« 出家とその弟子(1/2) | トップページ | 配置販売業 »

出家とその弟子(2/2)

まあ、弟子をたくさん作ったという師匠とて、老兵が消え去ることは当然ある。
----------------------引用
ひやあつの祖、宮武うどん閉店/「体力の限界」2009/06/07 10:00   四国新聞社
 讃岐うどんブームを代表する人気店「宮武うどん店」(香川県琴平町上櫛梨)が閉店した。店主の宮武一郎さん(66)が、年齢を重ね、体力的に限界を感じたことから決断したという。先代が開いて半世紀以上、地元住民やうどんファンに愛され続けた老舗は、静かにのれんを下ろした。
 同店は、父の士郎さん(故人)が1953年に創業。同店の代名詞にもなっている「あつあつ」「ひやあつ」といった注文の言葉は、同店を訪れた客が使ったのが発祥という。
 宮武さんは、本広克行監督の映画「UDON」で、製麺所を営む主人公の父のモデルになったことでも知られる。
 最後の営業となった6日は、「家族と同じように大切な存在」の常連客に閉店を告げるのが一番つらかったという宮武さん。「突然の幕引きになったが、自分の体力を考えると仕方がない。長い間、多くの人にお世話になり感謝している」と目を潤ませた。
 同店と親類関係や師弟関係にある“宮武ファミリー”の店は香川県内外に健在で、「お客さんに讃岐うどんをもっと愛してもらえるよう、弟子には日々悩みながら勉強し、俺を超えてほしい」と期待を込めた。
 「麺通団」団長の田尾和俊四国学院大教授は「うどん巡りブームの第1世代に当たる人気の大将。ただひと言、お疲れさまでしたと言いたい。幸せな隠居生活を」と宮武さんの労をねぎらい、「店がなくなるのは残念だが、“宮武ファミリー”が味をつないでくれるはず」と話していた。
----------------------終了
ブログランキング・にほんブログ村へ

上記した田尾氏は「恐るべきさぬきうどん」以降のうどんブームを作った人である。功績はさぬきうどんの魅力を多くの人に伝えただけでなく、名店と呼ばれる多くの店の後継者問題を救ったことも大きい。そして、この閉店の結果、近在の著名なうどん屋さんは6月は込んでいたらしい。おそらく“宮武難民”だろう。(そして、宮武うどん店はバスなどもない交通の便のよくないところにあった。琴平駅・善通寺駅・榎井駅からのタクシー代の方がうどん代総計より高いというぐらいだから、自動車でやってきたのが他の店に動いたのだろうな)
うどんは、すべて機械でつくることができるし、そうでなくても切るだけでも自動機で作るのがおおいのは事実。しかし、この大将は、手で粉・塩・水を混ぜ、生地を手でコネ、自らの包丁で切らないと自分のうどんができないということを信じていたようである。確かにうどんの熟成や含水量は、気候によっても変わるから、これは「品質を保つ」という意味では納得がいくが、この価格でこの作業はかなり大変でもある。麺はやや太目で不揃い(手打ち)で、モチッとした食感である。ねじれ縮れでエッジの立ったと表現される麺で、どこか懐かしい田舎のうどんを代表するうどん店であった。うどんが運ばれて来たら、自分で摩り下ろした生姜をうどんに乗せて食する。
「宮武ファミリー」と呼ばれる、「ひやひや(冷たい麺に冷たい出汁)」「あつあつ(熱い麺に熱い出汁)」「ひやあつ(冷たい麺に熱い出汁)」の呼び方をするのが、宮武系と言われるうどん店の傾向である。結果直接の弟子のほかに親族のうどんやさんに技術を伝承し、また、お弟子さんの他、「宮武をリスペクトする」若いうどん屋店主を生み出し、讃岐うどんの歴史と未来に大きな足跡をのこした。宮武と仲多度郡まんのう町の「山内うどん」と綾歌郡綾川町の「松岡」は親戚関係である。また、三豊市の「松井うどん」は直系の弟子、高松市の「あたりや」は「山内うどん」の弟子にあたり、すべて有名店である。
私も訪問は1回だけである。うどん自体の味もよかった。それはそうなのだが、お店の入り口付近に並べられた色々なてんぷら(段ボール箱に新聞紙をしきりにして広げておいてある)がこれまた旨かった。衣の多いことをもってよしとする(これは味を染ませるために普通のてんぷらとことなる)他地域のうどん用と似ていながら具が充実していることで少し異なる。とにかく具の大きい豪快なてんぷらが「宮武系」の店に必ず置かれている。これは「藤原屋」という琴平町のお店が作っているらしい。ゲソ天はやはり旨い。しっとり衣の天ぷらは冷めても美味しいということである。しかも(ごまかすわけではないが)天ぷらの数は自己申告である。
うどんの味と雰囲気を示すのに『「宮武」に比べて』、というところがベースロードになっているぐらいであった。
---------------------------
ただし、大将の評判を見ると職人肌で黙々と仕事をする人のようで、さらに技術を伝承させていたようである。映画「UDON」のモデルにもなったこつこつと頑固に働く、無口な職人姿であるが、そのような感じがした。ただし大将は前々から「もうやめるんや」という発言は常連さんにしていたという。完ぺき主義なところがあったのかもしれない。大将の愛すべき人柄というのはそうとうあちこちに知られていることらしい。弟子筋や曾孫弟子が活躍していること、さらには「心の師匠」とされた方が多いといえそうである。

|

« 出家とその弟子(1/2) | トップページ | 配置販売業 »

コメント

「出家とその弟子」というタイトルを見て、倉田百三の本を高校生のときに手にしたことを思い出しました。読みませんでしたがw
私も本場の讃岐うどんを高松で食べたことがありますが、案内してくれた地元の方に連れて行かれたところが街中の高級店で、イメージしていたうどん屋と違ってちょっと残念でした。

投稿: kunihiko_ouchi | 2009年8月 1日 (土曜日) 10時19分

>高級店で、イメージしていたうどん屋と違ってちょっと残念
高松市内でも結構あるんですよ。DEEPな店。いきなりそういうお店に行くと面くらう(≠麺食らう)と言う人も多いですからね。ちなみに、上述の高松市の「あたりや」は郊外のパチンコ屋さんの駐車場に店を構えています。
連れて行く側にとっては「玉がなくなるまで営業」というのはつらいかもしれません。

投稿: デハボ1000 | 2009年8月 1日 (土曜日) 11時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/45547330

この記事へのトラックバック一覧です: 出家とその弟子(2/2):

« 出家とその弟子(1/2) | トップページ | 配置販売業 »