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メンタルブロック(3/4)

(承前)
経済評論家の大前研一氏はダイヤモンド・オンラインの2009年1月27日付コラムで、日本人は必要以上に「イザというときのため」の意識が強すぎると指摘。先行き不安というのは間違いで、日本はいくらでも繁栄できる要素があり、こうしたメンタルブロック状態を打破することが大切と説く。
けどどういう意味で彼が言っているのかは検証の余地がある。彼の感性は海外を向いているからこそ読むに値すると考える。
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大前研一氏が大不況の経済界に特別提言 「メンタルブロックを破って商機を掴め!」 大前研一  ダイヤモンド・オンライン
大不況のパニックが世界を駆け巡っている。「そこには人の心理が大きく作用し、まさに心理戦争の様相を呈している」と指摘するのは、ビジネス・ブレークスルー大学院大学学長の大前研一氏だ。大前氏は、「メンタルブロック」を打ち破るビジネス心理学の重要性を力説する。
 日本はバブル崩壊以後、失われた15年と言われる景気低迷を続けたが、それも2002年を底に回復。景気拡大期間は1966~70年の「いざなぎ景気」を超えて、最長になったという。
 だが、国民にその実感がまったくない。景気回復と言いながら所得は減り続けているのだから、それも当然だ。日本経済は先行き不安に怯えている。だがそれは間違いだ。日本はいくらでも繁栄できる要素を持っている。その引き金となるのは「心理」である。(聞き手:『週刊ダイヤモンド』副編集長 前原利行)
個人金融資産を流動させれば千載一遇のビジネスチャンスに!
 現在、日本の個人金融資産の総額は約1500兆円ある。これはGDPの約3倍。これほどの個人金融資産を持つ国は日本だけだ。仮に1500兆円の10%、150兆円が市場に染み出せば、日本の経済状況は激変する。 これは国と地方自治体すべて合わせた税収の1.5倍。どれほど巨大な財政出動よりも絶大な効果があることがわかるだろう。
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 じつは個人金融資産はバブル崩壊以前は700兆円程度だった。これが“失われた15年”のあいだも増え続け、1500兆円に達した。これは大変不思議なことである。不況のときに個人金融資産が2倍になる国などありえない。

 つまり日本は「真に不況ではなかった」のだ。新聞もテレビも皆口を揃えて不況だというので、そう思い込んでフリーズしてしまった。心理的な思い込みから、メンタルブロック状態に陥った。そこで国民は財布の紐を固く締め、資産を貯め込んだ。
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基本的に経済というものから派生した活動(当然技術もその一端があるし、工学もそう。理学になるとやや少ないか)はどこかしら、感情の触れ、心理的な蓄積から大きく振幅が生じる。理論的判断という志向を持たないのは前提として話にならないが、解決できる中身はことなる。
よく言う寓話で思うのがこれ。
二人の靴セールスマンが、未開地に市場調査に行った。二人の調査内容は同じだが、出した結論は別だった。
 A「まったく見込みなし。当地では、靴をはく習慣がない」
 B「大いに見込みあり。当地では、まだ誰も靴をはいていない」
「プラス思考で物事を考える」 Bの結論の方が「正解」という説明を聞くことが多いが、「なぜ靴をはいていないのか」の理由の調査がないと、Bの結論は不十分である。宗教的・習慣的なメンタルブロックがある(例えば5代前の酋長が欧米の風習を水虫の根源になるという理由で非難した・・・)となると、当地では、靴をはく習慣が忌避されていることになり、Aが「正解」になる。ところがこの2つは論理的という見方ではどっちもありうるのである。
つまるところ、プラス思考で物事を考えるというごたくは、心情的なメンタルの慣性にからんだ指針であり、きわめてピーク&ピークの触れが出る前提を覚悟する必要があろう。
その意味では、心理的に不況にしてしまったという側面を指摘している大前氏の意見は理解できる。ただ国の富というのがどこに由来するのか、固定資産を多く持つのをとめる国とするのか、流動資産を多く持つのをとめる国とするのか、(はたまた人的資産を多く持つのをとめる国とするのか・・もありですな)で既に変わる。
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 世界では高齢になると金融資産は減少していくのが普通。だが日本の高齢者の資産は増えている。年金で足りないぶんを貯金を取り崩して使うのが普通だが、日本人は年金の3割を貯金に回す。そして平均3500万円もの金融資産を残して死んでいく。死ぬ瞬間がいちばんカネ持ちなのである。
 残された資産が相続されるにしても、子どももすでに五十代、六十代で、そのカネをまた墓場に持っていくのだ。
 彼らに「なぜ貯めるんですか」と聞くと「イザというときのため」と言う。「イザというときとは?」と聞くと、「そりゃ、イザってときだよ」と同じ答えが帰ってくる。考えていないのである。
 一方、イタリア人の死ぬ瞬間の貯金はゼロに近い。彼らはおカネを使い切るまで遊んで、「おれの人生はよかった」と言い残して死にたいのだ。貯金を使い切っても生きていたら、そのときは年金で暮らせばよいのである。
 この違いは心理一つ。イタリア人は「人生は楽しむためにある」と考えるが、日本人の多くは、「イザというときのために」生きている。
 米国人はリタイアメント生活を楽しみにして、40歳ぐらいから準備を始める。船の運転技術を熟達させるなど、引退後の趣味の腕を磨いておく。またフロリダなどリタイア後に住みたい温暖な地にローンで家を買い、他人に貸して家賃収入でローンを返す。そうして引退するまでに払い終える。
 65歳で定年になると、住んでいた家を売り、キャッシュに換えて南の家に移住。彼らは人生を楽しみ、人生で最もおカネを使う。
 米国南部にはアクティブシニアが集まって暮らすコミュニティがいくつもあり、何十、何百とある同好会のなかから複数を掛け持ちして忙しく遊び回っている。そうして彼らが現役時代に貯めたカネが市場に流れ、市場経済を通じて若い世代へ受け渡されるのだ。
 日本経済が活性化するには、心理の大転換が行なわれなければならない。65歳から年金を受け取り、死ぬまでの15~20年、もはや会社のこととか上司の機嫌などを気にしないで、自分の人生を楽しむために大いにカネを使うべきだ。
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あーあ。
私の周りには概してライフサイクルマネージメントをする人が多いのかもしれないが、「なぜ貯めるんですか」と聞くと「イザというときのため」と言う。ここまでは同じなのだがその後、少なくとも働くことができない場合の収支計算を保険の配当計算を含めて持っているし、葬儀費用が計算に入っていたり、医療費から医療の交通費(地域によっては公共交通がなくなり、地域社会が機能しない場合も多く、この場合だと自動車を運転しないと交通費が年金受給額以上になることがおき始めている)を算定して、99%有意性を持って資産維持を図るということをいうのもあり、唖然とすることに遭遇したことがあった。しかも、この人が100歳以上生きたら資産食い潰すというところまでである。
ここまで極端なのはまれではあろうが、概して同じような計算は、苦しまなく(生産性があるということではない)生きて、かつ親族に迷惑を掛けない(・・・このことは金銭授受が生じないということにもなるのに注意・・・)という前提で考えているようだ。
となると、「イザというときのために」生きているというのは私は正鵠を欠くと考えている。心理一つの差ではあるが、イタリア人は「人生は自分が楽しむためにある」と考えるが、日本人の多くは、「人生は他人に迷惑をかけないためにある」という志向が強いのではないか。(続く)

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