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メンタルブロック(4/4)

(承前)
私の周りには概してライフサイクルマネージメントをする人が多いようだ。だから「イザというときのために」生きているというのは私は正鵠を欠くと考えている。心理一つの差ではあるが、イタリア人は「人生は自分が楽しむためにある」と考えるが、日本人の多くは、「人生は他人に迷惑をかけないためにある」という志向が強いのではないか。
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65歳から年金を受け取り、死ぬまでの15~20年、もはや会社のこととか上司の機嫌などを気にしないとなったところで、今度は社会の中で存在を慎ましやかにでも保つためにカネを使うということを大前氏に私は送る。
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私の関わる団体が偏っているといえばそれまでだが、定年後(といっても制度的な話ではなく、心構えであろう)に、社会の中で自分の存在を明確にするために働くという人がえらく多くなっている。縁側で猫をなでるのも悪くないが、少しでも社会に還元することで、きわめて少ない対価をもらうことで存在を確認する「アクティブシニアが集まって形成されるコミュニティ」ってのがきわめて多いともいえないか。地域によっては規模を縮小した形で農業にいそしむ以前2種兼業をしていた農家もあろう。都市部ではNPO・NGOとして社会事業を収支を多く期待せず活躍する人も居るし、そのような団体に私もアドバイザーとして関わっている。(確かに定年前の人がこの様な活動に関わりにくいというのも海外と異なるかもしれぬ)。いや趣味の世界でも例外ではない、刑務所に限らず福祉施設の慰問も、このような「アクティブシニアの同好会が還元している」のが多く関わり、ここでも社会性というものが強くモチベーションの中に存在する。(もちろん地域社会の中で暮らす定年後のほうが、企業に居るときよりも心理的な問題ではきついという意見もちょくちょく聞くのだが、そこは個人の感性の違いなので定量比較はむずかしかろうし、これは話題にしないでおこう。)

ここで市場経済というところでの若年者への還元が確かに少ないといえば、これは事実であろう。(もっとも緑のおばさんとか、保護司というような、金銭対価が直接統計に出ない形の還元が多く存在していることは想定されるべきである)
そもそも、自分の人生というものは欧州とアジアで異なるのではないか。自分の人生は自分の力で作るしかない欧米的思考と、自分の人生は社会の中での運用によるアジア的思考とでは大違いである。(そう考えると自分の金銭は自分の力で作るしかない農耕アジア的思考と、自分の金銭は社会の中での運用による一部の狩猟民族思考という言葉もなりたつ。鏡面的だな。)
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 ここに日本の最大のビジネスチャンスが眠っている。だが日本人は65歳以降のライフプランを持っていない。
 ビジネスを仕掛ける側は、彼らのライフプランを創造し、強固なメンタルブロックを破らなければならない。「イザというときのために」というフリーズした心理を、「おれの人生はよかった」と言える心理状態に転換させることが、最大の課題である。
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これは日本人は65歳以降のライフプランをがちがちに固めていると思っている。そこに摩り替えたともいえるが、どうも、まえの引用はこの後のことを除去して引用したので、かなり曲がって読めるのかもしれないですな。
ただしこの後の論旨は面白い。
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「第一印象」は当てにならない!正反対の人間こそ人生の師 
メンタルブロックの打破は、ビジネスを仕掛ける側が仕事で人間関係を築くうえでも重要だ。最も重要なのは、「とにかく相手に興味を持つ」ということだ。その際に大切なのは、対人のメンタルブロックをはずすことである。
 私はビジネススクールの学生に対し、必ず「会社のなかでいちばん苦手だと思う人間と付き合ってみろ」と指導している。自分に与えられたチャレンジとして、向こう1ヵ月でいいから、何度か昼飯でも食べて話をしろという。
なぜそんないやな思いをして苦手な人間と付き合わなきゃならないのかと思うだろう。それは、人生で最も役に立つのは自分と違うタイプの人間だからだ。
 プロジェクトチームは行動派と慎重派、理想主義者と実務家など、異なるタイプの人間が混在したチームの生産性が高いものだ。複数でノーベル賞を取ったようなケースでは、発想する人間と証明する人間など、必ずといっていいほど性格が異なる組み合わせだ。
 似た性格や考えを持った仲間が集まっていれば楽だろう。だがそれは群れているだけで、じつは生産性が低い。類は友を呼ぶというが、少なくともビジネスや研究の世界で成功を目指すなら、友を呼んではいけない。
 自分と最も考え方が違う、生い立ちも違う、発想が違う、自分に対して反対の意見をいろいろ言ってくれる人間こそが、自分の人生にとって最もプラスになるのである。
 そうした人間と付き合えることこそ自分の強さであり人間の器だと、考え方を変えるといい。今日この瞬間に電卓などに付いている「オールクリア」ボタンを押し、苦手な人間(部下、同期、上司)と付き合ってみよう。そうすると、案外相手の態度も変わり、生涯でいちばんいい友だちになったりするものだ。
 苦手な人間、抜き差しならない関係というのは、他人がつくり出したものであることが多い。私がマッキンゼーにいたとき、どうも嫌いな人間がいた。ある同僚が入社以来よく私に彼の悪口を言い、また彼が私の悪口を言っていると言うのだ。次第に私も彼をいやなやつだと思ってしまっていた。
人は何かと先入観で判断しがち 「初対面の誤解」は人生を狭める
 ある日マッキンゼーのニューヨークの筆頭副社長が来て、私を東京支社長に任命すると告げた。その際、「ところで君は彼とうまくいっていないといううわさがあるが、いらなければわれわれが預かって連れて行く。必要ならば彼と話し合いをしろ」と言われた。
 そのとき初めて気づいたが、私は彼とほとんど話をしたことがなかった。私は彼と話をし、「夫婦同士でコンサートに行こう」と誘った。その帰りに食事をしながら歓談して、「こういう会を定期的にやっていこう」と決めた。それを何回か実行すると、もう定期的にやる必要がないくらい仲よくなってしまったのである。彼とは一生の友だちである。
 人間関係というのは複雑だ。第三者が2人の仲を裂くこともあるし、初対面の誤解から苦手意識を持ってしまうことがある。でもそれは人生を狭くするだけで、絶対に損である。
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ここになると、実は私も同じことを思う。ただし、強固なメンタルブロックがその地域のコンセンサスで絶対不可侵と思われてるかの判断をせずに、壊せ壊せと云うならば、それは単なるキルドーザーでしかない。後に砂塵が残るだけ・・・炭鉱の粉塵爆発そのものである。人間関係でオールクリアボタンを押し、苦手な人間と付き合ってみた結果、お互いにいい仕事ができたことは多い。もちろん相手がオールクリアボタンを押すことのできる人かというのも大切なんだが
そこで、社会の中で経済活動は感性依存がすごく大きいということを思う。営業さんでは、初対面の誤解から苦手意識を持ってしまうことが直接対価に結びつくことがあるので服装にきを使う人も多い。でも私自身はかなり指標が偏っているが服装を気にする行為を評価するが、服装にすべてを任せる人は、一度疑って掛かることが多い。詐欺師まがいの営業に限ってそこに気を使うというのも痛いほど経験しているのである。もちろんそれが杞憂だった場合が圧倒的に多い。
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第一印象を重視する人がいるが、これは大きな間違いだと私は思う。
 ウォートン・スクール(米国ペンシルベニア大学のビジネススクール)のジェリー・ウィンド教授は、著書『インポッシブルシンキング』のなかで、「Seeing is believing」、日本語で「見ることこそ信じることだ(百聞は一見に如かず)」という考え方は間違いだと論じている。
 なぜなら「人間がものを見るとき、先入観のとおりに見えるものだからだ」というのだ。私は当たっていると思う。
 たとえば、「イスラム教徒はテロリストかもしれない」という先入観を持っている人がアラブ人を見たら、そう見えてしまう。これは第一印象が先入観に左右されてしまうからだ。ビジネスでは、大きな機会損失をすることになる。
自分で考え、動き、発見すべき メンタルブロックを打ち破れ!
 もちろん自分の目で見ることは大切だ。だが一度見て常に正しい判断ができるほど人間は有能ではない。
 「心の中にあるフィルターを取り除いて、違う角度から見る、いろいろな光の中で見る」ということをしないとブレークスルーはできない。メンタルブロック状態からはなにも新しいものは生まれないのだ。
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いろいろな光の中で見ることをしないとブレークスルーはできない。これはそう思う。もちろん、これが日本人的志向だが、ブレークスルーが他人の利害相反となる場合にはどうするか。「イスラム教徒はテロリストかもしれない」という先入観を持っている人がアラブ人を見たら、ビジネスでは、大きな機会損失をすることになるが、一方サステイナブル(持続可能)な経営を理念とすることが前提の社会(雇用安定が企業が倒産状態になっても前提であるという場合など。実は日本社会では限定的であるがこの形が極めて強い場合がある)では、リスクマネージメントから見てビジネスリスクに見る場合も十分ある。もちろん私は後者の意見には賛同しないが、これで新規企画がまったく進まないことは今でも頻繁に経験する。そうだよね。こういう評価は結果オーライしかないもんね。
この前ある自動車技術者から聞いた話である。
某国の高速道路で車を見ていると、確かに日本の某自動車メーカーの模倣品と見られる車を種々、しかも沢山見かけたという。確かにそういえるものの多いが、あまりこれを意識しすぎると、現地企業生産のセダンが全部模倣品に見えてしまうらしい。実は設計上この構造以外には数種類ぐらいしか選択できない構造というものがあって、それを模倣というなら、そもそもセダンならセダン、ピックアップトラックならピックアップトラックという「ビジネスモデル」自体が全部模倣となってしまうというのだ。これが、知的所有権交渉の手法に対する既存手法の行き詰まりに対し、ブレークスルーに彼にはなったらしい。
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 日本人は旅行をしていても、メンタルブロックをしている。先入観を取り払い、自分の目で見ようとする人が少ない。
 たとえば日本人がオーストラリアに行くと、多くの人がオペラハウスの前かエアーズロックの前で写真を撮って、パンフレットに載っているレストランで食事をして、オーストラリアはよかったと帰ってくる。
 私はそんな旅行は行く価値もないと思う。あるとわかっている場所を見て写真を撮って満足する。それはいわば確認旅行である。自分の旅行を自分なりに設計して探求していけば、なにか人生に影響をもたらすような新しい発見が必ずあるはずだ。
 たとえば、私は旅行先でタクシーに乗り、「このまま東へ1時間走ってくれ」などと言うことがある。「目的は?」と聞かれたら、「おれはお前の国が見たいんだ」と言う。すると運転手は喜んで、自分が知っているすばらしい場所を教えてくれる。
 なにかおもしろそうなにぎわいがあれば、「止まってくれ」と言って入っていく。するとみんなウェルカムと言って招待してくれたりする。自分で考え、自分で動き、自分で発見する。どこの店がいちばんうまいか何人かに聞き、その日入る店を決める。先入観もメンタルブロックも、すべて捨てる。
 そうした旅行は出会い、発見があり、なにより楽しい。この考え方は、ビジネスにも人生にも通じる。そういう生き方をすれば、すべてのチャプター(章)が発見で満ち溢れるはずである。
(聞き手:『週刊ダイヤモンド』副編集長 前原利行)
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今でこそできなくなったが、こういう寝袋一つの旅行は楽しい。
そうした旅行は出会い、発見があり、なにより楽しいのは私も思うのであるが、そもそも発見をしたくてうずうずしている人が多くあれば、相克があるわけだ。かなりの人が楽しいところを見付けて、それが旅行書籍にのって公知になった段階で、すでに出会い、発見がなくなっているということを大前氏は言い出す可能性をゼロにはできない。
先入観がない世界はアグレッシブである。楽しい。しかし、先入観があるからこそ構築できる世界をどの国の人も作ってきたし、それを何もなしで納得させるということは、場合によっては社会のなかでのビジネス・社会の中での人生という「虚像」を崩すため、ゼロと査定されなにも残らないということがある。メンタルブロックが自分にない状況でも、それを受け入れるべき第三者が崩せないメンタルブロックの骨子に干渉した場合、孤独な創業者かつ失敗への道のりになるという覚悟が前提であろう。
その瑕疵を知って知的創造者は行動するのが宿命である。その大前提条件が、大前氏の言葉に欠如している。いい事を言っているからこそ、そこをまったく手綱を引かない論旨を残念に感じる。

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