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ちょっとショックなこと

ちょっとショックなことがあった。
商談をしていた後の余談でこういう話になったのである。
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顧客「いやあ。デハボさんはコンサルタントらしき推論で話を進めますねえ。」
デハボ「そうですか。考え物ですね。まあこの仕事をしてるとそうなるんですねえ・・・・」
顧客「いや。お仕事から考えればとうぜんそうなりますよ。いろんな顧客さんに、論理的に問題点を説き、その中の分析をする必要がありますから。」
デハボ「たしかに、仕事上そうしないと解決策が出ませんからね。けど日本人の感覚では、問題を提起することは集団の意義をなくすことになりますから」
顧客「コンサルさんに仕事を頼む以上、そういう論理になるのは当然だと私もおもうのです。凄腕のコンサルさんは目的意識を明確にするからそうですし、私も企業研修部門の運用の仕事をしていましたからわかります。しかし技術者でも現場技術からきた人は、論理的な進め方自体に強い抵抗感を持つんですよね」
デハボ「その色を薄めようとはしてるんですが」
顧客「それはすごくわかります。冗談や比ゆを用いて説明されてらっしゃいますし。ただ大所高所からの見方というのが入ると、それだけで拒否反応を起こすのが現場技術の人ということもおおいですからね」
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コンサルタントらしいというのはほめ言葉とは言いがたい性質があるとおもっている。
確かにコンサルとして仕事をしてる時期は私はそこまで長くないが、企業にいる間にも企業内の立場で同じようなコンサル業務を(事業所間同士で)行っていたこともあるから、その意味ではかかわった時間は長い。また、他の社外コンサルさんに仕事をお頼みする窓口の役を引き受けることもあった。

優秀な仕事をする人ほど、問題抽出が明確な反面それをわかることを前提に話することから、進める仕事の意義や目的、そして結果の見通しが本当に指導が必要な人が、ついていけないという場合があり、その間に説明役が入らなければならないということで、調整に苦労したことが多くある。いい結果が出ても、過程を理解できないということが多く、わからないからコンサルをお願いしたのに、結果からその思考過程が理解しようとしても理解できないということになる。
このようなことを私も感じていたから、私はこの仕事をする前に、高い目標も必要だがその過程を理解できるような指導をすることを優先するということをセールスポイントにして進めた。経営コンサルさんにある「理論滔滔」という手法は高度な知識のある企業では受け入れられるが、そもそも高度な知識のある企業は日本では外部に知見を求めず、自社で技術者・専門家を養成する方向にあるともいえる。かくてコンサルというものは日本では大学教授など名称で付帯的値付けがない限り胡散臭いとおもわれるとも感じていた。
つまり、典型的なコンサルタントらしい手法はできるだけとらないようにという方向を持っていたのである。そのため、癖の強いところはともかく(苦笑)同業者の集まりでも、コンサル臭くないというか、泥臭いというか、現場現実にこだわりすぎているというか、現場作業者受けをねらっているのか・・・とか言う人もいた。
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だが、それでもやっぱり仕事をしていると、「コンサルタント特有」の説得、訴求、論理的攻めがあるようだ。しかも一般的なコンサルタント技法ではこれが余りにも強調されるし、コーティングとて日本ではOJTという形に特化しないと感情のないまぜを制御しにくい。(そのいみで海外のコンサル理論は技術コンサルには使ったら最後というものがある。)正直有名・有力・優秀なコンサルさんにも余りにもそこを強調されるがあげく、高く掲げる相手であって同士ではないと感じることはある。そのテリトリーで私もくくられることはショックであった。
確かにロジックとしては、目的意識を前提にすることは当然であるが、それを抵抗感無しに導くか、日本において海外のコンサル企業が「日本人の内向的気風とあくまで自力で開拓を尊ぶする社風・社会ではコンサル業務は日本人同士でないと成り立たないし、日本でのコンサルタント市場はニーズはあっても、収支が取れるビジネスモデルになりがたい」といって撤退が激しいのは事実である。わりとうまく言っていても、国際的な活動を前提にする限り経済関係のコンサルは海外基準前提でする仕事以外は市場開拓にたががはめられてるように感じる。
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まあ、どんな仕事でも癖になるといやなものはあって、知人の製品の品質保証で出荷保障を生業とするスペシャリストには、「他人の出した結果や事象を全部疑ってかかることが業務というのもいやだよ。性格が曲がってしまうな。」とぼやくものでもあったし、苦労はどこでもころがっているのだろう。
コンサルという職業ではないがある意味近い側面・・・公衆に対する説明責任を果たす・・・ということで、石破茂現農林水産大臣の口調はきわめて特徴的で、内容も深い。「論戦では常に沈着冷静、理路整然、落ち着いた語り口調で説く」 「特徴あるソフトな語り口と安全保障に関する豊富な知識」といわれるように、噛んで含めるがごとくの言い方は、コンサルの見本としては非常にいいと私はおもう。そして使い分けもしているようで、街頭演説や選挙活動では口調や声が別人のように変わるとも。
ところが、反対にこの言い方を「馬鹿にしている」と毛嫌いする人もまた多いようだ。曰く「目線を無理に下げている」とか「軍事オタク・鉄道オタク・アイドルオタクの偏狭的視点が、他の人にはわからんでしょうがという意識に見え、あのような慇懃無礼な説明に現れる」とかまあ大概ないわれ方もあるようで、これはいくらなんでもと私もおもうのが多数ある。
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そう考えると、こういうものさえ話題になる。
孔子は52歳のとき魯の定公によって中都の宰に取り立てられたと『史記』は伝え、翌年大司寇に就任したという。政変によって魯の実権を握った陽虎に誘われ、応じようとしたことがある。紀元前497年に国政に失望して弟子と諸国巡遊の旅に出たが受け容れる国は無く、69歳の時に魯に帰国し、弟子の育成に専念した。
論語は倫理の話でなくコンサルタント事例集という見方をすると、あーそういう話をして、諸侯に政治コンサルタントの売り込みをしてる(が成功しないんだ)なんて見方もできる。しかも自分の文ではなく、弟子が記録を元に書いたのだから、ドキュメントであるわけだ。また論語は中国で集成されたものだが、当時の中国でオーソライズされた中身でないからこそコンサルとなったともいえる。皮肉を言えば、指導されるほどある既存の問題に対し、解決が必要な内容の裏返しの表現ともいえる。
もっとも孔子の人生の大部分は無冠の一学者に過ぎなかったのだし、じつはいくらかの中身は、孔子ががんばったプレゼンの失敗例の集成とも読めるのか。
そういう見方をすると、どっちにせよコンサルというものは憎まれるべき存在として立ち居地を覚悟するのが、役割と開き直るのもあるのかもしれない・・・・。おい酒だ酒だ、酒をもってこいorz。

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