意匠、製造、部品メーカ管理まで、製品開発に携わる人を統括する要員が必要で、プロジェクトマネージャーの上でLPLという。最も企業によっては市場調査から広報・販売まで把握するところまでまとめる権限を持つ場合もあるし、設計から意匠、製造間での管理、部品メーカ管理間でと言うところも有る(コスト管理はあえてはずしている)。もちろん、自動車メーカーだけでなく、エレクトロニクスなどの分野においても、この手の「ヘビー級プロダクト・マネジャー」がいる会社はあるが、人員が多くないと作れない関係で、製品がある程度成熟したものでは設置をしない場合も有る。
反対に、製造工程を外部なり社内分社化するなどして分離し、完全な分業を行うものを「モジュラー型製品」と呼ぶ。このモジュラー型の製品の開発はアメリカが強いようで、概して各自の権限が明確だ。PCの組み立て工程などは今は確実にこうなっている。聞くところによると、社会の上流に工学でも理学でも知識層が確かに形成されていて、社会に階層がまだ残るインド社会だからこそ、モジュラー型の製品開発が容易に進むことが、今の段階では工業の進化ができるという意見があるらしい。
例えば,数万部品以上といった極めて複雑な製品の設計では,設計の早期に既存知識の整理をしておかないと、後工程で調整を繰り返すやり方では最適解に収束する時間が多くなりすぎである。もちろんシミュレーションなどの技術も駆使しておくことが前提である。(シミュレーションなどの技術が同定されており、事前検討に合致することが今なお達成されているかと言う検討はじつはあるので、そこをどう扱うかにかかわる・・・後述)
また、モジュラー型,すり合わせ型といったプロセスは決して固定的なものでなく,同一製品においても能動的に変化する。新しいジャンルの製品を新たに開発する段階では擦り合わせ型であるが,その後の時間の経過とともに,モジュラー型へとプロセスが変化する用に仕向けないと利益がでないし、品質・コスト・納期(QCD)が安定しない。
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アメリカの開発製品を見ていると分業についての考え方は,「設計」と「生産」の関係にも表れていると感じる。欧米の技術者は,生産準備や生産側に比べて設計側が一段偉いという発想があり、設計が絶対的な権限を持ち,生産準備以降は言われたとおりにやるだけという発想がつよいらしい。確かにQCサークルのように、後工程の技術者が設計者に対して注文をつけるなんてことはしない。
欧米の製品設計で、現物を見て、「よくこれで文句をつけなかったな」というものが出来上がることがあることを、仕事の指示や、海外の製品調査で痛いほど経験している。某社の製品でこんなことで品質や価格が保てるのかと思っていたら、大量な製品選別を行なううえに、極めて人件費が低い地域で大量に作らせて、かつ基本設計のライフサイクルをとんでもなく長くしているというわけ。ただし、韓国製のものにはこれが少ない気がする。
対して日本では,設計と生産準備・生産は対等であり,後工程の技術者が設計者に対して「こんなのでは困る,こうやって欲しい」と注文をつけたりすることは普通であり、これに設計者は従わないと作業者のモチベーションは極めて落ちてしまう上に、継続的な生産活動さえ維持できなくなる。これを、日本ですり合わせ型からモジュラー型が移行しないと認識することもできるのだが、私は違うことを考えている。
米国では専門分化が進んでおり,創造を担う技術者と,それに基づいた日常業務を効率良く行ってものをつくり出す作業者は分化している。計画を行い、それを具体的に実行する段階ですべての工程に「創造がある」と言うのが原則である。従ってプロセスへの移行が早いものは、そこで製品の問題点の追求がとまってしまう。これは商品性の相対的低下ということでかなり早いうちに販売量減少がおきる。ところが逆に先行的開発というもので計画工程がきわめて膨張できるし、其の財力がある製品(航空機など)になると、川上たる計画部隊を極めて高度に練ることで高度な製品が構築できる。
大型航空機については余り日本が得意でないのは、後工程の技術者が設計者に対して注文をつける工程では、プロジェクトリーダークラスの担当の業務が調整がつかなくなり破綻するということが想定できるが、そもそも、設計が絶対的な権限を持つことが企業体の活動の中でコンセンサスが取れないという考えも成り立つ。(航空機メーカーによっては、企業を子会社という形で独立させて、そこだけモジュラー型プロセスにさせる場合もあるようだが、人事面の見地から、定期異動をさせるようにすることも聞く)一方、だからといって既存製品とはまったく異なったイノネーティブな製品は、きわめて革新的なもの以外は販売するほうとしても顧客が納得しない(たまに使用法を提案するものもあるが、それが取り入れられることが、段々難しくなっている)という。となると継続的に少しずつ変化し、そのなかで個々にカスタマイズしていく製品設計をどうも使い勝手でも、市場要望でも日本人は望んでいると思う。
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 日本で言う「設計者」は米国では「エンジニア」と「デザイナー」に分かれているらしい。エンジニアはアイデアを出して創造的な製品を生み出す。「デザイナー」はエンジニアの構想を具体化して,実際のものに仕上げる、比較的ルーチンワークに近い作業と考えていいだろう。しかし日本ではそうした専門分化が進むどころか、創造的な製品を生み出す構想を具体化する作業や、其の要求を持つデータベースの有様を知るからこそアイデアができて創造的な製品だできるという発想があるようだ。元々ひとりの人間が構想で全部の計画を立てることは、実施する部隊からするとコンセンサスが取れない対象である。この結果一律に計画から具体的な検証まで「多能工」的に行うことをすることが「コンカレント的なアクション」ができる人材で、そういう志向を持っていることが細かい設計者である尊敬の対象になる。こうなると膨大な部品群を組み込む製品をマネージメントすることはセル型の人事構成(部品ごとに一度完成評価をする。たとえば自動車なら。エンジン単体・駆動系(ミッションやブレーキなど)・車体・電装と分けるとか。)にするのが限界である。というのは優れた技術者でも100種類、最大200種類の部品の管理をして組み合わせるのが限界と言われるからである。むしろ割り方が異なる、「設計技術者・・企画から生産まで商品の要求用件への機能を追及する人」「生産技術者・・・企画から生産まで商品の製造問題を追及する人」「意匠技術者企画から生産まで商品の販売側への機能を追及する人」という職能別分類になるようだ。そして其の上に「ヘビー級プロダクト・マネジャー」が担当間調整役として必要になるのだろう。まあこうなると、状況や下からの意見や問題点の量が偏るなら、すり合わせ型プロセスをルーチン的な作業に適応することが求められ、「意味なき繁忙」とか、「すり合わせ疲れ」をもたらすのがあるのではないか。
つまり、日本ではモジュール型を可能とする命令系統を構築する社会、つまり「私計画する人」「ボク作る人」と分化しなければ、モジュール型の製品構成である多数の部品を組み込む製品ができない。これを同一な生産体制で、簡単に、真意を露呈しにくく達成できるのは・・・・なんと

請負制/工場外注ないしは製造子会社への分離/派遣労働者の採用

となってしまうのである。つまり生産過程で階層性を組織に持たせることにより、川上から川下から指示系統を統制することで設計のときの過度の問題の相克、解決工数の増加を逃れると言うことになるのである。
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けど、このようなモジュール型を進めるにせよ、製造過程がある程度確立しているラインの場合は、技術者による構造改善などがもう限界まできて、しかし一定の需要がある製品で、製造過程が確立され、製造側からの問題提起(企業によっては、問題提起・打ち上げ・現場提案 といろいろ言い方がある)がない、有る意味「枯れた」製品群のでは、日本でも製造を子会社に移管とかすることがある。この場合でも後ろ向きではあるが、社会的に問題となる改定を求められる(ICが製造中止で、継続生産の可能性が乏しいとか、石綿が安全上使えないとか、法律がかわってしまったとか)の場合だけは、外部応援で支援するということはある。(時に、どのメーカーも対応できず生産をやめるため、製品自体のニーズがあっても世の中になくなるという、需要と供給の不一致が起きることも珍しくない)
ただこのように、新製品のライフサイクルを考えると、かなり前段階で製造担当にモジュール型で移管するアメリカ型に対して、とにかく製品の技術的課題をとことん練り尽くしてからモジュール型で移管するか、移管前に製品販売を終了するはめになってしまう日本型ということから、ライフサイクルの設定方式の違いとも言えるのではないか。
「すべての製品の開発プロセスはモジュラー型に向かうべきである」という考えは、すでに確立されているのだが、そのようなアクションが社会的要求に伴い、アメリカと日本ではタイミングが異なっているといえよう。また、人員の配置などから擦り合わせ型の製品分野を探すというのは、すり合わせ技術が常時訓練をなんらかしていかなければならないという技術伝承や人材育成の側面もあることは少し考えるべきであろう。しかも「ヘビー級プロダクト・マネジャー」は元来社会に絶対数が少なく、そのためそもそも社外に求めることが難しく、人的素質と人脈(狭く濃い人的関係)が極めて必要であるとなると、其の養成も企業独自でしなければならないなら、擦り合わせ型の製品分野をもってなければならない事情もある。
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シミュレーションなどの技術が同定されており、事前検討に合致することが今なお達成されているかというと、じつは計画段階で練っているシミュレーションの事例が、実際の工程計画作業に極めて無力ということがある。欧米のこのような「シミュレーションと実機の整合性」検討は、ベンダーの専門家、研究施設(大学とかシンクタンクとか)からソフトメーカーへの情報回帰でつくられるようである。
ところが日本では技術者がラインの生産内容までかかわる「すりあわせ型」の前提があり、それはベンダーの専門家、研究施設ではできないより応用的で、理論としては末梢な内容でも実用では些細とはいえない内容がソフトメーカーに戻ってくる。従ってデータの収集はその気になれば量は多いのである(ただし、それが学術的にちゃんとした推論になってるかは保障できない)。しかも其の検討をすり合わせ型で進行するとなるわけである。そして其の対応がよいソフトがよいものとして使われる。所が、このあたりの状況をモジュラー型に考えると、計画段階では普通考えないような仕様を検討した結果なんかは、反映する前に排除される。
このように、新規なものをまったく独自で、強者がつくるかたちにしないと、開発できない工学領域があるがこれを日本で起こすのはかなり障壁があり、モジュラー型が適する。日本が得意なものはそこからブラッシュアップしてあらたな理論を見いだすところにあるのだが、今は新規なものをまったく独自で、強者がつくる領域が多く残っていて、有る程度成り立ったブラッシュアップの着手に適したステージの技術や製品が品切れになっていると言えるのではないか。
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モジュラー化への努力を怠っていることが,日本の製造業の競争力を低下させていると言う意見は聞く。ただしモジュラー化すること自体で日本の製造業を他国の行なわない製品開発で持っていた有効性をなくしてしまうことで、差別化ができなくなり価格競争という世界に自ら飛び込んでいく側面もあると考えている。
物つくりが限界といえばそうなのだが、とことん労働集約的なものに業務の幅を逆に狭めるのも、独自性という意味では、縮小再生産とはいえども日本の生き残りの一つではないだろうか。
(続く)

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