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「僕は被爆2世」

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福山雅治さん:「僕は長崎被爆2世」 ラジオ番組で語る 毎日新聞 2009年8月10日 2時30分
 長崎市出身の歌手で俳優の福山雅治さん(40)が「長崎原爆の日」の9日、ラジオ番組で、両親が長崎原爆で被爆している被爆2世であることに触れ、平和について語った。
 福山さんはこの日午後、エフエム東京をキー局に全国に放送された番組「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」の冒頭「1945年8月9日に、地球上で二つしか投下されたことのない原爆の二つ目が投下された日でもあります」と語り始めた。
 続いて「僕の父親はもろに被爆しましたからね。母親も、まあ厳密に言うと被爆してることになるんですよね。だから僕は被爆2世ということになるんです」と話した。
 最後に「いつの世も争いごとというものはなくならず存在するのですが、なくなることこそが人間のみが持ち得る能力の到達点なのではないかと思います。『争わない』ところにいつか行けるといい」と結んだ。
 福山さんは9日の福岡市でのコンサートでも長崎原爆の日に触れ、核廃絶と平和の堅持を訴えた。コンサートに来た福岡県中間市の女性会社員は「60年もたつと消え去っていく事実を、有名人が改めて先頭に立ち、発言するのは、すごく意味があると思った。福山さんの人間性が出ていると思った」と話していた。
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なるほどねえ。長崎原爆の日ですからねえ。
福山さんの場合お父さんは彼が上京する際にはなくなっていたようなので、もしかしたらお父さんは後遺症ないしは体調の悪化を引き起こした経緯があり苦労された方なのかもしれません。
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私の父も、おじも広島で被爆しているので、納得はいきます。(ただし、父は当日呉に動員中で翌日早朝貨車で海田市駅まで送られて歩き、丸腰で学校の整理収容をしたと言う「入市被爆者・死体の処理及び救護にあたった」経緯のため、今も元気)この時期、父親は勤労奉仕先の軍都 呉で機銃掃射を受けたとかも直前にあって、この地域は騒然としており事情も複雑なため、旧制中学校の初年度の同級生は半分以上原爆による物故者なのだそうです。

後年の話でありますが、当時高校生の弟がいわゆる「エロ本」を自室においていたら、事こういうものにうるさい父親に見つかってしまうことがありました。彼は日ごろの言動から、カミナリ・・・を覚悟したのですが、父からは静かに「俺がこの年代のときは、こんな本どころか、まともな本自体もなく、ラジオさえも焼かれてなかったんだが」との言葉だけ残して立ち去ってしまうというのがありましたな。
また高校のときの恩師(故人)は、広島文理科大学卒業後広島女子高等師範学校に当時奉職した(なお広島女子高等師範学校は1945年4月開校なんだそうで、この様子だと1学年しかなかったようだ)が、たまたま引率していた生徒とともに郊外に勤労奉仕にでていたから当人たち原爆には家財以外の被害は大丈夫だったものの、学校で兵器類の組み立てをしていた生徒・教職員は爆心地近傍の校舎倒壊もあり全滅したんだと言うのも盛夏にはよく聞かされた。

平和への想いを語りつく行為で、「戦争は遠い昔のことではない」と気付いたという発言もあるそうだ。また、被爆2世、被爆3世であることをずっと言えなかった人もいるだろう。ただし私もそうだったのだが、この発言が大きく報じられたことに違和感を感じたのもある。被爆した方への差別があるという認識はこの広島都市圏には今はないし、少なくとも広島市近傍ではそのような選別は無意味であると考える。今、もしあればそれはただひたすらに悲しい。ただし、被爆が元で健康を害された方が結果的に被爆による健康被害を元に社会から疎んじられたと言うことは正直あるのだろう。被爆者への偏見や、同じ日本人の中でも感じ方に温度差があるなら残念である。
核爆弾による被曝では、直接的な外傷のみならず、深刻な外傷が見られなくても脱毛、出血、下痢や嘔吐、慢性白血病、甲状腺がんなど発症する割合が高くなるといわれ、これを原爆症という。被爆者の子は「被爆2世」、その孫は「被爆3世」と呼ばれるが、遺伝的健康障害が現れやすいと言われているもののでも科学的な立証はされていないし、追跡調査も実施中じょうたいらしい。そもそも、これ以前に症例があったとは思えず、原爆症によるメカニズムがわからない時代は、相当これらの誤解などは在ったと思う。
黒い雨という小説があり、まさにこの経緯を示していると考える(ただしこの記載内容は、元々被爆者の記載を基にしているという前提はある。盗作とまで言う人もいるが、事実はともかくかなりの部分の表現が変わっているということと、原著者の承諾を得ている・・・ただし奥つけに書かなかった・・・・と聞く)。舞台となった福山市郊外(筆者 井伏鱒二の出身地でもあり、私の父の出身地でも有る)と広島市では当時は時間的にも、都市圏としても違うものでもあったため、情報の差異は否定できないようである。

1989年に公開された日本映画『黒い雨』(監督:今村昌平)には、其の白黒画像の中に木炭バスが出てくる。舞台となった福山市郊外には福山駅か福塩線万能倉駅から中国バス(後者は前身のニコニコバス時代に乗ったことがあるんだが、すでに路線がないようだ。前者もほんとに閑散路線になってしまった)になる。このため出演者の帰郷のシーンにこのバスの絵が出てくる。この映画ではなぜか(広島県でなく)岡山県内のバス会社がたくさん映画撮影に協力しているのがエンドロールに出てくるが、同時に神奈川中央交通の名前も出てくる。この撮影中の木炭バスは神奈川中央交通が機器を再生して作った「三太号」でいまは保管されているのだが、以前は時々展示会をやっておりわたしも見に行った記憶がある。なぜか縁があったように思えてならない。
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8月15日。広島近傍は暑くせみのうるさい日だったそうな。この時期思わず思いをはせるのも悪くなかろう。

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