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「会社こそすべて」の企業人の逝去

70代のお知り合いが逝去された。

密葬が行なわれたあとでわれわれに連絡が来た。その1日のち新聞社のサイトに載った。「葬儀は近親者で済ませ」というあれである。
2年前から種々の仕事でお付き合いさせていただいたという関係であるから、最末期のお付き合いであるが、熱意と意志の人であると私はおもっている。経済界では要職をされた方で、最後まで仕事に対する意欲を失わない方であった。ネゴシエーションで非常に優れた人で其の経験を核に企業・財界でリーダーシップを発揮し、なくなるまでも某社の会長をされていた。後日お別れの会を実施することになっている。

合掌

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「大企業が持つ技術シーズや経営マインドを持った優秀な人材を,社内に埋もれたままにせず開放していくことは,社会的なニーズである」ということを晩年提唱していた彼は、自社の技術を他社に対してオープンにするという流れが足らないのが日本だと、常々言っていた。大企業の研究開発成果の約80%が活用されずに,埋もれてしまっているというが、この中には大企業という市場管理の枠の中では生かせないけれども、ある特定の要素技術として活用できる先を提供すれば、投資した原資を完全回収はできないでもゼロスタートにはならない。これは、市場規模が小さいため,事業化を断念したという場合だと、研究成果や研究に携わった研究者は未活用資産になってしまうが、開発した大企業にとっては市場が小さくてもベンチャー企業・中小企業にとっては十分に魅力的な市場ということなのだ。
もう1つは外部の技術を社内に取り入れるという流れである。これは同じことをベンチャー企業・中小企業絡みでおこなった形になる。

さて、日本はベンチャー企業をサポートする環境が充実しておらず,起業家の意識に差がある。そのためか、日本ではベンチャー企業が“大化け”しにくい。欧米では、大企業側に積極的にベンチャー企業の製品を使うといった先取りの意識が高い。また,積極的にベンチャー企業に対して技術的アドバイスをする協力的な精神風土がある。
従来は、日本ではこの「サポートをする必要がない企業こそ自分で考え力のある企業」ということで、珍重されてきたわけだったのだが、1995年以降になって急に情勢が変わってきた。上場するにせよ成功するにせよ、そのような人を財界は、後に続けという形で推奨してきたのだが、これがどうも日本社会のコンセンサスを基準にすることでは成り立たない企業しか出来上がらないということに、これらの経営者との交流と、その後の社会的叱責の中で気がついたのだそうな。株式公開(IPO)をゴールとするような投資ビジネスはまああってもいいのだが、IPO後に崩壊して企業価値を落としていく企業、そうでないとM&Aで企業価値は上がるが、ようするに一極集中でしかなく価値創造になりたたない企業、そしてたまに価値の創造に努力していても投資した企業が海外の企業ばかりで収益が海外に出て行くばかり(この時期から日本の国内では資本が企業に再投資する余力がなくなり、リスク管理上からも行ないにくくなった)とい言うものしか出てこなくなっていたのだそうな。
産業として育成していくという土壌を日本の経済界に育て、起業家もこうした気概を持って,失敗を恐れずに立ち向かっていく。こうした環境や意識の差をどう進めようかと考えていた人である。但しかれの基本スキルは「企業人に立脚した社会人」である
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さて、新聞におけるリリースは、呼吸不全のため死去となっていた。 ただし其の前に、幾度となく癌の切開手術をされていたことのほうが大きいとおもっている。入院をするごとに病室から電話をかけてきては、微に入り細にいり指摘をし、では頑迷かというと豪傑な姿を見せていた。・・・・・・・・・・・・とおもっていたのだが、10数年お付き合いした人によると、40歳ごろ(彼が歴史に残る仕事をした其のときである)から健康オタクと言うところは彼にはあってねえ・・・なんてことを言う。最近は奥様と一緒に自然食にこっていたという話は聞いていたからまんざらわからなくもないが、ただいわゆる宗教的・疑似科学的なものは私の知っている間では使うような感じはなかった。
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彼に最期に会ったのは、今年あるセミナーを開催したときに基調講演の前の挨拶をお願いした際である。奥さんと一緒にタクシーで会場に現れた彼は、杖を突きながらもしゃんとして挨拶に臨んだ人だが、その後、直接病院に入院してしまったのである。どうやたこのセミナーを終えるのをまって入院したらしい。
所が、逝去の直前、彼は医師と看護士を同行させ、某社の株主総会に社外取締役として参加したというのを聞いて私は「えー、最後まで仕事は彼のためにあったのか」と動揺した。(もっとも迎える人もこれはこれで神経の使い方は大変であろう)逆にかつて仕事によって体を壊したこともあったらしい(其の過度のストレスで頭は綺麗な白髪になったらしい。私の知っている時期は綺麗な白髪であった)がそれでも彼にとっては、仕事が人生の伴侶だったのかもしれないし、仕事のあること、それが幸せだと感じる価値観の人だったのだろう。古き企業人ということを最後まで貫いた、ある意味しぶとい人であったのだ。

彼はこの2年ほどの間に本を2冊書いている。あるとき、お茶を一緒に飲んでいて著書の話になった。、
「この本を、電話をくれた人に上げざるをえなくなったので、お願いに応じて何人か送ったのだが、挨拶さえも来ないのが多数。特に役所関係は悪いなあ。こまったもんだ」(本自体は平積みで売っていたぐらい、売れた本である)
「そーですか。レスポンスわかりませんね」
「だから読みたいなら、悪いがお金を出して買ってくれ。オレはタダではもうあげないぞ。但しそれを持ってきたらちゃんとサインをしよう。ははは」
といっていた彼の著書が、私の机上に、本屋の袋ははずしてある。もちろん一通り読んだが、それ以降すれ違いばかりで会えなかったのだ。2冊の本はサインをもらうこともできずに今日も残っている。

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