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続・日本型ものつくりの限界論議(2/2)

(承前)
ちょっと待ってよ。日本型ものつくりで行った結果、すべての知的財産の貯金を食いつぶしてるじゃない。そうおもうかたいませんか。
確かにその側面はあるでしょうね。けどそもそも知的財産というものが、たんす貯金とか、金塊・金の延べ棒のように永久不滅ポイントなのかというと、そんなことはないし、消耗は早いし、またいつ価値がなくなるか分からない代物であることは覚悟するべきである。

元始、女性は太陽であった(By 平塚らいてう)のと同じく(爆)従来、知識と創造力によって稼動する経済で、知的財産権は重要な企業資産であった。ただし、その定義する中身は時々変わる。また、基本的には基礎的理論を援用し、それが公知でないとか、類推できる範囲かということで、考えか変わる。
例えば、以前はともかく料理レシピの特許性ってあるのかというと、最近は特許としては当業者が容易に類推できるものということで認められないという考えが多い。(以前なら、カレーパンは実用新案になっているし、その辺りはあいまいであった)
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ただし、レシピに特許性が認められる事もまれにはある。事実、工業的な製品加工手法としてなら、製品を創造する」ということでなりたつ。 ガムを生産する方法、パンを生産する方法、醤油を生産する方法とか考えてみると、食品工業ならこのような特許を獲得していることは大手なら当然である。なお、きわめて新規性の高い「当業者が容易に類推」できないようなものならありうる。「なんとかの製造方法」とか言うところか。

勿論「ただ美味である」は主観的事実だから特許にならない。焦げ目がつかないとか、効率よく作るか、腐らないとか・・・客観的な顕著な効果が認められないと難しい。その反面製法特許という形で、、工程を順番に並べれば狭いが有効な特許は得られる。(同業者を抑えられる)しかし、一般的には料理という形で特許をとることは公知事例の組み合わせであるため、経費を払う価値を含めても取得や維持が困難になるのが実例である。
まあ、料理はともかく、すべての特許は、その権利の所有者に対して「一定期間にわたり」独占的な商業権を与える。 知的財産権のおかげで企業はさまざまな方法で価値を「一定期間」創造できるようになり、持続的な競争優位性を得られる。そして「一定期間」を過ぎれば、この手法はある程度再現できる書面・・特許書面・・・が存在しているのだから公知になる。
ところが世の中では、知的財産権の一定期間の判断に対してさえ実効性が損なわれるケースがある。一つはそもそも知的財産権を守る必要自体が世の中に対して反社会的行為と考える思考である。文化形成で必ず大なり小なりおきる、「学ぶ」行為に必ず包含される「まねる」行為自体を否定してるという議論が一つある。あと戦争という状態では反社会的行為でなく社会的行為で(反社会的行為への対決のため)知的財産権が効力を停止する。
今日の企業資産の80%は無形資産で、これにはブランド(のれん)、技術、ノウハウ、知的財産権が含まれる。投資を呼び込むために知的財産権の活用が欠かせない企業も多いが、これはあくまで経済・社会を活発化させるための仕組みで、本当なら自然には存在しないし、倫理に反するとて社会的同意がなければなりたたないものである。
この、知的財産権の塊で、有体物ではない、特許権と著作権両方関わる「ソフトウェア」は、いたるところに普及している。それが、新薬や製法 、新たな成分構成なども含み、大規模産業で、特許は融資担保となる。そして、この知識を「金銭」として計算式に従って滅却して考えるのが一般的な技術の考えである。このうちノウハウのように金銭にあがって来ることの少ないものはある。この対価は維持する限りは価値はあるが、金額の評定は難しい。しかもコレに対抗する技術ができたり、また何らかの都合で(偶然も含む)公開されると一挙に価値がなくなる。
つまり、無体財産の価値の評価はピーキー(「挙動が神経質であり、限定的な範囲では非常に高い性能を発揮するが、範囲外の場合は操縦性が低い」転じて「熟練した者なら非常に高い性能を発揮するが、熟練していない者には使いこなすのが難しい」)なものである。
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そこで注意しなければならないのは、ものには償却期間がなんらかの形で分かることが多い。知的財産においては法的に保護されているものは期限内であるが、そのほかの一般的ノウハウ・技術・のれん(とのれんに付随する意味で商標など・・・・商標登録自体は無限で更新できるのだが・・・・)は価値の変動予測が基本的に難しいもので、永久不滅というものがない分、知的財産における償却年数は設定できないということになる。
今日用いた知的資産があした、評価に値しないものになることは平気であろう。また学問というものに永久の価値を求めることは考えられるが、その理論自体では研究費がもらえるとかは別として、実利に転化するには「この効果で・・・ドルの社会的付加価値向上」「この製品で・・・・キロのCO2低減」「この効果で・・・・人の削減」「この効果で・・・円の人材損失の回避」という実態評価につなげられることが前提になる。(ただし、「この製品で・・・・キロのCO2低減」は理論値にすぎないともいえる。従って、このような評価をする手法の場合は、政府などが裏付け保証をするしかないともいえる。その点お金は裏付け保証がある。)
音楽芸術でもこれはあろう。興行収入(講演会も含む)や著作の冊子などの現物評価にならないと、滅却の計算が確実な形で出てこない。

知的財産で食べていくべき日本ということは言われる。ただし、滅却の想定ができないものを精算するということは、評価と報酬が不規則にふれること。データを作ることで報酬が生まれるし、それが既存の生産財に対して価値を大幅増加させるが、それを専用に経済を動かすと、きわめてふらつくとなると・・・なんか社会がずっこけるとリカバーできないほど社会が崩壊すると考えるとちょっと心配。
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かつて欧州で通商で利益を得ていたところはある。スペイン・ポルトガルもそうだし、代替わりしてイギリス・フランス・オランダによるものがある。
東インド会社というアジア地域(注:「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域)との貿易独占権を得た特許会社があり(イギリス オランダ スウェーデン デンマーク フランス)重商主義帝国の、特に貿易差額主義に基づく経済活動に極めて大きな役割を果たしたものがある。貿易差額主義という「富とは金・銀、貨幣であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言うもので、植民地の搾取、植民地争い、保護貿易弊害が生じて弊害が出て、のちに自由経済思想(古典派経済学)の発達を促すもとになった。
この当時の扱うものは、基本的にであり、物を扱う上の知的所有権は物品に仮託しているが、その後知的所有権や著作権が商品として流通することにより、初めて正当な対価を得る商品として流通したと言える。もちろんそのためには各国のコンセンサスが取れる必要がある。
ところが、オランダもそうだし、オーストリアもそうなのだろうが、このように社会の中で対価を得るものが少なくなり出すと、基本的に知的水準が高いためなのか、経済の壊滅的破壊こそないが「一人がち」ができない状況になっている。
そういうことを考えると、「知的財産立国」というのを唱えることは必要であるが、基本的に物の生産を伴わないのなら、従前の経済規模を維持するのは、金融資産融通と言う有る意味では、一歩間違うと其の解釈では「詐欺」になりかねない・・・「知的行為」・・・が付加価値をバブルのように膨らませる行為以外は成り立たないと考える。
なお、知的財産立国というのは日本経済を強力に牽引してきたのは、「ものづくり」だったが、今後は、他国の追随を許さない「情報づくり」を基盤としていく場合、そうした情報から生み出される付加価値を最大限活用して、アジア諸国の追い上げを受ける「ものづくり」も活性化が可能になると考えるのが発想で「ものづくり」の周辺を固めると言う考えである。ただし現実、そうした情報から生み出される付加価値を最大限活用できるノウハウを「ものつくり」のノウハウが滅却してるということがあるとこの行為も無意味になると考える。つまり、「知的財産立国」は、あくまで「ものづくり」に加えて、価値ある「情報づくり」があり、その間の流通行為で新たな事業分野を切り開くことで雇用機会の創出できるからこそ成り立つ。そこを、かなりの人が「知的財産」だけで商売できると勘違いするという解釈にされたらこれは意味が異なると私は考えている。
「知的財産」と流通行為だけで商売できると信じていた場合、無形財産の特徴と見られる、急遽其の資産価値が予想外に滅却すると、全体が緩やかに衰退する(壊滅的破滅には、人材の形成が伴っている一般的現実から、逆にならないが)認識を私は持っている。それが今のアメリカの一つの姿とも感じているのだが。
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ところで、
イノベーション力を強化する産業技術政策の在り方(中間報告)という経済産業省の報告書によると、日本の研究開発は、資金的には依然として世界のトップレベルであるが、成果が低下傾向で危機に直面しているという。
新たな競争モデルへの対応の遅れ(下記の問題点が克服されていない)

①新たな価値観に基づくコンセプト創出
②自前主義の限界
③研究開発の新たな競争モデルの出現(競争と協調)
④オープンイノベーション

対策(抜粋)としては:
①出口を見据えた研究開発システムの強化、国家技術戦略への転換
②出口を見据えた協調領域の研究開発拠点:ベースキャンプの整備
③新技術研究組合制度を活用した共同研究と事業化
④研究開発システムの国際対応力の強化
⑤総合プロデューサー人材の育成
⑥技術・人材の流動化

参照:http://www.meti.go.jp/press/20090819002/20090819002-2.pdf
できないと言う話ではないのだが、なかなかそこまでの環境を整える工程が、作りにくいと考える。

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