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寄席と講演会

過日ある大学の先生とお話をしていた。
この人は落語マニアで、5代目古今亭 志ん生とかとも交流のあったという方であった。彼曰く最近は30分話を持たせる落語家がいなくなった。いまはとり以外は15分ですからな・・・ということだが、とはいえホール落語はどうかなというと・・こちらも質の低下・・だそうで。
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そこで別の人が入ってきた。このひとは浅草稲荷町にずーっとすんでるそうで、そうなると、稲荷町の師匠である、林家彦六(8代目林家正蔵)を朝夕地下鉄でよくみたそうな。

芝居噺や怪談噺で有名で、曲った事が嫌いで、すぐにカッとなるところもあるが、筋を通すことは有名であった。ただ私は関西在住だったこともあり、主に顔を見たのは日本共産党の機関紙やチラシだったりする。(実際に日本共産党の熱烈な支持者として知られるが、「あたしゃ判官贔屓」といいイデオロギーに共感した訳でないとか)
彼は仕事で頻繁に寄席へ通う為「通勤用定期券」で地下鉄銀座線を利用していたが、「これは通勤用に割り引いて貰っているんだから、私用に使うべきでない」として、私用で地下鉄に乗る際には別に通常の乗車券を購入していた。これは有名な話で、当代の談志もこの律儀さには呆れつつも感心し、談志は国会議員当時に「世の中にはこんな人もいる」と国会で彦六の逸話を紹介しているため、議事録にも載っているらしい。
ただこの人の見た林家彦六はまた面白い。
件の通勤定期をパスケースに入れ、首からひもでさげて(最近の会社員にある入門証ににている)着物のすそに入っているのを自動化前の改札でなら駅員に見せるのだが、普通のさっと見せる手法でなく、わざわざ駅員の前につかつかといって恭しく駅員に両手で掲げて見せて、駅員に一礼していた。乗るときも降りるときも通っていたらしい。後年老齢になってもこうしていたらしい。今の自動改札ではどうしたものかである。
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さて、落語で「前座」などの言葉を用いる際は、出番を表す言葉として使われることが多い。下記の仕様は上方の寄席で用いているものである。
ある日の大阪の寄席の番組であるが、

桂三四郎
桂壱之輔 
桂枝曾丸
タグリィー・マロン(マジック) 
桂出丸 
笑福亭呂鶴
 //仲入// 
レツゴー長作(漫談) 
笑福亭伯枝
桂福矢
桂あやめ 

* 前座(ぜんざ):勉強中の若手が出る。名ビラや座布団を返すなどの雑用もこなす。元は、仏教の高僧が説教をする際、出番前に話をする修行僧を「前座(まえざ)」と呼んだことに由来。落語はもともと法話をプレゼン化したものという解釈なので、理由は通る。
この場合は番組表に名は乗らない。
* 二つ目、三つ目(以降、四つ目……と適宜続く)
徐々に雰囲気を盛り上げる。またこのなかに時々色物として曲芸などが入る。
寄席にいくとわかるのだが、徐々に席が埋まっていく感じでこの間の席は、途中から入ってもいい程度の軽い話だし、演者によっては漫談で済ます場合もある。
* 中トリ:仲入り(休憩)直前の演者を指す。前半を締めるためにそこそこ力のある、とりを取れるクラスが、一度はなしを決める。笑福亭呂鶴がこれにあたる。(寄席を掛け持ちしていて、同じ時期にAの寄席で中トリを、他の寄席でトリをやってる場合もある。大概近距離で 上野と浅草 新宿と池袋 梅田となんばなのだが、関西では京都河原町と大阪梅田 という阪急の特急とか使う豪快なのもあった。そこそこの漫才師が、昼間のこの時間、阪急2800系電車の特急のクロスシートでガコガコ寝ていたのを見たことがある。)
(仲入り)お手洗い休憩
* カブリ:「かぶりつき」、「ツカミ」、江戸落語では「くいつき」とも言う。ようするにまだざわざわしている状態であるから、ある意味雰囲気を落ち着かせるため、軽いが目を引く演者を当てる。ここではなんと、漫才のレツゴー長作(レツゴー三匹)をピンの漫談として出演させている。音曲のボヤキ漫談らしい。
* シバリ:江戸の「膝前」とも。色物など。だれ始めた客を縛り付ける、という意味から。ここに紙きりなども入ることも多いがここでは 笑福亭伯枝 という中堅を入れている・
* モタレ:「膝がわり」とも。 桂福矢がそれになる。軽い噺をさらっとする。紙切りがここにはいるとか、奇術・曲芸などのベテランが最後の噺を生かせるがごとくさらっと演じるというのも、ある意味難しい側面がある。
* トリ:関東では「主任」とも。その会の責任者。「売り上げ金をとる」、「興行の真をとる」などの意味合いかきている。実際はトリはプロデュースをする責任があることもあったかららしい。いまは席亭・・・寄席のオーナーのほうが仕事の割合が多くなっているが、要するに話芸としての技術サイドはトリで営業サイドが席亭であろう。他の演者に比べ時間が倍ぐらいになる。
* 追い出し:「バラシ」とも。退場する客がはける(いす席ではまだ誘導だけでいいが、座敷だと下足番が大騒ぎになる)までの間、軽い噺でつなぐ役割で出演する。関西では現在では稀。関東では前座が追い出し太鼓をたたく。なお関東では最近はここに前座がばらし(穴埋め)をしている事例もあるらしい。これは、午前の部と夜の部が通しでその間の時間を利用しているということで、他の例がない。
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関東の事例である。多少演者が多い以外は同じである。
落 語 橘ノ 双葉
ものまね 江戸家まねき猫
落 語    橘ノ 杏奈
落 語   三遊亭遊 吉
コント   コ ン ト D51
落 語 桂 伸治
落 語    三遊亭 右 紋
マジック    北見伸 &スティファニ-
落 語    橘 ノ 圓
---仲入り---
落 語 橘ノ圓満
ギタレレ漫談 ぴろき
落 語   桂 平治
落 語 古今亭 寿 輔
漫 才   W モ ア モ ア
落 語 春風亭 小柳枝
曲 芸   翁 家 喜 楽
落語主任   三遊亭 圓 馬

ところが、この主任(トリ)に適当な人がいない場合、最近は余芸である「大喜利」が入れられていることがある。
勿論漫才を中心とする場合でも近いものはある。この場合は落語と漫才が全部入れ替わる(つまり落語は色物という形になる)そしてとりは新喜劇になるか漫才師による大切りになるのだろう。
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さて、最近であるが、技術セミナーの構成や講師の選択・招聘というプロデュースを行うことが多くなった。講演会を開催するに当たって、主旨に従った講師の選定や、講師の「立ち居地」、そしてどのような形のプレゼンを行うかを企画するのである。一時期企業研修のカリキュラムを組んでいたことがこんなところで役に立つとは。

そこで、今までおこなってきた研修や講演を見てみると、一部の理由に伴う違いはあるが、大体トレースできるところが見える。

(1)はじめに
開催者の挨拶がある。ここで、寄席と違うのはおおむね人が集まっていることであって、途中から説明を追加する必要がない。
(2)講演
本当の概念論を説明するための、話しなれている人による基礎的かつ全体をおおむねわかってる人が行う。
(3)以降、各論に入り問題点提起や、具体例紹介などをいれながら講演。
具体例の次には問題点提起を、OHPの後にはパワーポイントのプレゼンをというように、色変わりを変えて、同じ話が続くというようなあきがこないようにする。時には、声の大きい人を出した後に、トイレ休憩を挟む。短時間で切り替えるようにするのが一つの手法で「お得な感覚」を持たせる。
(4)最後に大きな山を作る。
先に出した講演を総括し、全体的な志向を明確化するためのツールを持ち込む。有名な講師による、他ではなかった新規な中身を出し、「聞けてよかった」という顧客満足を明確にする。

ところが最後の講演自体ができないことってあるのだ。すなわち今後活動するにしての問題点などをどう解決するかというところに困ることがある。そこでこの様に結論を無理に出さずに問題意識の存在を明確にするという場合は司会役を選んでそこから討議をしてもらう(ただし台本はある)パネルディスカッションをとる。
パネルディスカッション(panel discussion)は、一つのテーマを掲げ、様々な意見・立場の論者を3人以上集め、公開で討議を行う。各人が順番にそれぞれの意見を述べ、その後に論者同士の応酬が行われ、場合によっては会場からの質問にも応じる、といった形式が一般的である。ただしこれが全体意見の総括としての役割になるともいえる。論者をパネリスト(パネラー)というが、討論をまとめたり、適切に話題提供を行う司会役の役割が肝心である。
ただし、これを良く見ると、大喜利に近いものがある。
大喜利は興行(歌舞伎など)において、その日の最後に出る演目という意味もあるが、最近は寄席でトリを落語(まれに講談)が取らない場合、しばしばその代りに行われる即興芸の要素を持つ演芸。複数人でおこなわれ、お題をうけて小咄やなぞ掛けなどを行うことが多く、司会者を伴うこともある。元来は余興でアンコールに相当している。このところ多くの番組やお笑いイベントなどで、お笑い芸人やタレント、落語家達が用意された様々なお題に対して、面白い答えを出し合い、互いのお笑いセンスを競う手法である。
また、吉本新喜劇は花月で上演される漫才や落語、諸芸の中(今は最後が多い)に組み入れられ、コントの延長的な軽演劇である(一般的な新喜劇は独立した演劇であるので異なる)。互いに芸やコントの能力やアドリブを競い合う側面があるため、シチュレーションコメディーと大喜利の合成ともとっても良かろう。これもトリで行われる。
というわけで、大概はここで終わりであるが、一度だけ最後にインフォマーシャル(コマーシャルメッセージの種類。欧米でテレビショッピングのジャンルとして登場した概念。日本ではバラエティ番組・情報番組などの手法で使われている。)をする必要が有り、これを本筋と扱うには問題があるため、最後の「バラシ」として出たこともある。
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寄席に通ってる私に、時間の無駄という意見も多かったが、プレゼン技法の中で寄席の芸人がする技法に加えたり、とったりしていくことで、実はプレゼンという行為のガイドラインは結構使えるんだと最近気がついた。
パネルディスカッションと、大喜利と、吉本新喜劇。こんな変な組み合わせの共通点に気がついたのか。あーあ。

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